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「ちょうど一年くらい前のことよ。小樽から日本海経由で穴水港を目指すフェリーに二人で乗ったの。出港は真夜中だった。でも、佐渡沖に差しかかった頃、突然ロシア機が現れて攻撃してきた。護衛はフリゲート艦たった一隻で、それも対艦ミサイルが直撃してあっけなく沈んでいった。ジョージは、自分は軍人だから、と言って甲板に向かって走っていった。そこにあった対空機銃で応戦するために。私がいくら止めても無駄だった……」
「……」
ネズミ色をした半透明の導電ビニールに包まれた新品のユニットを箱から取り出しながら、巧はレイの言葉に耳を傾けていた。
「私が乗っていた船も攻撃を受けて、機関停止、沈没は時間の問題だった。周りはもう、地獄のようだった……総員退去の命令が出て、私はライフジャケットをつけて、甲板に出てジョージを捜した。彼は対空機銃の銃座で、空に向かって機銃を撃っていた。
"総員退去の命令が出ているのよ。もうこれ以上戦う必要はないの。一緒に救命ボートに乗ろう"
そう言っても、彼は機銃を撃つのを止めようとしなかった。その時、
レイの声が震える。
「彼は起き上がって、自分の時計を外して私の左腕にはめた。真っ青な顔だった。
"これを俺の代わりに大事にしてくれ。お前は何としても生き延びるんだ。そこから下の海に飛び込め"
って、甲板の縁を指さして言ったの。私は泣いた。"嫌だ、兄さんと一緒にいる"って……でも、爆弾を積んだフランカーがまた飛んできてね。彼は最後の力を振り絞って立ち上がり、泣き叫ぶ私を抱きかかえて、甲板の縁から私を下の海に向かって投げ落とした。その直前、彼は笑って言ったの。"Good luck Rachel, God bless you!"って……それが彼を見た最後だった」
「……」
か細い声で訥々と呟くように話す今のレイからは、普段彼女が見せる凛々しさや強さが全く感じられなかった。
ふと、巧は思う。
彼女は基地の総責任者という重責を担ってはいるが、所詮は自分と同い年の女の子なのだ。無理をしているところも多いのではないか。本当は彼女だって、誰かに弱音を吐きたい時もあるのかもしれない。
"ああ、そうか、いつもはそんな時、朱音が相談相手になっているのかも……"
と、巧が思いついた時だった。
「ほら、手。また止まってるよ」
レイが苦笑する。
「あ、ごめん……」
巧があたふたとユニット交換を済ませたモジュールを再びラックに収めるのを見て、レイは話を続けた。
「そこから後のことは、よく覚えていない。気が付いたら、たった一人で夜明け間近の海を漂流してた。船はどこにも見えなかった。周りの水面には、船の残骸や油が浮かんでた。遠くからライトが近づいてくるのが見えて、ヘリのローター音が聞こえて来た。それが能登基地のUH-60Jだったのよ。私は救命ボートに乗ってた人たち何人かと一緒に救助されて、能登基地にやってきた。だけど……しばらく私、抜け殻みたいになってた。誰とも口を聞かず、部屋に閉じこもってた。そして、ずっと自分を責めてた。私がジョージに近づいて、彼の気をそらしたりしなかったら、あるいは彼を死なせずに済んだかもしれない……」
その時のレイの気持ちが、痛いほど巧には分かった。
レイはおそらく、自分も心の中に巧と同じような痛みを抱えていることを、巧に伝えたかったのだろう。いや、むしろレイの方がずっと辛かったに違いない。何しろ、彼女が目の前で失ったのは、実の兄なのだ。
"仮に僕に妹がいたとして、命懸けで守れるものだろうか……きっと、また逃げ出してしまうような気がする……"
そう思った巧は、やるせない気持ちになる。
「でも、そんな時、朱音が力になってくれたの。彼女は私を精一杯慰めてくれた。だけど彼女もお母さんとお祖父さんを亡くしたばっかりで……それなのに整備の仕事を頑張ってた。同い年の女子のそんな姿見たら、いつまでも落ち込んでいられないよね。それで、私もアメリカに行くのはやめて、基地で管制官の仕事を手伝うことにした。私、だから朱音にはとても感謝してる」
「そうだったのか……」
巧は朱音の人懐こそうな笑顔を脳裏に浮かべる。きっとレイも、この笑顔に随分救われたのだろう。
"そう言えば、朱音もレイについて、似たようなことを言ってたっけ……"
二人は本当に信頼しあっている親友、いや、戦友同士なのだ。巧はそれを痛感する。
「ごめん。随分話長くなっちゃったね。すっかり邪魔しちゃったみたい」
レイの口調はすっかり普段どおりに戻っていた。
「ううん。そんなことないよ。もう作業は終わって、今はバックアップした設定をリストアしてる最中さ。それももうじき終わるよ。だけど、それにしても……」
「それにしても……?」
「すごい、勇気のある人だったんだな、君の兄さんは……僕なんかとは大違いだ」
決して僻みっぽい言い方をしたつもりはなかった。だが、巧のその言葉は、明らかにレイを動揺させたようだった。
「あ……ごめん、違うの。そんなつもりで言ったんじゃない……私はね、兄は間違っていた、と思ってるのよ」
「……え?」
思わず巧はレイを真っすぐ見上げる。マグライトの灯りの中に浮かび上がった彼女の顔には、自虐めいた笑みが浮かんでいた。レイが眩しそうに目を細めたのに気づき、巧はあわててライトの光軸を彼女の顔から逸らす。
「彼はパイロットとして敵と戦う事ができる立場の人間だった。でも私は、戦いには何の役にも立たない、ただの民間人……それなのに、彼は私をかばって死んでしまった。戦略的には大きな損失よ。彼は私でなく、自分を守るべきだった」
「レイ……」巧は呆然として、レイを見つめる。彼女の言葉は彼にとっては信じられないものだった。
確かに、彼女の兄の死によって貴重な戦力が失われたことは事実だが、彼は命懸けでレイを守ったのだ。それがどうして間違いなのか。巧には、どうしてもレイが本気でそう考えているとは思えなかったし、それが正しいとも思えなかった。
巧が何かを言おうとしたその時、ラップトップ端末が電子音を
「なに? どうしたの?」と、レイ。
「……ああ、リストアが完了したんだ」画面のプログレスバーが一〇〇パーセントに達しているのを確認して、巧が応える。
「よし、これで修理完了だ。基地との接続を回復させるよ」
カタカタと素早くキーボードをタイプした巧は、ふと眉をひそめる。
「……あれ? これは……何だ?」
ターミナルエミュレータの画面に、別ウィンドウが立ち上がっていた。
「何かあったの?」
「いきなり
とたんにレイが険しい顔になり、それまで胸ボケットに入れていた眼鏡を取り出してかける。
「ちょっと貸して!」
「う、うん」
巧は立ち上がって、ポートにケーブルを接続したままの端末を、差し出されたレイの手に渡す。レイはメッセージを読み上げた。
「detect an inbound enemy aircraft (接近中の敵機を検知)……」
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