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「帰れるさ」巧は落ち着いた口調で応える。「この文書にもちゃんと書いてある。おそらく、意識ってのは『パウリの排他律』に従うのかもしれない。だとすれば、一つの世界に同じ人間の意識は一つしか存在できないんだ。『この世界の』彼らがもし目覚めたとしたら、僕らはここにはいられなくなって、元の世界に自動的に帰ることになる。励起状態にあった電子がエネルギーを放出して基底状態に戻るように……」
「だったら早いとこ帰してもらおうぜ! 詳しいことは分かんねえけど、今冬眠してる二人を叩き起こせばいいだけなんだろう?」
「それはできない」意気込む隼人に向かって、レイは首を振る。「彼らは重傷を負っているのよ。今ここには彼らを治療するだけの十分な設備もないし、医療スタッフもいないの。だから応急処置だけして冬眠させるしかなかった。そんな状態で冬眠から目覚めさせれば、確実に彼らを死なせてしまう。おそらくは全く意識を取り戻すこともなく、ね。そうなったら……今の理屈で言えば、あなたたちは二度と元の世界に帰れなくなるんじゃない?」
「その、設備やスタッフは、いつになったら揃うんだよ?」
「分からない。今の日本には、もう存在していないかもしれない」
「何だとぉ!? それじゃ結局いつになっても帰れないんじゃねえのかよ!」
「おそらくアメリカには揃っていると思う。だけど、カプセルをアメリカへ運ぶのは不可能だし、アメリカから設備とスタッフを運ぶにしても、もう少し戦局が良くならないと無理よ」
「くっ……」隼人は唇を噛みしめる。「じゃあ、一体どうすりゃいいって言うんだ……」
「この世界の彼らの言う通り、戦うしか無いんだろうな。僕たち自身が状況を切り開いて行くしか……」
言いかけた巧を、隼人はキッと睨みつけた。
「ふざけんな! そんなことできるわけねぇだろうが! 俺たちは戦闘機パイロットの経験なんか全くねぇんだぞ! 巧! 実際お前だってそうだろうが!」
「……」
巧は応えず、ただじっと隼人を見つめる。そしていきなり立ち上がると、隼人の腕を掴んだ。
「隼人、ちょっと来い」
「な、なんだよ……どこに行くんだよ……」
「いいから! 来いよ!」
「お、おい……巧?」
いつもは穏やかな巧らしからぬ剣幕に驚きながらも、隼人は彼に引きずられるように格納庫を出て、エプロンに向かう。そこに佇んでいる、「この世界の」自分たちの乗機だったという 086号機にかかっている、先ほど自分たちが降りて来たボーディングラダーを、巧は指さした。
「登れ」
「……」
気おされたように、隼人はのろのろと巧の指示に従う。巧自身も後席のラダーに足をかけた。
二人ともキャビンが見渡せる高さまで登ると、巧はラダーに乗ったまま前席に向かって身を乗り出し、前席のパネルにある、黄色と黒の縞の枠で囲まれた赤いスイッチを指さす。
「隼人、あれは何だ?」
「あのなあ、俺にそんなの分かるはずが……」
隼人の言葉が途切れる。表情が変わり、彼の視線は巧の指さしているスイッチに釘付けになった。
数秒後、隼人はかすれた小さい声で呟く。
「……マスター・アーム・スイッチ」
「じゃああれは?」
「スロットル・レバー」
「あれは?」
「マスター・コーション・ランプ」
「……」
「……」
隼人の顔にはありありと困惑の表情が浮かんでいた。
「なぜなんだ……どうして分かっちまうんだよ……何で俺がこんな事知ってなきゃならねぇんだよ……」
「僕らはずっと夢の中で、『この世界の』僕らの戦いを、彼らと共に体験していたんだ。おそらくそうすることで、彼らの記憶の一部が僕らに受け継がれたんだろう。今の僕らは、間違いなく彼らと同様にこいつを飛ばすことができる。少なくとも、僕にはその自信はあるよ」
そう言って巧は086に視線を向ける。
「じゃあ、お前は、あの手紙に書いてある通り、こいつで戦うつもりなのか?」
「そのとおりさ。でも、本来僕の役割は
「……」
隼人はじっと下を向いたまま、顔を上げない。
「隼人……お前はやっぱりパイロットとしてはサラブレッドなんだよ。じいちゃんだけじゃなく……」
そこで巧は口ごもる。が、やがて意を決したように口を開いた。
「サブ叔父さんの血も……」
「やめろ!」隼人が強い口調で遮る。
「すまん……」
やはり言わなければよかった。巧は後悔する。彼にとっての「メグ」がそうであるように、隼人の父の話も、彼らの間ではほとんど交わされることのない
無言でラダーを降り始めた隼人の後を、巧が慌てて追う。
「お、おい、隼人! 待てよ!」
地上に降り立った隼人が、その声に応じたかのように振り返る。
「そもそもお前、よくもそんな簡単に戦うなんて言えるよな。いいか、戦争なんだぞ? 戦う、ってことはな、人を殺すことになるんだぞ? 俺はそんなのは嫌だ! 殺し合いなんかできねえよ!」
しかし巧は首をかしげ、思案顔になる。
「それは違う……と思う。僕らが戦っていた敵機には……確か人は乗ってなかったような……気が……」
「そのとおりよ」いつの間にかレイと朱音が二人の目の前に立っていた。「私たちの敵は人間じゃない。無人の機械よ。より正確に言えば、AIが操る兵器、ね」
「なん……だと?」
訝しげな隼人の顔を見据えたまま、レイは話し始める。
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