18

 能登基地地下二階の管制室は、重苦しい沈黙に包まれていた。


 レイは腕組みをしたまま目を閉じ、天井を仰いでいる。


 里奈は迎撃システムの操作ディスプレイを食い入るように見つめていた。だが、そこに何も動きはない。それは、基地周辺に設置された光学、音響及び電磁の各センサに、何の反応もないことを意味していた。


 これらが有効な範囲の外で、086は孤独な戦いを繰り広げているのだ。もちろん基地のレーダーを使えば、彼らの戦いの様子のいくばくかは分かるかもしれない。しかしそれは、同時にこの基地の存在を敵に知らせることにもなりかねない。


 そもそも、能登半島北側のセンサネットワーク群が生きていれば、基地でも事前に敵機の接近を探知できた可能性があった。センサネットワークには冗長性があり、本来なら障害には強いはずだったが、複数の主要な中継地点ノードが敵の攻撃によって使用不能になっているため、輪島のレーダーサイトを含めた北側の監視システムからの通信は、完全に途絶していた。


 レイにも朱音にもノード機器の修理ができるほどの知識はなかったし、修理できたとしても、基地の外に出なければならないため、それなりに危険を冒すことになる。それで今まで放置していたのだが、そうだとしてもやはり修理はしておくべきだった、と、レイは今さらながら後悔していた。


 真奈美は両ひじを卓につき、両手で組んだ指を額に擦り付けるようにして、ただ一心に祈っている。その彼女の耳のヘッドフォンに突然、スケルチ(無線機に備わっている、ある程度の強さの電波を受信するまで音声回路を切って雑音を出さないようにする機能)解除を示すノイズが入った。


「!」


 はっ、と顔を上げた真奈美は、無線のシグナルメータの針が振れているのに気づく。チャンネルは086と最後に交信した時のままだった。反射的に真奈美はラウドスピーカーに切り替える。


「……Noto-Tower, Hawk01. Acknowledge (応答せよ)」


 雑音混じりの隼人の声がスピーカーから流れると同時に、真奈美、レイ、里奈の目が真ん丸に見開かれる。


「あ……あぁ……」真奈美の口から、絞り出すような声が漏れた。「帰ってきた……やっぱり、帰ってきてくれたんだ……!」


 みるみる視界が滲んでいく。両目から溢れだした涙が止まらない。しっかりしろ、と真奈美は心の中で自分を叱責し、拳で涙をぐいと拭うと無線のスイッチを入れて呼びかける。


「ホーク・ジロワン、タワー、リーディング ユー ツリー。レポート カレント ミッション ステータス (ホーク01、タワー、感明度は3です。現在の任務状況を報告してください)」


「Splashed all bandits. Aircraft a little bit damaged, but no problem for flight. All crew safe. RTB. ETA one-two-three-zero (敵は全機撃墜。当方、機体に軽微な損害あれど飛行に支障なし。乗員は全員無事。帰投する。到着予定時刻一二三〇)」


 隼人の報告に、管制室内の全員が、ほっ、と胸をなでおろしたようだった。


「ラジャー、レ、レポート……イニシャル (了解、イニシャルポイントに達したら報告してください)……うっ……ううっ……」


 どうにかそこまで言うと、真奈美は何度もしゃくり上げた。


「バカねぇ……何泣いてんのよ……」里奈が隣から真奈美の顔を覗き込む。


「うぐっ……里奈……あ、あんただって涙目になってるじゃないのよ……」


「ち……違うって、これは……目にゴミが入ったの!」


「あたしだって……目にゴミが入っただけだよぉ……」


 そんな二人のやり取りを眺めていたレイは、ふと、いつのまにか自分も涙ぐんでいることに気が付く。


 "いけない……私としたことが……"


 しかし、それは無理もないことだった。この数カ月間、彼女たちが送り出していったパイロットたちは、皆帰ってくることはなかったのだ。帰投命令を無視して086が要撃に向かった時、三人の胸の中には、その苦い記憶が蘇っていた。


 "あの二人も、もう二度と戻ってこないのでは……"


 口に出すことはなかったが、誰しもがそのような思いを抱いていた。


 だが、それは見事に裏切られた。彼らが無事に帰ってくる。ただそれだけのことが、今の彼女たちには何よりも嬉しいのだった。


 "だけど、私は立場上、喜んでばかりもいられないのよね……"


 レイはまばたきを繰り返して涙を払い、無理やり険しい表情を作ってみせる。


「ふぅ……あのバカども、帰ってきたらどうしてくれよう……」


 そう呟いてはみたものの、レイの心は、ここ数カ月味わったことのない温かさで満たされていた。


---


 地上要員たちが車輪止めチョークを車輪にはめ込んだのを確認し、隼人はキャノピーを上げ、APUシャットダウンの時と同じ、自分の首を切る仕草を両手で同時に行う。エンジン停止のハンドシグナル。朱音が同じ仕草をしたのを見て、隼人はスロットルをSTOPの位置に入れる。とたんに、かん高かったタービン音が転がり落ちるように低く小さくなっていき、ついには聞こえなくなった。


 エンジン停止を確認して、ベルトやホース類を外す。キャビン内を一通り点検した後、隼人と巧は立ち上がり、キャビンの脇に備えられたボーディングラダーにのろのろと乗り移る。体が鉛のように重いのは、大量の汗を吸ったフライトスーツのせいだけではなかった。すさまじい疲労感が、彼らの身体の全てを支配していた。


「おかえりなさい」


 日に照らされ続けて、見るからに熱そうなエプロンの地面に降り立った隼人と巧を、朱音が笑顔で迎えた。が、見る間にその顔がうんざりしたような表情に変わっていく。


「もう……何が『little bit damaged』よ。左の尾翼先端がボロボロじゃないの。動きも左右で微妙に違うし、右の尾翼にも一発かすってる。やれやれ、また修理に随分時間かかりそうね……」


 そう言うと、朱音はポリポリと頭をかいた。


「すまねえな……朱音……」


 隼人が素直にこうべを垂れたのを見て、朱音はまたすぐに笑顔に戻る。


「ま、でも、あんたたちが無事に帰ってきてくれただけで、あたしらは十分だけどね。ほんと、一時はどうなることかと思ったよ。使える武器は機関砲だけっていうのに、二機を相手に戦うんだもの……そりゃもうめっちゃ心配したって」


「悪ぃな……ほんと……」


「それでも、二機とも機関砲で撃墜しちゃうんだもんねぇ。やっぱりあんたたちは『トロポポーズの鷹』と言われるだけのことは……ん?」


 そこまで言いかけて朱音は、二人が複雑な表情で互いに顔を見合わせている事に気づく。


「……どしたの?」


「あ、いや……その……機関砲だけじゃないんだ……」


 巧が曖昧な表情のまま応えると、朱音は目を丸くする。


「えぇ? あんたたち、他に武器積んでなかったでしょ? どういうこと?」


「そのう……実は、ね……」


 巧はぼそぼそと話し始める。


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