8

 巧の端末のディスプレイに、自己診断の結果が現れる。


「そうか……やっぱりAE35ユニットに異常あり、か……」


 巧は立ち上がり、ハッチのそばに座っているレイに顔を向ける。機器類の放つ様々な灯りのカクテルが、彼女の顔をぼんやり浮かび上がらせていた。地下は直射日光が当たらず炎天下の外よりも涼しいので、結局彼女も彼の作業中そこにいることにしたのだった。


「レイ、アルファ・エコー35ユニットと、ドライバーをザックから出して渡してくれ」


「了解」


 レイはバックパックから、AE35と書かれた新書サイズの大きさの紙箱と、プラスドライバーを取り出し、巧に渡す。


「はい」


「あ、ありがと……あれ?」


 巧は箱を受け取りながら、ふと、こめかみのマグライトが一瞬、箱を差し出したレイの左手首に巻かれている、かなり大きめの腕時計を映し出したのに気づく。再び彼はマグライトをレイの左手に向けた。


「随分ごつい時計だね。いつもこんなのしてたっけ?」


「いつもはしてないよ。こんな風に、外に出たりするときだけ着けるの。これはね……」


「……ああっ!」


 突然大声を出した巧に驚いたレイは、思わず左手を引っ込める。


「きゃっ!……な、何?……びっくりさせないでよ……」


「ご、ごめん。レイ、その時計、もう一度よく見せてくれない?」


「え、ええ、いいけど……」


 レイが差し出した左手首に巻かれた時計を、巧はまじまじと見つめる。


 黒い文字盤の中に、さらに三つの小文字盤が配置されている多針式の、いわゆるクロノグラフと呼ばれるタイプの腕時計だった。中心の若干上よりに文字が書かれている。


 OMEGA Speedmaster PROFESSIONAL


「やっぱりだ。オメガのスピードマスターじゃないか! しかも手巻きのプロフェッショナルモデル……」


「知ってるの?」


「もちろんさ! これって、宇宙飛行士がつけて最初に宇宙を飛んだ腕時計だよね。一九六〇年代当時、NASAの過酷なテストを唯一全てパスできたのが、この時計だけだったという……」


「さすがは巧ね。よく知ってる」レイが微笑む。


「そんなことないって。たまたま僕も欲しいなあと思ってたから知ってただけさ。でも……すごいな、レイ……これ、普通に買ったら二〇万円以上するだろ?」


「そう……みたいね」


「みたいね……って、君が買ったんじゃないの?」


「ええ、違う。これはね……」


 レイの表情に、ふと陰りが射した。


「兄の、形見なの」


「あ……」


 思わず巧はレイから目を背けてしまう。


「ごめん……」


「ううん、いいのよ。兄はね、子供の頃から将来は絶対宇宙飛行士になるんだ、ってよく言ってた。それも Mission Specialist じゃなくて宇宙船の操縦士の方にね。それで、大学に入ってすぐアルバイトして、それまでに貯めた貯金も合わせて全部はたいてこれを買ったのよ。宇宙飛行士がしてた時計だから、ってね」


「そうだったんだ……」


「隼人がね、すごく似てるの」


「ええっ?」レイの思わぬ言葉に、巧はギョッとする。


「外見は全然違うけど、性格がね。少しお調子者で、照れ臭いとぶっきらぼうになるところなんか、そっくり。だから、彼を見てると時々兄を思い出しちゃってね。そして思うの。もし兄が生きててパイロットになってたとしたら、あんな感じだったのかな、って」


「そうなんだ……」


「ええ。だから、あなたが私の髪を見て、メグさんを思い出す、っていうのも……私、すごく分かる気がするんだよね」


「……」


 巧は納得する。これまで、レイが隼人と話をした後で、少し寂しげな顔をすることが何度かあったのだ。


 "だとすると、僕もあんな顔でレイのことを見てたのかもな……"


「ほら、巧、手が止まってる。急がないと……敵機が飛んでくるかもしれないんだから」


「あ、そうだね」


 巧は腰を下ろして作業を再開した。システムの電源を落とし、筐体の左右にあるラックへの取り付けネジを回して、AE35ユニットを内蔵している1Uモジュールをラックから引き出す。

 ドライバーでネジを緩め、モジュールの天板のカバーを外す。

 静電気の放電による部品の損傷を防止するために、右の手首に導電性のベルトを巻き、そこから伸びたカールコードの先端に付いているワニグチクリップを、筺体のアース端子に挟み込む。


「ねえ、巧」


「……え?」


 巧が見上げると、レイがしゃがんで入り口をのぞき込んでいた。


「作業しながらでいいから、聞いてくれる? 私の兄、ジョージの話……」


「いいけど……思い出すの、辛くない?」


「ううん。むしろ、こういうのって誰かに話すと楽になったりするでしょ?」


「うーん……そう……だね……」


 その心情は巧にも理解出来た。先程自分の過去をレイに話したことで、背負っている重荷が少し軽くなったような、そんな気分が確かに今の彼にもあった。


「それに、なんとなく、あなたには兄のこと話しておいたほうがいいような……そんな気がするのよ」


 そう言ってレイは眼鏡を外すと、語り始めた。


「戦争が始まって、両親はUKで行方不明になって、私の家族はジョージだけになってしまった。だけど彼は空軍に志願したの。彼はもともと宇宙飛行士になるためのステップとして、戦闘機パイロットになるつもりだったから」


「なるほど。そう言えば、確かアポロ11号のアームストロング船長もオルドリンもコリンズも、みんな戦闘機パイロットだったね」と、巧。


「その通り。よく知ってるね」レイが微笑む。「けど、兄が志願した当時は、もう既にどの基地にも戦闘機パイロットの養成課程を置くような余裕もなく、また、基地自体も敵の攻撃を受けてどんどん潰されてた。だから、適性試験をパスした彼はアメリカに行くことになったの。戦闘機パイロットの促成課程に入るためにね。私も彼について行こうと思った。当時の日本の臨時政府は、民間人に対してもアメリカに避難するように奨めていたし、アメリカならUKからも避難民が来ているはずだから、その中にひょっとしたら行方不明の両親がいるかもしれない、って期待もあった。それで、アメリカ行きの輸送機が能登基地から出るからそれに乗れ、って命令が来てね。だけど……千歳空港は連合軍に爆撃されてたし、青函トンネルも閉鎖されちゃって……私たちは船で移動するしかなかった。思えばその時点でもう先が見えてたようなものだったのよね……」


 レイの表情が辛そうに歪む。

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