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この世界では、二〇〇〇年代の終わりに量子チップの発明と、それに伴うAIの技術革新が起こり、人間とほぼ同じ程度の推論、判断能力をもつ人工知能が開発されていたのだ。そしてそれを真っ先に軍事利用したのがロシアだった。自国の兵士を戦死させることなく軍事行動を行うために。そして中国軍がいち早くそれに追随した。陸海空のすべてのロシア・中国軍が、軍需生産、補給、兵站も含めてほぼ無人化されるのに、さして時間はかからなかった。しかし……それが悲劇の始まりだった。
H・P・チャンドラー博士……量子AIシステムの生みの親だったアメリカの研究者。ロシア軍のAIも基本的に彼の開発したシステムの発展型だった。しかし彼は四年前、大切な自分の妻と一人娘を反米テロで失い、ノイローゼになってしまっていた。そして『カタストロフ』という世界初の量子ウィルスを作ったのだ。量子ウィルスは量子チップにのみ感染し、複数の属性を重ね合わせていながら人間が観測した時はただ一つの属性しか表さない。そのためウィルスの全貌の把握は困難で、何も対策できなかった。だからそれはあっという間に全ての量子チップに感染し、機能を狂わせてしまった。その結果……完全にAI化されていたロシア・中国軍は、いきなり全人類の敵となった。
まずロシア・中国軍は自国民に対して牙をむき、さらに周辺諸国にも侵攻した。核兵器は使われなかったけど、それでも瞬く間に世界の人口の三分の二が死に絶えた。降伏しようにも、相手は話が全く通じない、融通も利かない機械なのだ。無差別に人間を殺戮するようにプログラムされ、ただそれに従うだけの。
もちろん米NATO連合軍は侵攻に対して戦った。だが、かつてソ連の仮想敵国だったアメリカは、軍事的な研究をし尽くされていた。さらに、無人化されたロシア・中国軍の兵器は極めて強力だった。何と言っても疲れを知らないし睡眠も必要ない。そしてそれらはアメリカとヨーロッパの人口密集地や軍事拠点を徹底的に爆撃した。
「日本も都市という都市は全て爆撃されたの。自衛隊はよく戦ったけど、結局中ロ連合軍の物量にはかなわなかった。次々に基地は潰され、最後まで残った空自の基地は能登と新田原だけになった。その頃、生き残った人間たちはアメリカを中心にして、ロシア・中国の機械化軍団に対抗するために、人類統合軍を作りあげたの。ようやく全ての人類が一つになった……多大の犠牲を払った結果だけど……ね」
そこでレイは一瞬皮肉めいた笑みを浮かべるが、またすぐに真顔に戻って続ける。
「能登と新田原の両基地は統合軍に接収された。だけど、この基地も、今は放棄されたも同然の状況なの。一時は四〇機はいた戦闘機隊も……全滅した」
そう言うと、レイは唇を噛み締めた。
「全滅……!?」巧と隼人は愕然とする。
「ええ」レイは二人から目を逸らし、空を見上げる。「一週間前に最後の作戦で、生き残りの全機が出撃して行ったきり……誰も帰って来なかった……」
「そんな……」と、巧。
「私たちより上の世代のパイロットたちは、この基地が出来た頃には既にほとんど戦死してしまっていた。アメリカで即成課程を修了して、機体と共に帰ってきたパイロットは、私たちとそれほど年の変わらない人たちばかりだった。だけどみな明らかに練度が不足していて、結局彼らも十分な戦果を上げられずに次々に戦死していった。そういった状況はどこも似たようなものだったんだけど……ね」
レイは真っすぐ隼人を見つめる。
「新田原の……というか、『この世界の』あなたたちは例外中の例外だった。どんな作戦も遂行し必ず帰ってくる、奇跡の撃墜王、『トロポポーズの鷹』……」
「それで、今度はその役割を、この全く素人の俺たちに押し付けよう、ということなのか?」
隼人はレイをギロリと睨みつける。しかし彼女は全く臆する様子を見せず、淡々と応えた。
「それは……私たちには何とも言えない。あなたたちの意志に任せるしかないと思う。本当にあなたたちがズブの素人なら、いずれにしても無理ね。ただ、もしあなたたちが出来ると言うのなら、この基地所属のパイロットとして086号機に乗って、戦ってほしい。そしてこの基地を守ってほしい。それが、あなたたち自身をも守るベストな方法だと、私は思う。だけど……」
そこまで言ってレイは、ふっ、と表情を緩める。
「私は、あなたたちに無理強いはできない、とも思ってるの。あなたたちは民間人で、しかも望んでここに来たわけじゃないのでしょう? だから、本来ならあなたたちが戦う筋合いはない、と思うのよ。例え素人じゃないにしてもね」
「だったら話は早いな」そう言ってから隼人は、ふん、と鼻を鳴らす。「俺はやらねえ。冗談じゃねえよ。俺にはこいつを動かす自信はねえし、そもそも俺は飛行機が大嫌いなんだ。まして操縦なんてやれるはずがねえよ!」
「あなた……飛行機が嫌いなの?」レイは眉をひそめてみせた。
「ああ……嫌いだね」
さも当然、とばかりに言い放つ隼人を、ますますレイは訝しげに目を細めながら見つめる。
「どうして?」
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