6

「ふぅ……」


 左手のスコップを杖代わりにして寄りかかり、巧は右手の甲で額の汗をふく。


 手のひらに豆が出来かけていた。それまでレイは何度も「代わろうか?」と声をかけてきたが、その都度巧は断り続け、結局今まで一人で瓦礫を掘り抜いたのだった。


 "こりゃ、明日は筋肉痛かな……"


 そう思いながら巧は足元を確認する。彼のそれまでの労働の成果がそこに表れていた。


 一〇分前に比べれば瓦礫はかなり取り除かれている。直径五〇センチメートルほどの黒いマンホールの蓋のようなものが見えていたが、ハンドルを掴んで持ち上げようとしても上がらない。左右に回そうとしても回らない。ひょっとしたら違うのか、と思いもう少し掘り進もうとして、ふと巧はレイの姿が見えないことに気付く。


「あれ、どこ行ったんだ? さっきまで目の前にいたのに……」


 あたりを見渡す巧の背後から、突然声がかかる。


「お疲れさま。はい、どうぞ」


「うわっ! びっくりした……なんだ、後ろにいたのか……」


 巧が振り返ると、レイが透明な液体の入った五〇〇ミリリットルほどのペットボトルを彼に差し出していた。


「喉渇いたでしょ?」


「あ、ああ……ありがとう」


 巧はボトルを受け取り、蓋を開けて中身を一気に飲み干す。保存用のミネラルウォーター。外気に晒されてすっかりぬるくなってはいるが、今の彼にとってはどうでもよかった。


「ふぅ……生き返る……」


 ボトルを空にしてしまってから巧は、ひょっとしたらレイも喉が渇いていたのではないか、と気付いてうろたえる。


「あ、ごめん……全部、飲んじゃった……」


 だが、レイは笑顔で首を振った。


「ううん、いいよ。私は何もしてないからあまり喉渇いてないし、車にはまだ二本くらいあるからね。それより、少し休んだら? あんまり頑張ると熱中症になってしまうよ」


「いや、でももう少しだから……掘るよ」


「ちょっと待って」レイは巧の足元の地面をしげしげと見すえる。「あら、入り口がもう完全に見えてるじゃない」


「でも、こいつどうしても開かないんだ。錆び付いてるのかもしれないけど……」


「ああ、ごめん。ロック解除しないとね」


 かがんでシャツの胸ポケットからマッチ箱程度の黒いリモコンを取り出し、レイはスイッチを押した。


 ガシャ、とロックが外れたにしてはやや大袈裟な音がする。レイがハンドルを持って、マンホールの蓋を持ち上げようとするが、なかなか持ち上がらない。巧が手を貸してようやく蓋が上がる。それは厚さ五センチメートル以上はある、立派な鋼鉄の円盤だった。どうりで重いわけだ、と納得した巧はそれを脇に置き、入り口からその中を覗き込むと、深さ一メートルほど先にコンクリートの床があった。彼から見てその地下室は、前後左はコンクリートの壁で囲まれていたが、右側には壁はなく、さらに奥に続いているようだった。しかし、少なくとも彼の見える範囲には何もなかった。


「何にもないよ?」巧はレイを振り返る。


「ううん、奥の方を見て。ハッチがあるはずよ。一応対爆構造になってるからね」


 そうレイに言われた巧はさらに深く首を突っ込み、上下逆さまの状態で奥を見る。暗さに目が慣れると、入り口から二メートルほど奥の床に、彼女の言う通りマンホールと同じくらいの直径の円形のハッチがあった。


「あ、あれか。あそこからさらに下に降りるんだね?」


「ええ」


「分かった」


 巧は胸のポケットからミニマグライトを取りだし、ヘッドバンドに差し込んで額に巻いた。マグライトを点灯した彼は足から地下室に降りると、四つん這いになってハッチに向かう。ハッチの傍らのハンドルを回すと、かすかなモーター音がして、自動的に分厚いハッチがスライドしながら開いていった。

 その中を覗き込むと、そこは深さ二メートル、幅一メートル 、奥行き二メートル程の空間で、奥の壁の一面は上から下まで十九インチラックマウントタイプの電子機器で埋め尽くされている。パネルにはさまざまな色のLEDや、三センチメートル角程度の液晶ディスプレイのバックライトがとりどりにきらめいており、その空間の全体をほのかに照らし上げていた。


「……ここ、降りるの?」


 巧はマンホールの穴から覗き込んでいるレイを振り返る。


「ええ。ステップがあるでしょ?」


 彼女の言う通り、機器の向かい側の壁にはコの字に曲がった鉄の棒が五〇センチメートルほどの間隔で三つ、上下に並んで刺さっていた。


「なるほど。それじゃ、降りてみるか……」


 巧はステップをゆっくりと降りていく。


 中の空気はひんやりとしていて、電子機器が発する独特の、松脂のような匂いが充満していた。早速作業に取り掛かろうとして、ふと、彼は大事な物を忘れていることに気づく。


「ごめん、レイ、ラップトップ一式を持って来てくれないか?」


「ええ」


 レイはマンホールの穴から降り、四つん這いになってハッチまで進むと、手に持っていたバックパックの中からB5ノート型の端末と接続コードを取り出して、ハッチの入り口から巧に手渡す。


「はい、どうぞ」


「あ、ありがとう」


「ここ、結構涼しいね」


「そうだね。助かるよ」


 畳一枚よりも狭いコンクリートの床に、巧は胡座をかいて座り込む。尻と背中に当たるコンクリートの冷たさが、労働で火照った体に心地よい。


「さて、まずは今の設定をバックアップしないとな」


 巧はオンラインマニュアルに従って作業を開始する。


---


「……あ、橘『司令』、ご苦労様です」


 管制室に入ってきた朱音を目ざとく見つけた真奈美が振り返って、隣の里奈と共に敬礼する。


「十一番ノードとの接続は回復したの?」


 答礼し、朱音は真奈美の真後ろからディスプレイを覗き込んだ。


「いえ、まだです。回復すれば端末に割り込みかけて、お二人に緊急事態を知らせることができるのですが……」


 それを聞いた朱音は顔をしかめる。


「何かあったのかしら……随分時間がかかってるね。それで、ボギーは?」


「現在富山湾上空。正確な位置は分かりませんが、だいぶ近づいてきたようです。高度は約三〇〇フィート。とりあえず今得られている情報から敵機のコースを解析中です」


「そう……やっぱ偵察目的みたいね。OEDSが威力を発揮してくれることを祈るよ。でも、もし見つかったら……その時は……」


「分かっています。全スカイシューター配置完了です」里奈が朱音に向き直って言う。


 「スカイシューター」は陸自の87式自走高射機関砲のことだ。74式戦車の砲塔の代わりにスイスのエリコン社製35ミリ対空機関砲KDAを2門載せたような形をしている。能登基地には、管制室から遠隔操作できるように改造された五台のスカイシューターが配備されていた。


「OK……あれ?」


 ふと、朱音はあたりを見渡し隼人の姿が見えないことに気づく。


「隼人は? ここに来るように言ったはずだけど」


「ハッチさんですか? ここには一度も来てませんけど……」真奈美が応える。


「あのバカ、どこ行ったのかしら……」


 朱音が首をかしげた時だった。


 突然司令席の内線電話が鳴り、朱音が駆け寄って受話器を引っつかむ。


「タワー」


 電話の主は美由紀だった。


『あ、チーフ、大変です! ハッチさんが基地から出て行ってしまいました!』


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る