22
冷静さを取り戻したレイは気づいていた。隼人が彼女を試したことに。
能登基地に対して自分たちが「疫病神」になっているのではないか、と隼人が思い込んでいるらしいことは、レイも薄々感じていた。そして彼は、レイが本当に彼らのことをそう思っているのか知りたかったのだろう。だからこそ、彼はあえて挑発的な物言いをしたのだ。
自分は思わずそれに乗せられて、感情的な反応をしてしまったが、かえってそれは自分たちにそんな考えなど微塵も無いことを、隼人に対してこの上なく説得力をこめて表明したことになったのではないか。レイは思う。結果的にはこれでよかったのかもしれない。
やはり本音で話そう。お互いの信頼のために。レイはゆっくりとその一歩を踏み出した。
「そうね、あなたたちの考えも分からなくはないよ。いったん
レイは右手の人差し指を立てて隼人と巧に向ける。
「あなたたちは、あのままRTBしてたら、敵にこの基地の存在を教えることになる、と思ったんじゃない? だから命令を無視して迎撃に向かった。違う?」
「う……」
隼人の表情の変化から、それが図星だったことをレイは悟る。
「でもね、今まで説明してなかったけど、この基地には光学的にも電磁的にも存在をカモフラージュする最新鋭のシステムがあるの。それでも人間の目はなかなかごまかせないけど、敵の光学センサーとパターン認識能力は人間の目に比べて貧弱だから、それで十分なのよ。でなければ、今までこの基地は生き残っては来れなかった」
「……」
「だから、あの時私の命令に従って真っすぐRTBしていれば、あなたたちは機体を傷つけることもなく、危険な目に会う必要もなかったの」
「そうだったのか……」
確かにそこまでは考えていなかった。隼人と巧は己の判断の甘さを痛感する。
「ま、それを予め言っておかなかった私にも、落ち度がないとは言えないけどね。ただ……あの時はそれをくどくど説明している時間は無かった。だから命令したの。命令、というものは、そういう時のためにあるのよ。戦場で兵士一人一人をいちいち理屈で納得させようとしてたら、命がいくつあっても足りない。それは分かるでしょ?」
「ああ」
「それに、私たち……この基地のスタッフは、誰もあなたたちを疫病神だなんて思ってはいない。むしろ、誇りに思ってる。本当よ。みんな、そうでしょ?」
レイは真奈美と里奈の方に振り返る。
「はい」
「ええ、もちろんです」
二人が揃ってコクコクと大きくうなずいたのを確認して、彼女は隼人に視線を戻した。
「いずれ、アメリカでの戦局が好転すれば、統合軍のアジア方面の次の目標は、日本の厚木基地と横田基地になる。そうなれば、この基地も前線に立つ可能性が高くなるでしょうね。だから、あなたたちがいようがいまいが近いうちに私たちも戦いに巻き込まれることはほぼ確実なのよ。それは私たちも十分承知の上だからね」
「そうか……」
「そして、いざ戦いが始まるその時に、あなたたちのようなスーパーエース級のパイロットがこの基地にいてくれれば、とても心強い」
「……」
「だから、私たちにはあなたたちが必要なの。私たちはみな、全力であなたたちを支えたいと思ってる。だから……あなたたちも自分を大事にして欲しい。避けられるのにわざわざ危険に飛び込むようなことは、もう決してやって欲しくない……」
そう言って、レイは隼人を真っすぐに見つめた。
「隼人、あなたは迎撃に向かう前、『必ず戻る』と言ったよね」
「ああ」
「そして、あなたたちはその言葉通り戻って来た。だから、私はあなたたちの力を信じる。だけど、同じように、これからはあなたたちも私たちを信じてほしい。同い年の女にあれこれ指図されるのは嫌かもしれないけどね」
