5

 隼人がぼそりと漏らした一言に、朱音の背中が微かな反応を示した。


「そ、そんなことないって」


「そうか? いつも俺とは随分態度が違うな、って思ってんだが」


「そりゃ……あんたがいつもバカなことやっとるからでしょ」


「俺にはそれだけとは思えんがな……なあ、ひょっとして、お前……あいつに気があるんじゃ……」


「ダラんこと言わんといてま! そんなことないわいね!」


 堪りかねた朱音が振り返って怒鳴るのを、待ち構えていたように隼人はしたり顔になる。


「お前ってさ、焦ったり図星を突かれたりすると、訛りが出るよな……」


「……!」


 朱音はしばらくこめかみをピクピクと震わせていたが、やがて一つ深い呼吸をしてから立ち上がった。


「どうやらあんたはあたしの今の階級が少佐であることを、お忘れのようだね」


 右腕を真っすぐ延ばし、朱音は隼人に人差し指の先を突き付ける。


「休憩時間、終了! 直ちに任務に戻れ! 大尉、これは命令だ!」


「ひっ!」隼人は弾かれたように立ち上がり、直立不動の姿勢に。


「……と、言うこともできるんだけど?」


 ニッコリと笑う朱音に向かって、「気を付け」をしたまま隼人は敬礼した。


「も、申しわけありませんでした、司令どの! 自分はもう少し休みたいであります!」


「よろしい。許可する」


 軽く答礼してから椅子に掛け、朱音は再び制御卓に向き直る。


「ちっ……今に見てろよ……」


 椅子を壊さんばかりの勢いで、隼人は腰を下ろした。


---


 スコップを持つ巧の手が突然止まる。


「……っくしょん!」


 大きめのコンクリートの固まりに腰を下ろし図面を見ていたレイが、顔を上げた。


「あら、どうしたの? 風邪?」


「……いや、なんでもないよ。おおかた隼人が噂でもしてんだろ」


 そう言って巧は鼻をグスンと鳴らす。


「ああ……日本ではそんな風に言うんだったっけ」


「え?」


「ヨークシャーのグランマ(おばあちやん)は、私がクシャミをすると、いつも "Bless you" って言ってた」


「……ブレッシュ?」


「ええ。決まり文句なのよ。向こうでは、クシャミすると何か悪いものが体に入ってくる、って思われてたみたい。だから、神様の祝福がありますように、ということで、God bless you, 縮めて Bless you って言うんだって。ま、誰かが噂してる、ていうのと同じレベルの迷信だけどね」


「へぇ……知らなかった……」


 巧はその時、レイの表情がなぜか曇ったことに気づく。だがそれも一瞬のことで、彼女はすぐいつもの顔に戻った。


「そろそろ代わろうか?」


「ううん、まだ大丈夫だよ」


 腰を浮かせかけたレイに向かって首を振り、巧は作業を再開する。


---


「さあて、そろそろ戻るかな」


 隼人がタオルで顔を一拭きして、立ち上がった時だった。


 朱音の卓にある内線電話のベルが鳴る。


「こちら、第一ハンガー……ええ……何だって!?」


 受話器を耳に当てた朱音の顔に、さっ、と緊張の色が走った。


「……!」


 ドアノブに手をかけた隼人も、何事か緊急事態が起きたことを悟り、足を止める。


「……ええ……分かった。今接続してみる。ウェンディは?……休憩? 寝てる? すぐに起こして、スカイシューターを準備させて。……ええ、じゃ、また後で」


 電話を切ると、すぐさま朱音はキーボードを操作し、左手の親指の先を指紋センサに滑らせた。

 一秒後、彼女の目の前のモニターに管制室の司令席のそれと同じ内容が表示される。


「なんてこと……」


 モニターを見つめる朱音の顔は、いくぶん青ざめているようだった。


「どうしたんだよ?」


 朱音の後ろから、隼人もモニターをのぞき込む。


「センサネットワークが近づいてる不明機ボギーを検出したの。まだ詳しいことは分からないけど……あ、今分析結果が出た。エンジン音のパターンから、七五パーセントの確率で、Su-24一機……現在位置は、大体富山市上空……」


