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縮みきっていた前脚のストラットが一気に伸びて機首を跳ね上げ、086は猛然とダッシュを開始。強烈な、しかし、二人には懐かしく感じられる加速度。
一秒後、轟音と共にアフターバーナーの一段目が点火し、排気ノズルからオレンジの炎が吹き出した。続けざまに二段目、三段目が点火、その度に隼人と巧の背中はシートに叩きつけられる。
HMTDに表示されている対気速度が、瞬く間に
主脚からキャビンに伝わっていた振動が消えた。フラップ、ランディングギア、共にアップ。
"還ってきた……還ってきたんだ。俺たちは、大空へ……"
F-23に乗って空に浮かんだのは初めてのはずだったが、その瞬間隼人の心に沸き上がったのは、そのような感慨だった。
操縦桿も、スロットルも、ラダーも、全て彼の期待どおりの反応を返していた。隼人は確信する。いまや彼は、「この世界の」彼同様自由自在に機体を操ることができるのだ。自然に彼の頬が緩む。
「さぁて、まずは軽くウォーミングアップだな」
隼人の言葉に、巧はかすかな不安を覚えた。
「……ウォーミングアップだと?」
「おうよ。マウンドに立つ前はブルペンで投球練習するもんだろ? まして、俺はパイロットとしてはこれが初飛行なわけだし、うまく操縦できるか確かめないと、な」
「……」
全く、あれだけ086に乗るのを渋っていたくせに、空に上がればこの通りだ。しかし考えてみれば、隼人は元来こういうお調子者の性格を備えている人間だった。自らの悪い予感が見事に的中した巧は、小さくため息をつく。
「ったく……ほどほどにしておけよ。後で司令殿に大目玉食らっても知らないからな」
止めたって隼人が聞きやしないのは分かっている。こんな時はいつだってそうなのだ……こんな時?
巧は気づく。これは「この世界の」自分の記憶なのだ。それがあまりにも自然に意識に上って来たことに、彼は驚きを禁じ得なかった。そもそも、こんな会話も巧は今まで隼人と一度もしたことはないはずだった。それなのにまるで何度も交わしたような気がする。
昨日朱音と話していてもそうだったが、巧は「この世界の」彼の記憶を「思い出す」たびに、「この世界の」彼に自分が乗っ取られたような気分になる。かと言って、それが不快かというと必ずしもそうではないのだ。コントロールされているという意識がなく、自由な思考が完全に保たれているように感じられるからだろう。それは隼人も同じなのではないか。そう巧は思うのだった。
「No problem. Now, It's showtime!(問題ない。さあ、ショータイムだ!)」
叫ぶと同時に、隼人は操縦桿をぐいと左斜め後ろに引く。
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"あれ?……おかしい……"
086の離陸の様子をエプロンから見守っていた美由紀は異変に気づく。086は
「チーフ、何か起こったんじゃ……」
心配そうに美由紀は隣の朱音を振り返るが、朱音は落ち着き払っていた。
加速や排気音、アフターバーナーの炎の様子から、エンジンは正常に作動しているように見える。ランディングギアもフラップもアップしているから、油圧や操縦系に致命的なトラブルがあったとも思えない。とすれば、彼らに何か考えがあるのだろう。朱音は美由紀にむかってニヤリとしてみせる。
「大丈夫よ。まあ見てなさい……ほら!」
朱音がそう言うと同時に、美由紀の背後で他の二人の地上要員の歓声が上がる。
「ええっ?」
驚いた美由紀が振り返ると、086がロールしながら機首を上に向けて上昇しているところだった。
機体はそのまま背面に入り、降下へ。樽の表面に巻き付くような軌跡を描いて
「すごい……離陸直後にバレルロール打つなんて……」
「ロールオン・テイクオフ……ブルー・インパルスのソロ六番機の離陸でやる奴だね。この調子ならあいつら、まだ何かやらかすかもね」
朱音の予測通り、一旦遠ざかった 086は反転してランウェイ25側から進入してくる。高度は約二〇〇メートル。滑走路の真上で機体を左に九〇度傾けたまま一秒ほど直進。続いて背面で一秒、さらに右九〇度で一秒。最後に正面に戻る。
「へぇ……フォーポイント・ロール。さすがやね」素直に感嘆を表す朱音に対して、美由紀はやや拍子抜けしたようだった。
「でもチーフ、あれはそんなに難しくないんでしょう? スティックを四回左に倒すだけなんじゃ……」
「……はぁ」
朱音はため息をつきながら美由紀を横目でジロリと見る。
「ミュウ、あんたもまだまだやね。いい? 正面以外では主翼はまともに揚力を発生していないのよ。特に、ナイフエッジ(機体を九〇度ロールさせ、そのまま直進する飛行)の状態では主翼の揚力はゼロになる。だから、その時はバンク(機体を傾けること)してる方と反対にラダーを蹴って当て舵をしないといけないの。それもタイミングよくやらないとね。でなきゃあんな低空だもの、一気に高度が下がって地面に激突してしまうよ」
「あ……なるほど……」美由紀は恥ずかしそうに顔を伏せる。
「ここで見てるほどあれは簡単じゃないってこと。まあでも、さすがにそろそろレイがキレる頃だね。アクロバットショーは終わり。さ、みんな、戻りなさい」
目を輝かせて空を眺め続けている部下たちに向かってそう言うと、朱音は滑走路に背を向けた。
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