3
「小学五年の夏のことだ。僕は隼人の家族と一緒に、長野に数日間キャンプに行った。そこで、僕らは一人の女の子に出会ったんだ。アメリカ人だけど日本育ちらしく、結構流暢に日本語を喋ってた。彼女はお父さんと一緒にキャンプに来てたんだ。その子は自分のことを『メグ』って呼んでた。同い年だったけど、かなり大人っぽく見えた。背が高くて、肌が透き通るように白くて、青い目で、金髪で……かわいい子だった。性格はすごく活発で、僕と隼人はメグとすぐに意気投合して、一緒に遊んだんだ。隼人なんか、覚え立ての英語を話すんだけど、あの頃は全然通じなくてね。『日本語でいいよ』なんて言われてた。だけど……」
「だけど?」レイが聞き返すと、巧は顔を曇らせる。
「キャンプに来て、三日目だった。食あたりしたのか、いきなり隼人が熱を出して寝込んでしまって、予定より早く僕らは帰ることになったんだ。それで、僕はメグにさよならを言おうと思って、会いに行った。彼女は麦わら帽をかぶって、川の近くで一人で遊んでた。僕が声をかけて、彼女が立ち上がった時、強い風が吹いて……帽子が飛ばされて、川の中に落ちたんだ」
「……」レイが眉をひそめる。彼女には巧の話の先が見えたようだった。
「その帽子は彼女のお気に入りだったらしく、彼女はどうしても取りに行く、って言って聞かなかった。だけど僕は止めた。僕は知ってた。川底は浅く見えるけど、それは水と空気の屈折率が違うせいで、ほんとは深いんだってことも……川岸は流れがゆるやかだけど、川の中心に近づくにしたがって速くなることも……そう言ったけど、彼女は分かってくれなかった。それで、とうとう僕の手を振り切って、川の中に入って行ってしまった……そして……流されたんだ……」
「……」
ひたすら正面を見つめながら、レイは無言でハンドルを握っていた。
「僕はその当時はうまく泳げなかったし、自分自身で助けに行く勇気もなかった。だけど、周りには誰もいなかった。だから、急いで大人の人を探しに走ったんだ。それで、ようやく見つけて、連れて来たけど……遅かった……」
巧は唇を噛み締める。
「助け上げられた時には、メグはもう息をしてなかった。人工呼吸をしても、心臓マッサージをしても、駄目だった。僕は自分自身を呪ったよ。どうして無理やりにでも彼女を止めることができなかったのか……どうしてメグが溺れている時に、助けに行ってあげられなかったのか……ううん、いっそ、僕が帽子を取りに行けばよかったんだ、って……」
「違う」レイがきっぱりと言う。
「……え?」思わず巧はレイを見返した。
「あなたは正しかったと思う。あなたが帽子を取りに行ってたら、あなたが溺れていたかもしれない。その……メグさんを助けるにしても、溺れている人を助けるのがどんなに難しいか……泳ぎに自信がある人だって、時には巻き添えになるのよ。だから、あなたはその当時の自分ができる最善を尽くしたの。誰もあなたを責めることはできない……」
「みんなにそう言われたよ!」
「!」
いきなり大声で叫んだ巧に驚いたレイが、体をびくっと震わせて彼を振り返る。
「叔父さんにも、警察の人にも、そう言われたよ。メグのお父さんも……アメリカ人だったけど日本語が話せて、やっぱりそんな風に言ってた。だけど……だからといって、僕自身はそんなのとても納得できないよ。今でも、流されて行くメグの苦しそうな顔が……僕を呼ぶ声が……ありありと思い出せるんだ。僕だって……僕だって、どうしても助けたかったよ。僕はメグが、好きだったから……初恋の人だったんだ……」
「巧……」
拳を強く握り締めてうなだれる巧を、レイはただ悲しげに見つめるだけだった。
「だから、僕はその後水泳を猛練習したんだ。せめて、また同じようなことがあったら、今度は助けられるようにと思って、ね。僕はスポーツはほぼ何でも隼人にかなわないんだけど、たった一つ、水泳だけはあいつよりも僕の方が得意なんだ。だけど……だからといって、溺れている人を助ける機会なんて、そうそうある訳もないんだけどね……」
巧は無理やり口元を歪め、寂しげに笑う。
「でも……この世界に来て、君たちと086を見たときに、思ったんだ。僕はあの時メグを助けられなかったけど、今の僕が086に乗れば、君らを助けることはできるかもしれない、って……」
そこで巧は少し口ごもるが、やがてはっきりとそれを口にする。
「君の髪を見た時、そう思った」
「え、私の……髪?」一瞬、レイは巧を振り返った。
「ああ。メグと同じ色だから……僕は、君の髪を見るたび、どうしても彼女のことを思い出してしまうんだ。髪の色以外は、君とメグはどこも似ていないっていうのに、ね」
「……」レイは辛そうにうつむく。
「だから僕は、僕が戦うことで、君らや、他の多くの人を助けることができるというのなら、喜んでそうしよう、と思った。これはきっと、メグに対しての罪滅ぼしをするために、神様が与えてくれたチャンスなのかもしれないって、思った。僕は来るべくしてここに来たんだ、って」
「……」
レイの顔には、同情とも、悲しみとも取れる複雑な表情が浮かんでいた。何かを言おうとしてためらっているようにも見えた。
巧は空の彼方を見つめる。
「思えば、僕はずっとあの時の事を後悔して、今まで生きて来たような気がする。死んだらメグに会えるかな、なんて思ったことも……何度もあった。だけど、この世界に来て、僕はようやく死に場所を見つけられたのかな、って……」
「バカなこと言わないで!」
「!?」
驚いた巧が振り向くと、レイが怒りを顔にあらわにして彼を睨みつけていた。
「この世界にはね、生きたくても生きられなかった人がたくさんいるのよ! 死に場所を見つけた、とか、そんなこと……軽々しく言わないでよ!」
その言葉が、巧の脳裏に朱音との会話を瞬時に蘇らせる。
"そうだ……レイは、僕なんかよりもよっぽど辛い思いをしてるんだった……"
レイは両親が行方不明で、兄を目の前で亡くしている。他にもいろいろ辛くて苦しいことがあったのだろう。いずれにしても、巧の過去とは比べ物にもならないだろうことは、彼にも容易に想像できた。
自らを深く恥じた巧は、大きく
「ごめん……レイ」
「ううん、私こそ、いきなり怒鳴ったりしてごめんなさい」レイは既に表情を和らげていた。
「そうか……私、あなたたちは平和な世界で今までずっと幸せに暮らしてきたんだ、って思ってた。だけど……隼人はお父さんを亡くしているし、あなたも随分辛い経験をしてきたのね。ただ、これだけは言わせて」
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