第三章 「 傷 痕 」 Chapter 3 - Emotional Scars -
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管制室の片隅で、巧はキャスター付きの椅子に腰掛け、机の上に積まれた分厚いマニュアル類のうちの一冊を開いて一心に読み耽っていた。その後ろで、パイプ椅子に座って足を組んでいる隼人が退屈そうにあくびをかみ殺している。
「……どう?」
真横からマニュアルを覗き込もうとする朱音が、あまりにも近くに顔を寄せて来たのにドキリとしながらも、巧は平静を装って応えた。
「う、うん……たぶん、これくらいならできると思う。一つモジュールを交換するくらいで済むと思うし……」
「よかった。あんたならそう言ってくれると思ってたよ」
朱音はニッコリと笑みを浮かべると、かがめていた体を起こして隣のレイを振り返った。おもむろにレイが口を開く。
「それじゃ、お願いしてもいいかしら?」
「ああ、いいよ」巧は笑顔でうなずく。
昨日、敵機の接近を事前に察知できなかったことから、一刻も早く北側の監視用センサネットワークを復旧させなくては、と考えたレイは、コンピュータに明るい巧に助言を求めたのだった。それで彼は、朝から分厚い数冊のマニュアルに首っ引きで取り組み、ネットワークトポロジーを解析し、各ノードにアクセスを試みた。その結果、柳田地区の第十一中継ノードに起きている障害が全ての原因、ということが明らかになったのだ。それさえ分かればあとはそこに移動して修理するだけだった。
「悪いね……それくらいの作業でいいんだったら、あたしが行ってやってもいいんだけど……」
すまなそうに朱音は言うが、その後すぐに眉を吊り上げ、巧の後ろの隼人をギロリと睨みつける。
「どっかのバカが無茶やって、大事な飛行機壊してくれたお陰でさ。そっちの修理にかかりっきりにならなきゃ、だからね」
「くっ……」バツの悪そうな顔で隼人は朱音から視線を反らせた。
「ううん、いいんだ。昨日のことは僕にも責任があるし、これくらいならすぐに終わると思うよ」
快活に応える巧を、隼人が恨めしそうに見つめる。
「(この野郎……てめえだけいい子になりやがって……)」
「ん? 隼人、何か言ったか?」
「……なんでもねえよ」ぷいとそっぽを向いて、隼人。
「OK、それじゃ巧、準備をお願い」と、レイ。「
「了解。朱音、工具は?」
「車に載せておくよ。あんたは倉庫から交換用の部品を持ってきておいてくれる?」
「分かった。隼人、お前も手伝えよ。部品探すくらいはできるだろ」
「おう……確かに探す『くらい』はこの俺にもできるぜ。それ『くらい』はな」
隼人がふてくされながら巧を追って管制室から出て行くのを見送り、レイは朱音と向かい合う。
「それじゃ頼んだよ、橘『司令』」
「了解、篠原『大尉』」
互いに敬礼した、この瞬間、二人の立場も階級も完全に入れ替わったのである。レイが基地から離れる時は、このように司令としての権限を朱音に委譲するように決まっていた。
「現在のところ接近する敵機の情報なし。でも、一時間以上外にいるのは危険よ。ここんとこガーディアンやMiGがこの辺りで立て続けに撃破されてるわけだから、敵もマークしてると思う。いつ来てもおかしくないよ」と、朱音。
「了解。モジュールの交換だけだから、作業そのものには一時間もかからないとは思うけどね」と、レイ。
「ね、レイ……」朱音が不安げに声を落とす。
「どうしたの?」
「あたし、やっぱり心配だな……あんたたち二人で、大丈夫かな、って……」
「大丈夫だって。巧、ハードもソフトもどっちにもかなり詳しいんでしょ? ちゃんとやってくれるって。あそこはガーディアンの常駐エリアからは十分離れているし……」
「そういう意味じゃなくて、さ……」なぜか朱音の口調は歯切れが悪かった。「その……一応さ、巧も男なんだし、あんたは女なんだから、二人きりになったら……その……ついつい、彼が変な気を起こしたり……とか」
「なぁんだ、そんなこと?」レイはさも馬鹿馬鹿しい、とでも言いたげに、ふん、と鼻を鳴らす。「朱音、あなた考え過ぎよ。巧ってわりと人畜無害な感じじゃない? 変なことするようには見えないけどな」
「そう? あたしは、彼って結構むっつりスケベなタイプじゃないかな、と思うんだけど……」
「……ふうん」
レイはしばらく無言で朱音を見つめていたが、やがて、いわくありげに笑みを浮かべる。
「あぁら、お詳しくていらっしゃること。司令はずいぶん風間大尉に対してご理解がおありのようですわね」
「な……!」朱音の顔が一瞬にして、火がついたように真っ赤に染まる。「何言うとんがいね! 違ごわいね! そんなわけないがいか!」
「っと、もう行かなくちゃ。大丈夫よ。あなたの『いい人』を横取りしたりはしないから。なぁんてね」
レイは朱音に片目でウィンクしてから背を向ける。
「だ……だから違ご言うとらいね! もう……ちょっ、待ってま! レイ、誤解せんといてまぁ!」
歩きだしたレイの後を、慌てて朱音は追いかけるのだった。
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