「そんなことはねえよ」即座に隼人は首を横に振ってみせる。今はもう、レイが本当に司令たりうるにふさわしい人物であると、彼も心の中で認めていた。
「レイ、悪かった。本当にすまなかった……」
隼人は神妙に頭を下げる。もはや彼の中には何のわだかまりもなかった。
そんな隼人の心を見抜いたように、レイは満面の笑みを浮かべると、
「これからしばらくあなたたちと私たちは
と言って右手を差し伸べる。
「ああ……」
隼人もやや照れ臭そうに微笑みを返し、右手を差し出し、レイの右手を握ろうとする。
その時だった。
ふらりと隼人の体が揺らぎ、そのまま前のめりに倒れかかる。
「きゃっ……は、隼人!」
レイが素早く駆け寄り、辛うじて彼の体を抱きとめて支えた。
「ハッチさん!」
「大尉、大丈夫ですか?」
真奈美と里奈もあわてて駆けつける。
「ど、どうしたのよ……隼人……!」彼の体を抱きかかえながら、苦しげにレイが言う。
「悪ぃ……少し……寝かせて……く……れ……」
そのまま隼人は目を閉じ、すぐに寝息を立て始めた。
「ちょ、ちょっと、あなた、こんなところで、しかもこんな状態で寝ないでよ……」
困惑しながらもレイは隼人の体を支えるが、ふと、その重みが軽くなる。
「え……?」
巧がレイの反対側から隼人の体を支えていた。
「あ、ありがと、巧……」
巧は無言で、ただ小さく微笑みを返す。
「どうしたのかしら……まさか彼、脳内出血でも起こして……」
レイが心配そうな顔になる。空中戦でマイナスGの状態が長く続くと、頭に血液が上って、いわゆるレッド・アウトの状態になり、脳内出血を起こすことがあるのだ。
だが、巧は首を横に振る。
「大丈夫さ。よくあることなんだ。こいつは限界越えると、いつもこうなってしまうんだよ。あのソファまで連れてって寝かせよう」
管制室の片隅にあるソファに向けて、巧はあごをしゃくった。
「え、ええ……」
隼人はそのまま二人に両脇を抱えられる態勢で、引きずられながらソファまで連れて行かれる。しかしそこに至るまで、巧も何度かよろけそうになっていた。
「巧……あなたも、大丈夫?」
「うん……隼人ほどじゃないけど、やっぱり疲れたよ。こいつの横で僕も休ませてもらうけど、いいかな」
「もちろんいいよ。さ、降ろそ。せいのっ!」
二人はなんとか隼人の体をソファの背もたれに寄りかからせる。
「ふぅ……」
隼人の隣に、巧もどかっと腰を下ろし、背もたれに身を投げ出して大きく息を吐いた。
「やれやれ……毛布持ってきた方がいいかな」
「あ、待って」
ソファから離れようとするレイを、巧が呼び止める。
「レイ……君に一つだけ言っておきたいんだけど……」
「なに?」振り返りながら、レイ。
「隼人はね、いくら疲れているといっても、君の平手打ちをかわせないほど反射神経も動体視力も悪くはないよ」
「!?」レイの眉がピクリと動く。
「こいつは、君にわざと殴られたんだ……それが、こいつなりの謝罪だったんだよ……分かってやってくれ……」
「……」
やはり、か。全く、不器用な男だ。
そうは思ったものの、レイは無言のままだった。だが、彼女のその顔を見て、巧は満足そうな表情を浮かべると、そのまま目を閉じ隼人に寄りかかって数秒後に同じように寝息を立て始める。
隼人と巧が寄り添ってソファに眠る姿を、レイはしばらく見下ろしていたが、やがて一つため息をついた。
「はぁ……全く、あなたたちって……やっぱり史上まれに見る……」
そこまで言ってレイは、くるりとソファに背を向ける。
「……大バカ野郎共ね」
そう呟いた彼女の横顔には、しかし、微笑みが浮かんでいた。
(第三章に続く)
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