3
夜。
昼間隼人が走っていた整備ハンガーへの通路を、今は巧が一人歩いていた。
入り口の前で、彼は開きかけたハンガーのドアの隙間から明かりが漏れているのに気づく。
"あれ、こんな時間に誰かいるのか……?"
取っ手を持って巧がドアを引くと、軋んだ音がして、ドアの向こうに立っていた人影がビクリと振り向く。
朱音だった。
「巧!……なんだ、もう、びっくりさせないでよ……」朱音は大袈裟に溜息をつく。
「朱音、何してるの? こんな時間に、こんなところで」
「それはあたしが聞きたいよ。巧、あんたこそ何しに来たの?」
「……」巧は返答につまる。実のところ、彼自身にもここに来た理由がはっきりしていなかったのだ。
「いや……なんか、眠れなくてさ。そういう時、『この世界の』僕は、ハチロク(086)のところに来てたような気がして……」
「ふうん……」さも
「なんだよ、飛行機が恋人って……それじゃ変態じゃないか」
「あら、違うの?」
「……」
巧のあからさまにぶすっとした様を見て、朱音はクスクスと笑う。
「うそ、うそ。冗談よ」
朱音の笑顔につられるように、巧も表情を和ませた。
「それで、朱音は何してるの?」
「見ての通り、あんたたちの機体の最終チェックよ。あんたたちを整備不良で死なせるわけにはいかないからね」
「修理は終わったの?」
「とっくにね。見てみる?……ははぁん、どうせ、ちゃんと機体が直ってるか心配で見に来たんじゃないの? 違う?」
"う……"
確かに、巧の中にもそのような思いがないわけではなかった。少しだけ図星を指された彼は、しかしながらその動揺をなるべく見せないように振る舞う。
「いや、そんな……君らの技術を疑ってるわけじゃないけどさ……」
「言っとくけど、ここの設備はね、部品さえあれば戦闘機をまるまる一機新しく組み立てるくらいのことだってできるのよ。見てみなさいって。新品同様になってるから」
「う、うん……」
朱音に促されて、巧はハンガーの奥に進む。百メートル四方くらいの広々としたスペースに、クレーンやジャッキ、メンテナンスドーリーなどの様々な整備用機器が並んでいた。巧はその一角に佇んでいる086と対峙する。
被弾していたキャビン右側面は、見事に修復されていた。
「すごい……ちゃんと直ってる……」巧は思わず感嘆の呟きを漏らす。
「ほうら。やっぱり、疑ってたんだ。どうせこんな女どもにまともに修理なんかできるはずない、とか思ってたんじゃないの?」
朱音の冷ややかな視線に気づいた巧は、あわてて首を振った。
「ち、違うよ。そんなことないって。ただ……あまりにも仕上がりが完璧だから……驚いたんだ。たった四人で、一日でここまでできるなんて……」
「……?」朱音は怪訝そうに眉をしかめるが、やがて納得したようにうなずく。「……あ、もしかして、あんたたちは知らないの?」
「え?」
「修理やメンテナンスは機械がほとんど自動的に行うのよ。そこは中ロ連合軍もいっしょ。ただ、中ロ基地はAIで完全自動化してるけど、あたしらはAIは使えないからね。その代わりにあたしら自身が作業すべき箇所を判断して、機器をプログラミングして動かす。あたしらメカニックのメインの仕事は、大体そんなとこね」
「あ、そうなんだ……」
巧が周囲を見回すと、各種のマニピュレータアームを数本備えた、自走式のロボットがそこかしこに配置されていた。
「でも、あたしはこうして最後に自分の目でチェックしないと気が済まなくてさ。点検は目視に勝るものはないし」
「だからこんな時間でもここにいて、点検してるんだ」
「うん……まあ、ね。確かにそれもあるんだけど……」
朱音はそこで言葉を切り、振りかえって巧を真っすぐに見つめる。
「ねえ、巧……」
「え?」
「あんた、『この世界の自分たちの記憶が一部受け継がれている』って言ってたよね」
「う、うん」
「それってどんな感じなの?」
「どんな感じって……うーん、なんて言うのかな……この世界の僕が体で身につけたもの、無意識にできることは、多分ほぼ完全に受け継がれていると思う。だから、飛行機の操縦や、
「ふうん」
「だけど、この世界の彼らの個人的な記憶は……断片的にしか分からない。何げない拍子に、ふと思い出すこともあるけど……」
「そうなんだ」
「でも、いくら『自分』って言っても全然違う人生を歩んできているんだから、人格も当然違うだろう。はっきり言って別人だよ。そんな別人の記憶がいきなり自分の心の中に入って来たら、きっと混乱すると思うんだ。だから……簡単には思い出せないんじゃないかなあ。レイからも、『この世界の』僕らの経歴が書かれた書類を渡されたんだけど……読んでみても全然実感できない、というか、他人にしか思えないんだ」
「へぇ……その書類、なんて書いてあったの?」
「ええと……確か、中学三年の終わりごろに戦争が始まって、僕と隼人は高一の八月に、当時航空自衛隊に新設された予科航空学生制度の第一期生に選抜された……らしい」
「ああ、通称『予科練』ね。本来なら何年もかかるパイロット養成課程を、わずか半年で済ませてしまうんだから、ものすごいスパルタ教育よね。だけどあんたたちは、確かずば抜けてトップの成績でそこを修了したんでしょ?」
「よく知ってるね。確かに、主席は隼人。次席が僕だった。それで、最初に配属されたのが……」
「百里の五〇一飛行隊でしょ? 偵察部隊の。あんたたちが最初に乗ったのはRF-4EJ。偵察機と言っても、もともと戦闘機のF-4EJファントムを偵察用に改修した機体だから、バルカン砲が残されてたんだよね。それであんたたちは、ミッションの途中で出くわした米軍機と空中戦をやらかして、撃墜しちゃったのよ。それもTR(訓練過程)が終わった直後だってのにね」
「その通り」うなずきながら、巧は苦笑する。「なんだか、朱音の方が僕よりもよっぽどこの世界の僕らのことを知ってるみたいだよ」
「そりゃあそうよ。有名な話だもの。あんたたちの伝説はね」
「で、伝説……?」
「そう言われてもおかしくないことを、あんたたちはやってのけた、ってことよ。そしてその伝説のおかげで、あんたたちは統合軍編入後、新田原基地で行われてたF-23開発プロジェクトのテストパイロットに選ばれたんだから。違う?」
「いや、確かにその通りだ。全部、『この世界の』僕らの話だけどね」巧は"この世界の"という言葉を強調する。
「あ、ええ、そうね。それで、『この世界の』あんたたちは、この『ハチロク』の専属パイロットとして様々なテスト飛行を担当した。もともとファントムは操縦が難しい機体だったから、それを完璧に乗りこなしたあんたたちにとっては、新鋭機の操縦なんか余裕の範囲、ってことよね。そしてそのまま実戦に出て、新たに『トロポポーズの鷹」としての伝説を作り上げ、今に至る、と」
「そういうこと……みたいだね。なんで『トロポポーズの鷹』なのかイマイチわかんないけど」
「ったく……そんな大事なことも知らないとはねえ」朱音は、ふう、と一つ溜息をついた。
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