5

「!?」一同が巧の方に振り向く。彼は続けた。


「『量子力学の多世界解釈』……エヴェレットという人が最初に唱えた説だけどね」


「リョウシリキガク? なんだそりゃ?」首をひねりながら、隼人。


「量子力学というのは、原子や電子、陽子といった極微ミクロの世界の現象を記述する物理学の理論なんだ。詳しく説明すると長くなるので結論だけ言うけど、エヴェレットは量子力学について、ミクロの世界で『波束の収縮』という現象が起きる度に、世界は複数に分岐していく、という解釈を提唱したんだ。彼の解釈が正しければ、僕らがいる世界の他にも色々な世界が平行して存在していることになるんだが……」


 巧はそこまで一気に説明して、一息つく。


「……はぁ。さすが物理の学年トップだな」隼人の口調には明らかに揶揄が混じっていた。ちなみに隼人は文系クラスであり、数学や物理では巧に全くかなわなかった。


「……そうね。"彼"も確かそんなことを言ってた」


 レイがぼそりと呟く。


「"彼"……?」巧が怪訝な顔でレイを見ると、彼女は慌てて首を振ってみせた。


「ううん、何でもない。それで?」


「……」巧は腑に落ちない顔付きのままだったが、続ける。


「だが……そのような平行世界同士は、一度分岐してしまったら二度と互いに干渉しあわないはずなんだ。それなのにどうして僕らが別な平行世界に来ることができたのか……分からない」


「そうだぜ!」思い出したように隼人が気色ばむ。「何で俺たちはこんなところにいるんだ? 俺たちをここに連れてきたのは何者なんだ? お前らなのか?」


「いいえ」レイは首を横に振った。


「じゃあ、いったい誰なんだよ?」


「それは……」


「心当たりがあるのか?」


「ええ。だけど……たぶん私の言葉だけじゃ信じてもらえないでしょうね」


「何だよそりゃ……」


 何かを考えるようにレイは俯いていたが、やがて顔を上げて二人に言う。


「……会ってみたい?」


「当然だろ!」間髪を入れず隼人が応える。「会ってどういうことなのか説明してもらいてぇよ。出来ればぶん殴ってやりたいところだぜ」


 しかしレイは首を左右に振ってみせた。


「残念だけど……会っても話は出来ない。殴るのも無理」


「なんでだよ?」


「会えば分かるよ。そうね、どちらにしてもあなたたちは一度見ておくべきだと思う。ついて来てくれる?」


「……」


 隼人と巧は一瞬躊躇する。


 目の前にいる女たちが自分たちの味方である保証は無いのだ。どこに連れて行かれるのかも分からないのに、果たして安易に従って良いものなのか。

 しかし、今の彼らは自分たちの置かれた状況が全く分かっていない。ここはとりあえず事情を知る彼女たちから情報を得ておくべきなのかもしれない。


 彼らは互いに目を合わせ、改めてレイに向き直るとゆっくりうなずいた。


「こっちよ」


 手招きして歩き始めたレイと朱音の後に続いて、隼人と巧は格納庫の中へと入る。


 廊下を少し歩くと、よく見る形のエレベータがあった。四人全員がそれに乗ったのを確認し、レイがB3Fのボタンを押す。一瞬、体がふわりと軽くなる感覚。


「あなたたちの世界は今は平和なの?」レイが隣の隼人に問いかける。


「そりゃ……世界のどこかでは戦争は起こってるけど、今のところまだ世界大戦の状態じゃない。少なくとも日本はどことも戦争していない」


 隼人がそう応えると、レイはかすかに口元を歪める。しかしその目は笑っていなかった。


「そう……羨ましい。この世界ではね、ここ数年は世界的な戦争の真っ最中なの。ロシア・中国連合軍と……それ以外のすべてとの、ね」


「マジか……この世界はどうやら俺たちの世界よりも一歩状況が進んでるようだな。ウクライナはどうなったんだ?」


「ウクライナなんか一瞬で消滅したよ。北朝鮮も韓国も……」


「……ちょっと待て」隼人が訝しげに目を細める。「北朝鮮も? それ、どっちかというとロシアや中国と親しい国じゃなかったか?」


「勘違いしないで。国の問題ではないのよ。そもそも、ロシア、中国といった国家自体が真っ先に消滅しているんだもの。日本だって今は国家の体を成しているとはとても言えないし」


「どういうことだ?」


「これは国家同士の戦争じゃないの。言うなれば……機械と人間との戦いよ」


「機械と、人間……?」


「着いたよ」


 地下三階にしては異様に長い時間をかけた後、エレベータはようやく減速を始めた。弱いプラスGが収まり、扉が開く。


 真っ暗だった。空気はひんやりと冷えている。レイが壁のスイッチを操作して明かりをつけると、目の前に潜水艦内のハッチのような、回転ハンドルがついた鉄扉があった。レイがハンドルを回して扉を開ける。その向こうには二畳ほどの空間があり、またも同じような鉄扉が待ち構えていた。今度は朱音がそれを開ける。さらにその向こうには、エレベーターの入り口のような鉄のドアがあった。


「随分と厳重だな……」隼人が誰にともなく呟く。


「そうね。でも、このドアで終わりよ」


 そう言うとレイはドアの横にある一センチ角ほどの大きさのセンサーに指を滑らせ、その上にある小さなレンズを見つめる。指紋と虹彩認証の完了を示す電子音に続き、鈍い機械音が始まると共に、分厚いドアがゆっくりと開いていく。


 ドアの向こうから、肌を刺すような冷気が流れ出してきた。


「寒っ……」巧と隼人は思わず身震いする。


 扉の近くの床に並んで置かれた、長さ二メートル、幅六〇センチ、高さ五〇センチほどの直方体のカプセルが二つ、入り口の照明に照らされて浮かび上がる。それらは巧にどことなく棺を連想させた。


 二つのカプセルのどちらにも、上面の前よりに二〇センチ四方くらいの窓のような四角形があり、側面にホースのようなものがつながれていた。巧はそのホースのもう一方の先を視線で辿ろうとするが、それが続いている部屋の奥の方は真っ暗で、何も見えなかった。


「たぶん、あなたたちをここに連れてきたのは彼らだと思う」レイはカプセルの方を指さす。


「その窓から覗いてみて。顔が見えるから」


 巧と隼人はレイに言われるがままに二〇センチ四方の窓を覗き込み……そして絶句する。


「!!」


 窓のガラス越しにうっすらと見えたのは、明らかに彼ら自身の顔だったのだ。

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