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「何?」


「一つはこのハチロクのことよ。この機体にはね、FLCS (飛行制御システムFLight Control System)にどうしてもアクセスできないブラックボックスがあるの。それ以外は全て問題ないことは確認したんだけど……それがどうしても気になってね。全ての機能をちゃんとチェックできないと気持ち悪いでしょ?」


 それがあたしがこんな時間までここにいる一番の理由なんだけどね、と、朱音は苦笑しながら付け加える。


「というわけで、あたしがあんたに聞きたいのはそれにアクセスする方法よ」


 だが、巧は眉をひそめてみせる。


「それって、メカニックの担当分野じゃないの?」


「端末つないでブラックボックスにアクセスしようとすると、管理者に問い合わせろ、ってメッセージが出てそれ以上進めないの。で、管理者の名前を調べたらあんただった」


「僕?」


「ええ。聞いた話ではね、『この世界の』あんたはF-23のアビオニクスの開発にも協力してたらしいの。実際にコードも書いたりしてね。そのおかげで、本来なら一年以上は余裕でかかるはずのソフトウェア開発期間が、たった二ヶ月で終わったんだって。しかも086のそれにはスペシャルチューンが施されてて、量産機のヤツより高性能らしいのよ。それが例のブラックボックスなんじゃない?」


「へぇ……そうなのか……」


 確かに巧は、コンピュータに関してはハードもソフトも詳しい方だ、と自負していた。彼は格安のジャンクパーツを集めて自分用のPCを一台組み立てており、さらにそれを使って日常的にプログラミングもしている。


「それもあんたたちの強さの理由の一つなんだよね」と、朱音。「操縦の天才、杉田隼人と、コンピュータ・アビオニクスの天才、風間巧の無敵コンビ。それがスーパーエース『トロポポーズの鷹』なのよ」


「そ、そう……」


 どうやら「この世界の」自分たちはスーパーヒーローのような存在だったらしい。果たして今の自分らに彼らの代わりが務まるんだろうか。巧はだんだん不安になってきた。


「だから、『この世界の』巧ならブラックボックスにアクセスする方法を間違いなく知ってるはずなんだけど……どう、思い出せない?」


「うーん……」


 首をかしげたまま、巧はしばらく腕組みして必死に思い出そうとするが、無駄だった。潔く彼は頭を下げる。


「ごめん、やっぱり分からない……」


 朱音は、ふう、と息をつく。


「と、言うと思った」


「ごめんね……本当に」


「いいよ、気にしないで。それに……今思ったんだけど、ひょっとしたらそういった記憶はわざと封印されてるのかもしれないしね」


「封印?」


「ええ。多分そのブラックボックスの機能を使うと、機体にもクルーにも過大なストレスがかかるんじゃないかな。だから『この世界の』あんたたちが、慣れない間は使えないように仕向けたのかも」


「そう……なのかな?」


「分かんない。あたしの勝手な想像だからね。でも……必要にせまられたら思い出すのかもしれないよ。これも想像にすぎないけど」


 しかしそれは十分にありそうなことだ、と巧は思う。


「あの……ねえ、巧……」


「え?」


 不意に巧は、それまで少々居丈高いたけだかだった朱音の口調が、微妙に変わったことに気づく。


「今までの話とは全然関係無いんだけどさ、あたし、もう一つ、あんたに聞きたいことがあるんだけど……ただ、かなりプライベートなことなんだけど、ね……」


 その言葉に、なぜか巧はどぎまぎしてしまう。


「な、何?」


 朱音は下を向いて少しもじもじしていたが、やがて口を開いた。


「あたしの……父のことなんだけど……」


「チチぃ?」思わず巧は大声を上げてしまう。


 "チチ……って、まさか……?"


 巧の視線が朱音の胸元に移る。白人の血を引くレイに比べればおとなしいものだが、それでも日本人の標準サイズよりは若干大きめと思われる彼女のその部分は、作業服の下からもそれなりに存在感を放っていた。


「……ダラぁ!」


「うわっ!」


 突然左の頬に衝撃を感じて巧はよろける。ふらつきながら正面を見ると、右の拳を握り締めた朱音が、それを振り抜いたポーズのまま固まっていた。


「どこ見とんがいね! もう、そっちのチチやなくてぇンね、おんのことやわいねぇ!」


 怒りと恥ずかしさのためか、朱音の顔は真っ赤に染まっている。左手で頬を押さえたまま巧は聞き返した。


「ご、ごめん……あの、『おとん』ってお父さんのこと?」


「おいね!」


「『おいね』……?」


「あ……」


 そこでようやく朱音は自分が方言丸出しで喋っていたことに気づき、バツの悪そうな顔になる。


「ええと……『おいね』って、この辺の言葉で Yes って意味よ」


「この辺って、能登の?」


「そう。ここから四十キロくらい南に、七尾って街がある……いや、あったんだけど、そこがあたしの地元だよ。能登空港には隣接して航空系の高校があってね、あたしはそこの整備士養成コースに通っていたのよ。でも、ちゃんと学校で勉強できたのは三ヶ月くらいだった。戦争が始まったら、あたしらはいきなり基地勤務になって現場に駆り出されたからね」


「そうなのか……」


「それで……あたしの『お父さん』のことなんだけどね」


 朱音は「お父さん」の部分をわざとらしく強調する。


「あ、ああ……だけどなんで……!?」


 僕にお父さんのことを、と続けようとして、突然、自分の鼻息がかかるような距離に朱音の顔があることに気づいた巧は絶句する。


「え、え……?」


「あたしの顔見て、誰かに似てるって思ったことない?」


 朱音は巧の目の前で、真っすぐに彼を見つめていた。


「う……」


 動揺しながらも巧は目の前の朱音の顔をまじまじと見返す。切れ長の眼差し。やや広い額。整った鼻筋に小さな口。肌は少し日に焼けてはいたが、染みは無くきめ細やかだった。レイのような派手な美しさはないものの、朱音にも日本的美人の資質は十分に備わっている、と巧には思えた。


 ふと、その顔に別な誰かの面影が重なる。確かに目許や顔の輪郭が朱音に似ている。が、巧が知る限り、その人物は男性だった。それも中年の。


 突然その人物の名が巧の脳裏に閃く。


「……橘のおやっさん!」


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