10
「……」
隼人は無言でレイから目を逸らす。彼の口からは何も聞けそうもない、と悟ったレイは視線を巧に移した。
巧も躊躇していたが、やがてゆっくりと語り始める。
「隼人の父親の三郎叔父さんは、自衛隊の救難機U-141のパイロットだったんだよ。もともと戦闘機乗りで、アクロバット飛行をさせたらブルーインパルス(航空自衛隊の曲技飛行チーム)並みだって言われてた。でも叔父さんは、やっぱり人を殺すための機体よりも人を助ける機体の方がいい、って言って救難隊に異動したんだ。だけど四年前、台風で孤立した地域に緊急支援物資を投下して帰投する途中……悪天候に巻き込まれて墜落し……亡くなってしまったんだ……」
「そんなことがあったの……」レイは辛そうに俯く。「それじゃ、隼人にとって飛行機はお父様の仇なのね。それで嫌いになったの」
「……」隼人はレイに背を向けたまま応えない。が、その背中がかすかな同意を示していた。
「だとしたら、私からはもう何も言えない。だけど、もしあなたたちが乗れないとなれば私と朱音が 086に乗ることになるけど」
「……何だと?」隼人はギョッとしてレイの方を向く。「お前ら、操縦出来るのかよ?」
「一応ね。朱音は実機の経験もあるけど私はシミュレータの経験しかないから、出来たとしてもバックシーターだけど。朱音にしても、単独では二〇時間程度しか飛んでないのよ。ね、そうでしょ?」
「ええ、そんなものね」と、朱音。「レシプロの練習機で、通常飛行と離着陸が辛うじて満足にできる程度よ。当然、戦闘機課程は未経験。だけど、あんたらがやらないのなら、あたしがやるしかない」
「……」隼人は固く唇を結んだまま、沈黙する。
「巧も乗る気はないの?」
レイは巧の方を向く。
「いや、僕はやるよ。一人でもね」レイの瞳をしっかりと見据え、巧は言いきった。
「マジかよ……」呆然とした様子で、隼人。
「そう」意外そうにレイが言う。が、やがて彼女は表情を和らげ、「結論は急がなくても結構よ。あなたもよく考えてね」と言って朱音と何事か相談し始めた。そして彼女は、
「基地の中を案内するから、二人ともついて来てくれる?」
と言いながら二人に向かって手招きする。
「……」
二人は無言で互いに目を合わせた後、うなずき歩きだすが、すぐに巧は086を振り返って立ち止まる。
美しく優雅な機体だった。彼はしばしその姿に見とれる。
「巧! 何やってんだ! 早く来いよ!」
隼人の大声が、彼を現実に引き戻した。
---
能登基地は、その機能のほぼ全てが地下に収められていた。
巧と隼人はレイと朱音に連れられて基地の設備を次々に見て回った。通路も室内もどこも狭苦しく、各種の配管が剥き出しになっており、あまり空調が効いているようでもないのに、ひんやりとしていた。
"そう言えば、地下は一年中気温が一定なんだっけ……"
何かの本で読んだ知識を、巧は思い出す。
朱音の話すところによると、この世界では能登空港の建設開始前に小松からの自衛隊基地移転が決まり、官民共用の飛行場として運営されることになった。そのため本来の計画よりも滑走路を北側に七〇〇メートルほど土を盛って延長した、とのことだった。その盛り土の延長部分に、地下を含む基地施設のほとんどが作られた、という。
管制塔は完全に無人化されており、地下の管制室では、管制塔に設置されているカメラからの映像がスクリーンに投影され、実際に管制塔にいるのとほぼ変わらない状況で管制が行えるようになっている。
基地の滑走路は東北東(磁方位070)から西南西(磁方位250)に渡っており、全長二七〇〇メートル、幅は四五メートルだった。東北東の滑走路端の路面には25、西南西のそれには07と大きく滑走路番号が書かれていて、これらはそれぞれランウェイ25、ランウェイ07と呼ばれている。
彼ら四人以外の人影は基地内に見あたらない。物資の節約のため、レイと朱音以外の基地運営スタッフは全員冬眠しているのだ。
ここしばらくの半放棄状態ならば確かに二人でも十分だった。しかし086が突然降り立ったために、この基地は再び
案内の途中で朱音は彼らと別れ、規定に従い必要な人員を冬眠から目覚めさせるために、再び地下三階の冬眠シェルターへと向かう。数時間後、この基地の住人はさらに五人ほど増えることになるだろう。
基地見学ツアーの最後、巧と隼人はレイに連れられ、居住区にある士官用の部屋に案内された。
通路の両側に鉄のドアが五つほど並んでおり、二人がその一つのドアを開けて明かりを点けると、コンクリートの打ち抜きの壁に囲まれた六畳ほどの居住スペースがそこにあった。二段ベッドの横に、小さな机と椅子が二つ並んでいる。奥のドアを開けると、トイレとシャワールームがあった。
「とりあえず、ここの部屋を使ってくれる? 今のところ部屋はいくらでも空いてるから、一人が一つの部屋を使ってくれて結構よ。シャワーもトイレも使えると思う。でも水は一日に合計二〇リットル以上使えないから気をつけてね。食事や用が出来たらこちらから呼ぶけど、もしあなたたちの方から連絡したかったら、私は管制室にいるから、インターフォンの一〇一番で呼んでね。他に何か聞きたいことはある?」
隼人と巧が揃って首を横に振るのを見届けると、レイは
「それじゃ、ね」
と言い残して微笑みながら軽く手を振り、踵を返して歩いていく。彼女の後ろ姿が曲がり角に隠れ、足音が完全に消えるまで待ってから、おもむろに隼人が口を開いた。
「なあ、巧……お前、ほんと何考えてんだ?」
「ええっ? 何って……」
「そりゃお前は量子力学とやらに造詣が深いから、今の状況に簡単に納得してしまえるのかもしれねえけど、それにしたってもう少し用心深くなってもいいんじゃねえか? あいつらが本当に俺たちの味方なのかどうか、まだはっきりしていないんだぜ?」
「僕は……二人とも悪い人には見えないけど……」
「ったく、お前はお人好しというか……女どもの色香に惑わされてるだけじゃねえのか?」隼人は横目で巧を見つめる。
「そんなことはないよ! 僕は……」
言いかけて、ふと、巧は隼人が真顔になっていることに気づき、言葉を飲み込む。
「な、なに……?」
怪訝そうに巧が隼人の顔をのぞき込むと、隼人は、
「それとも……お前……」
そう言ったきりしばらく沈黙するが、やがて取って付けた様な笑みを顔に浮かべた。
「いや、なんでもねえ。それよりな、俺はここから抜け出そうと思う」
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