第二章 「 初 陣 」 Chapter 2 - First Mission -

1

 規則正しい足音が基地の廊下に響く。


 Tシャツにジャージパンツ姿で、息を弾ませながら走っているのは、隼人だった。


 部活を辞めて二週間ほど経ち、自分の体がどれほどなまっているのかを確認するために始めたランニングだったが、その衰えが予想以上であったことを、彼は今更ながら思い知らされていた。


「はぁっ……はぁっ……」


 呼吸が荒くなってきた。右手の甲で額の汗を拭い、隼人は少しペースを落とす。


「あ、ハッチさん! お疲れさまです!」


 廊下の曲がり角から現れた、管制官の水木みずき真奈美まなみ准尉と要撃士官の岡田おかだ里奈りな准尉が、隼人に気づき敬礼した。


「よ、御苦労さん」すれ違いざまに隼人も答礼する。


「……」


 二人は遠ざかって行く隼人の後ろ姿をしばし見送る。その眼差しは、憧れの男子先輩を見つめる女子高生のようにうっとりとしていた。


 それも当然である。真奈美と里奈は共に十六才。学年で言えば、まさしく高校二年生に他ならない。


 二週間前、最後の作戦が終わり、二人は全てをレイと朱音に託して他の仲間と共に人工冬眠に入った。次に目覚めるのは、戦争が終わり平和が訪れている時だと信じつつ。


 しかしながら、その期待はあっけなく裏切られた。他の三人と共に冬眠状態から回復させられ、朱音からまだ戦争が続いていることを聞かされた時には、さすがに二人とも落胆を隠せなかった。


 だが、レイから隼人と巧の存在を知らされた瞬間、一転して二人は共に目覚めた仲間たちと喜んだものだった。


 "「トロポポーズの鷹」がこの基地にいる!"


 その事実は、二人の失望を希望へと一気に塗り替えるほどに強烈な力を持っていた。


 「トロポポーズの鷹」の勇名は世界中に轟いており、空軍関係者でその名を知らないものはいないと言っても過言ではない。その伝説のスーパーエース、奇跡の撃墜王がこの基地にやってきたのだ。しかも当面この基地をホームベースとするという。基地のスタッフとして心踊らずにはいられない。


 真奈美も理奈も、「トロポポーズの鷹」の二人なら、これまで何度も裏切られ続けてきたささやかな望みを叶えてくれるのではないか、という期待を胸に抱いていた。


 その望みとは、


「基地から出撃して行ったパイロットが、無事に帰還すること」


 だった。本来ならそれは至極当然のはずだが、彼女たちが基地で任務を司るようになった頃には、既に全くそうではなくなっていたのだった。


---


 いつのまにか隼人は、地下の整備ハンガーの入り口にたどり着いていた。するといきなり入り口のドアが開き、整備班の守川もりかわ美由紀みゆき曹長がひょこっと顔を出して訝しげに見回すが、隼人を見つけるとすぐに表情を緩める。


「あ、ハッチさんだったんですか。走ってくる足音がするから誰かと思いましたよ。どうしたんですか?」


 美由紀も先の二人と同い年で、共に冬眠から目覚めた一人だった。少しくせのある髪を頭の後ろにまとめて縛っている。あどけない顔立ちは年齢より若干幼く見えるが、彼女は主任である朱音に次いで、整備班の実質ナンバー2という立場を担っていた。


「あ、いや、ちょっと、ランニングしてたもんでな」


 息がかなり切れていたが、女の子の手前バテている様子は見せまいと、隼人は平常の呼吸を無理に装う。


「そうなんですか。さすがパイロット、体力作りが欠かせないんですね!」


「……あ、ああ」


 美由紀の明るい笑顔に対し、曖昧な表情で隼人は応える。息は相変わらず苦しかった。が、もう少しで落ち着きそうだ。


 彼が走っている目的は、もちろん体力作りなどではなかった。そもそも隼人と巧にとって初飛行となるミッションは明日なのだ。そのための体力作りのつもりなら、今から走ったところで到底間に合うはずもない。


 しかし、それでも彼は走らずにいられなかった。体を動かしていれば気が紛れる。戦いに対する恐怖、あれほど嫌いだった飛行機を、自ら操縦するという矛盾感……それらは漠然としてはいたが、常に彼の頭の中から離れることはなかった。


「あ、そうそう、機体見ましたよ。キャビンの右側面、大穴開いてるじゃないですか。よくあれでご無事でしたねぇ。やっぱりお二人は運が強いんですね」


 美由紀の何げない言葉に、隼人は一瞬ギクリとする。


「あ、ああ、全く、な……」


 彼らが「この世界の」人間ではない、という事実は、レイと朱音だけが知る秘密として、新たに冬眠から目覚めた五人には伏せられていた。そのために、朱音は彼らの機体のキャビンをいち早く掃除し、血糊を完全に拭き取らなければならなかった。


「とりあえず補修はほとんど終わりました。明日は百パーセント性能を発揮できると思いますよ」


 美由紀が白い歯を見せると、つられるように隼人も笑顔になる。


「ああ……ありがとな」


「それで、燃料ですけど、胴体内の1番から4番までを満タン、でよかったですよね?」


「……え?」首にかけたタオルで汗を拭っていた隼人は、その手を止めて怪訝そうに美由紀の方を向く。「あれ、5,6も入れてフルタンに変更されたはずだが。伝わってないのか?」


 F-23の燃料タンクは、胴体の中央部の1番、2番、胴体後部の3番、4番、両主翼内の5番、6番と合計六つあった。


「ええっ?  どこまで行くつもりなんですか? フライトプラン見ましたけど、あれなら胴体内だけで十分ですよ」


「燃料は余ってるんだろ? だったらいいじゃないか。確かにあの距離を普通に飛ぶだけなら胴体内でも十分だけど、途中で何があるかわからんからな。だから全部満タンってことにしたんだ。朱音にも話は付けてある」


 隼人の言うとおり、フルに燃料を携行したいという彼の申し出は、既に朱音とレイに許可されていた。だが、彼はその本当の意図を二人に隠したままだった。もちろん美由紀にも話すつもりは無い。


「……だけど、SPK39 (偵察用ポッド)積むんですから、そんなに燃料入れたらさらに機体が重くなりますよ? それでもいいんですか?」


「ノープロブレム。今回は武装は機関砲以外にないからその分重量は軽くなる。それに、いざ、って時にAB (アフターバーナー) 全開で逃げるためにも、燃料は必要だろ?」


「もう……燃料も武器も、今は一機しかないから十分にある、ってだけなんですからね。この先補給の目処もないんですから、無駄遣いできないんですよ?」


「分かってるって。余ったら捨てないで持って帰るから。約束する」


「了解しました。それじゃチーフに確認取って、その通りにいたします。それでは、失礼します」


「ああ、守川曹長、ちょっと待って」


「……え?」


 敬礼してハンガーの中に戻って行こうとする美由紀の足が止まり、彼女は再び隼人に向き直る。


「なんですか?」


「いや、あの……つかぬことを聞くけどさ」


「はい?」


「その……この基地って、女子しかいないわけ……?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る