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「え、ええ……」朱音はモニターに目を移す。「そうね……とりあえず、離着陸、通常飛行、AC(空中戦Air Combat)の全てであなたたち二人とも標準以上、間違いなくベテランパイロットの域に入るでしょうね。今まで一度も操縦経験がないなんて、とても信じられない」


「……そうか」


 それだけを呟いて再び押し黙った隼人の前に、いつの間にかレイが彼を見下ろすように立っていた。


「それで隼人、あなたはどうするつもりなの?」


 隼人は無言のまま、うなだれている。


「隼人……?」


「分かってる」ぶっきらぼうに言いながら顔を上げ、隼人はレイを睨みつけた。「いいさ、やってやる。パイロットになってやるさ。このシミュレーションでどうやら俺にも出来そうだって分かったからな。だけど、だけどなぁ……」


「だけど……?」けげんそうな顔で、それでもレイは隼人を見つめ続ける。


「俺は……俺は、自分が信じられねぇ……」隼人は悔しそうにこぶしを握り締めていた。


「確かに俺は、シミュレーションの中で飛行機を思いどおりに動かすことができた。そして俺は……それが嬉しかった。わくわくしたんだ! 俺はどうしてもそれが許せねぇんだよ!」


「なぜ許せないの?」


「言っただろ? 俺は飛行機を憎んでいたはずなんだ。ずっと親父の仇だと思ってた……だから、本当ならこんなことで……とても喜べないはずなのに……それなのに、俺は……くそっ!」


 吐き捨てるようにそう言って目を臥せる隼人を、しばらく見つめていたレイの顔に、優しい微笑みが浮かぶ。


「隼人……あなたが今感じている、飛行機を思いどおりに飛ばせることが嬉しいって気持ち、あなたのお父様も同じように感じていたんじゃないのかな。何となくだけど、私はそう思うの」


「……」


 黙ったままの隼人の顔色を慎重にうかがいながら、レイは続けた。


「あなたのお父様は、あなたにもパイロットになってそれを感じて欲しかったんじゃない?……違っていたら申し訳ないけど」


「……」相変わらず隼人は無言でうつむいていたが、レイの言葉を否定する素振りは見せなかった。実際、彼自身も父の事故の前まではパイロットになりたいと望んでいたし、そう言うと彼の父も喜んだものだった。


 彼がヒステリックに反応しなかったことに安心したレイは、さらに言葉を続ける。


「だから、あなたのお父様も……今のあなたを見たら、きっと喜んでいると思う」


「ああ」隼人は再び顔を上げた。「それだって、お前に言われなくても良く分かってる。親父がそう思ってただろう、ってことも、俺がそれを認めなきゃならない、ってことも、全て、な。少なくとも、頭では理解してる……つもりだ」


「だったら、それでいいんじゃないの?」


「いや……いくら頭で理解したつもりでも、心はそんなに簡単に割り切れねえよ。今までずっと憎んでいたものに乗っかって、喜々としている方がおかしいだろ? でも、俺はそうなんだ。そういうおかしい奴なんだよ……」


 腰を下ろしたまま辛そうに頭を抱える隼人の目線に合わせるように、レイがしゃがみこんだ。


「ねえ、隼人」


「な、なんだよ?」視線を声の方に向けた瞬間、目の前にレイの顔があるのに気づき、隼人はドキリとする。


「私はあなたが無理して割りきる必要なんかないと思うの。ううん、むしろあなたの今のその気持ち、大事にするべきかもしれない。そうすれば、あなたは素晴らしいパイロットになれる、と思う」


「……はぁ?」隼人は訝しげに眉根を寄せる。「どういう意味だ? 何でそう言えるんだよ?」


「戦闘機で大空を自由に飛びまわるのは魅力的なことだと、私も思う。だけど、パイロットはそれに夢中になり過ぎてはいけないのよ。自分の技量を過信せず、常に自分を冷静に見つめ直す。そういうネガティブ・フィードバックが必要なの」


「……」


「私、シミュレータの中のあなたの様子をずっと見てたけど、あなたはずっと冷静だった。悪く言えば、すごく冷めてた。でも、判断は常に的確だった。それはとても大事なことよ。空中戦は熱くなれば勝てる、ってものじゃないでしょ?」


「……まあな」


「だから私、あなたと巧なら、きっと超一流の戦闘機パイロットコンビ、『トロポポーズの鷹』として十分やっていけると思う。私、パイロットを見る目はある方だって自負してるの。その私がお世辞抜きで言うんだから間違いないって」


「ったく……えらそうな口を聞きやがって」隼人は苦笑しながら立ち上がる。「何だか、うまく丸め込まれちまったような気もするが……どっちにしても、お前らには命を助けてもらった借りがあるからな。それだけは返さねえと俺の気がすまねえよ。だから、俺はやる」


「分かった。巧も……それでいい?」レイも立ち上がり、巧をちらりと振り返った。


「ああ。もちろんだよ」


 巧がうなずいたのを確認して、レイはキリリと表情を引き締める。


「それでは、現時点をもってあなたたちを、当基地所属の戦闘機パイロットとみなします。階級は、『この世界の』あなたたちと同じ、大尉。私は一応基地指令として少佐扱いだから、あなたたちにとっては上官になるけどね」


「げ……マジかよ……」隼人は目を丸くする。「十八で少佐になれるもんなのか? お前、実はすごい奴なんだな」


 隼人がそう言うと、レイは即座に首を振ってみせる。


「ううん。別に著しい戦果をあげたりしたわけじゃないから。ただ単に命令系統を明確にするために少佐の階級が与えられた、という、便宜上の話。単なる肩書にすぎない。だから普段は同い年ってことで、これまでどおりにしてくれて結構よ。ただし」


 レイの眼鏡がキラリと冷たく光る。


「あなたたちはもう軍人なんだから、規律、そして命令には必ず従ってもらうからね。今回のように脱走するなんて事は、もう絶対に許されない。いい?」


「分かったよ……いや、了解であります、少佐どの」隼人はわざと大袈裟にひじを上げて敬礼をしてみせた。


「私は、あなたたちのフライトをできる限り地上から支えます。よろしくお願い、ね」レイは笑顔を隼人に向けて右手を差し出す。


「ああ。よろしくな」隼人もレイの手を自らの手で握り締めた。


「巧も……」


「う、うん……」レイに目で促されて、巧も握手を交わす。


「あんたたちの機体が地上にいる間は、あたしが面倒見るからね。常に性能を百パーセント発揮できるように、気合入れて整備するからさ。安心して任せてくれる?」


 朱音はそう言って人懐こそうな微笑みを浮かべ、レイと同様に右手を差し出す。その笑顔を、何故か巧は一瞬、どこかで見たような気がした。


「ああ……よろしく頼むぜ、機付長きづけちょうさん」


「よろしく……」


 二人は代わる代わる朱音の右手を握る。


 それが、「トロポポーズの鷹」の、新たなる伝説が始まった瞬間だった。


(第二章に続く)

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