「何だと? まさか、この基地を攻撃しにきたのか?」


「どうかしら……現時点では、敵機のコースも高度も分からないのよ。でも、基地を爆撃するつもりなら、たった一機でしかも真っ昼間にくるとはとても思えないけど……」


 画面に向き直り、キーボードを操作しながら朱音は続けた。


「敵は電波高度計を使ってる。多分、偵察ね。低空飛行してこの空域の様子を探るつもりなのかも。最近このあたりで……いろいろあったからね……」


「……」


 隼人の顔が険しくなる。朱音は気を使って直接的な言い方はしなかったが、彼は朱音の言う「いろいろ」の大半が、自身の軽率な行動に起因していると自覚していた。


 だが朱音には、これ以上隼人を責めるつもりはなかった。彼はもう十分に反省している。修理の手伝いを自ら申し出てきたのもその表れだろう。


「OEDSを展開すれば、この基地は多分見つからないとは思うけどね」


 朱音は笑顔で安心させるように言うが、


「ちょっと待てよ……じゃ、今外に出てる巧たちはどうなるんだよ?」


 という彼の言葉に、再び表情を曇らせてしまう。


「分からない……人間そのものが出す赤外線は大したことないから、敵機には見つけられないかも。真っ昼間ならなおさらね。ただ……」


「ただ、なんだよ?」


「ジープが問題よ。ジープのエンジンは人間よりもよっぽど高熱源だから、おそらくロックオンが可能。万一彼らが車に乗ってたとしたら……狙われる可能性は高い」


「なにぃ!?」一瞬で隼人の目が丸くなった。「そ……それなら早く知らせないと!」


「無理よ。通信手段がない。ただ、接続が回復していれば回線を通じて彼らに情報を伝えることもできなくはないけどね。もちろん彼らが端末の近くにいれば、の話だけど。でも……おかしいな。予定ではもうそろそろ修理が終わるころなのに、まだ接続が回復してない……」


「無線で呼び出せないのか?」


「あのねぇ」朱音は少しイラついた顔になる。「それができたらとっくにやってるって。そもそも彼らは無線機持ってってないからね。むやみに電波を出したら敵に自分の存在を知らせるだけだし、接続が回復すれば無線がなくても連絡できるはずだったから」


「だったら、どうすればいいんだよ」


「そうね……あたしに出来ることは、まず基地の安全を確保すること。彼らの救出はその後だね」


「なんだと……あいつらを見殺しにするのかよ!」


「あたしだって今すぐにでも助けに行きたいよ! だけど、まず基地のみんなを守ることが最優先だから」


「朱音!」


 隼人の見幕に、やや気圧けおされるように朱音は彼を見上げる。


「……な、なに?」


「今すぐ修理を中止して、086を飛ばせてくれ! 敵機を迎撃する!」


「無茶言わないでよ!」ガタッと椅子を鳴らして立ち上がった朱音は、負けずに怒鳴り返した。「尾翼がまともじゃない状態で飛べると思ってるの?」


「飛べるだろ! 昨日だってその状態で帰ってきたんだ!」


「無理だって」朱音はかぶりを振る。「いつアンコントロールになってもおかしくないんだから。そんな整備不良の状態で飛ばす訳にはいかない。どっちみち、今から滑走路に移動して、燃料を入れて、空対空装備を装着するだけでも二〇分はかかる。とても間に合わないよ……」


「くっ……」歯噛みしながら隼人はうなだれてしまう。


「隼人、あんたは管制室に行って、ストライク(要撃司令官Strike Commander)の岡田准尉をサポートして。万一の時は対空機銃を撃ってもらうから」


「……」


 応えようとしない隼人に、朱音の眉がつり上がる。


「どうしたの? これは命令よ。早く行きなさい!」


「分かった」


 くるりと踵を返し、隼人はドアを開けた。


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