8

「ランナップ、クリア」


 朱音の応答を聞いた隼人は、APUマスタースイッチの横のエンジンクランクスイッチをRの位置に。いきなりAPUの回転が上がり、作動音が咆哮のように甲高くなる。APUによって生成された高圧空気がAMAD《エイマッド》(機体搭載式付属駆動装置Airframe-Mounted Accessory Drive)のタービンに送られているのだ。そのタービンの回転は動力伝達シャフトを通じてエンジンのタービンに伝わり、それを回していく。ちなみにエンジンの始動後は、逆にAMADがエンジンの回転から発電機を回す役割を果たすことになる。


 エンジン回転数、一〇パーセント。隼人はスロットルをSTOPからIDLEポジションへ。後は放っておくだけで自動的に始動プロセスが進んでいくのだ。燃焼室に電気火花が飛び、エンジンが点火する。


「二〇パーセント。ライト オフ(エンジン点火)。八一〇℃」


 ゆっくりとエンジンの回転が上がっていく。三〇パーセント……四〇パーセント……隼人はその都度回転数とEGT(排気温度Exhaust Gas Temperature)を報告する。


 ジェットエンジンの始動時は空気の流入量が少ないため、エンジンが冷却されずEGTが高くなる傾向がある。F-23はEGTが一二〇〇℃を越えるとタービン破損の恐れがあるので、パイロットと機付長は回転数がアイドルに達するまで、常にEGTに気を配らなければならない。


 ようやくアイドリング回転数の六○パーセントに到達。自動的にクランクスイッチとAPUマスタースイッチがOFFに。とたんにAPUの咆哮が低くなり、代わってタービンが空気を切り裂く金属音が響き渡る。


「アイドル。五三〇℃。APUシャットダウン」


 言いながら隼人は、右の手首を回して自分の首を切るような仕草をする。APUが右エンジンから切り離されたことを示すハンドシグナル。続いて彼は左エンジンを同じように始動。ほどなく左エンジンもアイドルに達する。EGT(排気温度Exhaust Gas Temperature)は両エンジンとも五五〇℃で安定。


 ハイドロプレッシャー(油圧)チェック。汎用系統、右三八○〇psi、左三九○〇psi。操縦系統、第一第二共に四〇〇〇psi。全て正常値。


「三八、三九、四〇、四〇」


 油圧を報告し、続いて隼人と巧はエンジンの高圧空気から酸素を取り出してパイロットに供給するシステムであるOBOGS(機上酸素生成装置OnBoard Oxygen Generation System)のチェックに取りかかる。


 旅客機と異なり戦闘機のキャビンは十分与圧されていない。一気圧まで与圧してしまうと、高空でキャビンに被弾したときに気圧差で風船が破裂するように被害が大きくなるからだ。もちろんそのような薄い空気では酸素が足りないため、戦闘機パイロットはフライト時は常に酸素マスクを装着する。よって、酸素供給系の不調は命に関わる重大事であり、念入りなチェックが必要だった。


 F-23のOBOGSは高度や機体にかかるGに応じて酸素濃度や圧力を自動的に変化させることが可能である。二人がマスクをつけたまま二~三回深呼吸すると、右コンソールにあるOBOGSパネルのフローインジケーターランプが緑色に点滅。これはシステムの正常動作を意味していた。OBOGS不調時に用いる緊急用の酸素ボトルのチェックも同様に行う。酸素供給系、全て異状なし。


「ビルトインテストが終わったら知らせて。プリタキシーチェックするから」そう言うと、朱音は機体の後ろ、動翼の動きがよく見える場所に移動し、代わって美由紀がレドームの前に立った。


「了解」


 隼人と巧はBIT(自己診断Built-in-Test)システムを使って各部をチェックし、 INS(慣性航法装置Inertial Navigation System)に現在位置の座標を入力、ジャイロコンパスの回転が十分上がるまでアライメントを取る。


 BITチェック終了、正常。ここからはプリタキシーチェックだ。エンジンノズルのチェックに続いてスピードブレーキとフラップのチェックを行った隼人は、操舵チェック開始を宣言する。


「フライトコントロールチェック、クリア」


「クリア」と、朱音。


「スティック、フォー」言いながら隼人が操縦桿を押す。左右のスタビレータ(全動式尾翼)が共に上を向く。


「前、クリア」朱音が右手で前方を指す。それを見ていた美由紀が同じ動作をする。隼人は操縦桿を右前に移動する。


右前ライト・フォー


「右前、クリア」エルロンとスタビレータが正しく動いているのを確認した朱音の右手が右前を指す。


 同じようにして隼人は操縦桿をライト右後ライト・アフトアフト左後レフト・アフトレフト左前レフト・フォーと時計回りに一周させる。


 F-23の主操縦系統は、VMS(機体管理システムVehicle Management System)-1および2と呼ばれる二重のデジタルFBW(フライ・バイ・ワイヤ)システムから成る。しかも、ハード・ソフト両面でのバグによるトラブルを防ぐために、それぞれ異なるプロセッサ、異なるソフトウェアで構成されていた。


 その操縦系はいわゆるHOTAS(Hands-On Throttle And Stick)と呼ばれる形式であり、右手を操縦桿、左手をスロットルから一切離すことなしに全ての戦闘行為が可能だった。しかしスロットルと操縦桿についているスイッチやボタンは指の数よりも多く、戦闘時のパイロットはピアニストのような正確な指さばきでこれらを操作しなくてはならない。


 プリタキシーチェック、全て終了。朱音が両手で大きく丸を作り、美由紀がそれと同じ動作をして動翼の動作に問題がなかったことをキャビンの二人に伝えた。隼人はちらりと後ろを振り返る。


 巧が親指を立てた右手を掲げていた。チェックは地上要員だけではなくパイロット自身も行わねばならない。だから彼も後ろを振り返って動翼を確認していたのだ。


 朱音が機体各部から外した数本の赤い"Remove Before Flight"タグをまとめて右手に持って掲げる。これは、駐機状態に設定される安全装置が全て解除され、発進準備が完了したことを意味していた。


「レディ フォー ランプアウト。コンタクト タワー、チャンネル ツー(発進準備よし。管制塔とチャンネル2で交信せよ)」と、朱音。


「ゴー、チャンネル ツー。クリア インターフォン ディスコネクト(チャンネル2へ移行。インターフォン取り外し準備よし)。じゃあな、朱音。行ってくるぜ」


「グッドラック!」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る