私の変化
ふと思ったんですが、世の中のエッセイって作者の体験をもとに綴られたものが多いですね。それも面白おかしく。
それで振り返ってみると、私が《エッセイ・ノンフィクション》として投稿した作品って、何か変ですね。あんまり楽しく笑えるものじゃないような。
それに、私自身の思ったことは書いてても、体験記みたいのはほぼないというか。
なので、今回はちょっと自分のことを書いてみます。
過去に閲覧した作品でも、今読むと違って見えたりすることがありますね。
「あれ?こんな良い作品なのに、なんで★で称えてないんだ?」ってなったこともあります。
応援ボタンすら押してないこともありましたね。何故だ?
その作品が改稿された様子がないので、私自身の心境が変わったということで間違いないんですけどね。
新しい作品ばかりでなく、自分自身を見つめ直すためにも、同じ作品を期間を空けて読むのもいいことかもしれませんね。
・・・これじゃ短すぎるな。それに面白みに欠けるような。うーん。
えー、たしか昨日か一昨日くらいのことなんですけど、コバエが一匹テーブルの上にいて、僅かな水滴のような液だまりをつっついてるんですね。その液はたぶん、私がこぼした飲み物か、私の唾か何かだと思うんですけどね。
で、ずーっとそこにいるのかと思ったら、五秒後くらいにそこから離れて、周りをうろちょろと微妙な距離を歩いて、しばらくしてまた液だまりをつっつきに向かうんです。それを何回も繰り返してます。
何か、面白くないですか?人間がじっと見つめてるのに、まるで逃げようともしないし。
普通なら、できるだけ液だまりをつっつくだけつっついて、もし人間の殺気を感じたらすぐさま逃げるもんなんじゃないかと思うんですけどね。
私の推察ですが、「我はこの液だまりに興味はないぞ」とアピールしてるつもりなんじゃないかと思うんですよね。
「いやあんた、その液だまりが目的だってバレバレですよ」と言いたくなるというか。この不審な挙動が、とても親近感が湧くというか。
ふと思ったんですが、もし、その液だまりが私の唾か汗だとしたら、それが原因でそのコバエは私に似た行動を取ってるなんてこと、ありますかね?
いやもしそうだとしたら、何かワクワクするというか、恐ろしくも感じるというか。
「コバエ一匹でそこまで想い感じてるお前の方がこえーよ」って?いやまあ、そうかもしれませんけどね。
《記憶転移》って、皆さんご存じですか?
臓器移植に伴い、臓器を与えるドナーの記憶が受け入れ側に移る、という現象です。
記憶だけでなく、性格まで受け継がれるケースもあるとのことです。
内臓でなく皮膚の移植でもそれが起こることがある、とどこかで聞いた気がします。
ただしこれは諸説あって、デタラメだと批判する声も少なくないようです。
こんな、考えようによっては恐怖な現象が起こるのなら、ドナー提供者が減ってしまう可能性もあるし当然だと思います。
でも、これも捉え方ひとつですね。不思議なことではありますけど、頑なに否定すべきかというと、そうでもないと感じます。
えっと、これで終わりです。また読んでくれたら嬉しいです。以上!
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