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「……!」


 その人影は、二人の姿に気づくと、凍りついたように立ちすくむ。


「……!」


 巧と隼人も驚きのあまり、声が出ない。


 それは、若い女だった。厚手の布地で出来た作業服のようなものに身を包んでいる。少し汚れた灰色のツナギのそれは、女性らしい体の線を表していた。


 ショートカットの黒い髪。明らかに黄色人種モンゴロイドの肌の色と顔立ち。やや広い額と切れ長の目が印象的だが、幼さが少しだけ残っている。おそらく年齢も巧や隼人とそれほど変わらないのだろう。


「アカネ、どうしたの。何そんなところで突っ立ってるのよ……」


 やや低い女の声がして、ツナギを着た女の背後から、また一つ人影が現れた。


「……あ!」


 彼らを見つけ、やはりぎょっとしたように立ち止まる。巧と隼人はその姿に目を奪われた。


 「アカネ」と呼ばれたツナギの女と同年代か、少し年上くらいの女だった。肩に階級章の付いたライトグレイの半袖ワイシャツと、紺のタイトなスカートを身に纏い、縁無しの眼鏡をかけている。「アカネ」も女性としては背が高いが、その女は彼女よりさらに五センチくらい身長がある。肌は黄色人種のそれだが色白であり、彫りが深く整った顔立ちとあいまって白色人種コーカソイドの血を感じさせた。しかし、何よりもそれを端的に示していたのは、「アカネ」より少し長めの、亜麻色に輝く髪だった。


「メグ……?」


 巧がぼそりと呟いたその声は小さかったが、隼人はそれを聞き逃してはいなかった。


 その女の髪の色と髪形は、確かに隼人にもその名前を思い起こさせた。もう六年前になるだろうか。確かに二人はそう名乗った金髪の少女に出会った。だが、その思い出は深い悲しみに彩られていた。特に、巧にとっては。


「違う。目が青くない」


「……!?」巧は思わず隼人を振り返る。


「あれは、メグじゃねえよ」隼人は巧を見据え、はっきりと告げる。


 そう。メグが彼らの前にいることなど、絶対にありえない。それは巧が一番よく分かっているはずだった。


 "それなのに……やっぱり巧の奴、どうしても忘れることができないのか……"


 隼人がそう思った、その時だった。


「驚いた……彼らの言ったことは本当だったのね。信じられないけど」


 金髪の女が完全にネイティブな日本語の発音でそう言うと、「アカネ」が彼女の方を振り向く。


「レイ……」


「とにかく、挨拶しなきゃ。行こう、アカネ」


「う、うん」


 二人の女は歩き出し、巧と隼人の正面に並んで立つと、背筋を伸ばして挙手の礼をする。


「杉田大尉、風間大尉、能登基地へようこそ。自分は、当基地の最高責任者の篠原レイです。よろしく」と、金髪の女。続いて、ツナギを着た女が言う。


「同じく、当基地の整備主任のたちばな 朱音あかねです」


 "……レイ、か。やっぱりメグじゃないんだ……そうだよな。メグがここにいるはずなんか、ないのに……"


 巧の心の中に六年前の出来事がフラッシュバックする。しかし、今は自分たちの置かれた状況を少しでも把握するのが最優先だった。巧は回想を頭の中から強引に振り払い、レイと朱音の言葉を反すうする。


 "能登基地……だって? 自衛隊にはそんな基地は無かったはずだが……"


「あ……の……確かに俺は杉田で、こいつは風間だけど……『タイイ』って何だ?」


 隼人が明らかに混乱しきった口調で言うと、


「え……」


 レイと朱音がキョトンとして互いの顔を見合わせる。


「ええと、あなたたち、もしかして民間人なの?」と、レイ。


「はぁ? ミンカンジン?」訝しげに隼人が聞き返す。「民間人じゃなきゃ何だって言うんだ?」


「軍人よ。軍のパイロット」レイは即答した。


「はあぁ? グンジン? パイロットだとぉ?」隼人の声はますます大袈裟にトーンが上がっていく。「あのなぁ、俺たちは大学受験を控えた、ただの高校三年生だよ。軍人でもパイロットでも何でもねえ。まあ……巧はシミュレータではかなりの腕だけど、実機の経験は全くねぇさ。な?」


 隼人が水を向けると、巧は曖昧にうなずく。


「あ、ああ……」


「それは本当なの?」レイが眉をひそめる。


「当たり前だろ?」不機嫌を隠さずに、隼人。「どこをどう見たら俺たちが軍人になるんだよ。どう見たって普通の高校生だろうが」


「……そう」


 レイと朱音の顔には、共に失望の色がありありと浮かんでいた。


「そうか。そういう可能性だって、あったわけよね……」レイが独り言のように呟く。


「そんなことよりも、ええと……篠原さんだっけか?」怒りの交じった口調で、隼人。


「あ、"レイ"で結構よ。ちなみに本名は"レイチェル"なんだけど、家族以外はその名では呼ばないから。日本ではずっと"レイ"で通してたの。その方が日本人ぽいしね」


「んじゃ、レイさんよ……」


「ううん、"さん"もいらない。私はあなたたちと同い年タメだもの。この五月に十八になったばかりよ」


「!」


 巧と隼人は内心驚く。彼らの目には、レイは少なくとも二十代前半くらいに映っていたのだ。


「そのかわり、私もあなたたちを下の名前で呼ばせてもらっていい? ええと……"隼人"、に、"巧"、だっけ?」


「あ、ああ……」


 二人が共にうなずくのを見て、レイはニッコリと笑ってみせた。随分と気さくな性格らしい。しかもかなりの美人だ、と巧は思う。朱音を初めて見た時もドキリとしたが、レイには女優のような華やかさがある。


 レイの笑顔にすっかり気勢をそがれた形の隼人だったが、すぐに気を取り直して再び彼女に詰め寄る。


「……で、だな、レイ。話を戻すけど、一体ここはどこなんだ? 俺たちは何でこんなところにいるんだ? もしかして……俺たちはトラックに轢かれて死んで異世界転生したのか? あんたらはチート能力を授ける女神様か何かなのか?」


「ごめん。後半何のことか分からない」レイは苦笑し、続けた。「でも、少なくとも私らは女神じゃないし、ここも……ううん、そうね……」


 そこでレイは少し首をかしげて口ごもるが、やがて腹を決めたかのように巧と隼人に向き直る。


「確かに異世界かもしれないね。ここは、あなたたちがいた世界とは別の世界よ。信じられないとは思うけど……私だって信じられないくらいだものね」


「ええっ!?」と、巧。


「マジで異世界かよ!?」と、隼人。


「ええ。あなたたちの世界と平行に時を刻んでいる、無限にある世界のうちの一つ……なんだと思う。私にも詳しいことは分からないけど」


「……」


 信じられない、とでも言いたげに隼人は首を振る。


「そんなこと……本当にあるのかよ……」


「ある……かもしれない」


 だしぬけに口を開いたのは、巧だった。

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