3

 気がつくと、巧は何か固い椅子のようなものに座っていた。


 そこは目線より若干低い壁に左右を囲まれた、風呂桶のように狭苦しい空間。だが、目の前には電子機器のモニターらしい、十インチほどの大きさの何も映っていない画面が三つ並んでおり、左右は計器類やスイッチ、つまみ、レバーで埋め尽くされている。


 真上を見上げると、カマボコ形の透明なカバーが青空に向かって斜めに跳ね上がっている。その形に巧は見覚えがあった。


 "あれは……戦闘機の天蓋キヤノピー?"


 しかしそれは、巧のいる場所だけを覆うにしては少々長すぎるように見えた。


 ふと、巧は右手の指先に、ぬるっとした感触を覚える。


 "……?"


 右手を持ち上げてみると、指先がねっとりとした赤黒い液体で濡れていた。


 "これは……血!?"


「「うわあああああ!」」


 思わず悲鳴を上げた巧は、それが自分の声だけでないことに気づく。


「……隼人?」


 巧が立ち上がり、正面の計器盤の上から前を覗き込むと、同じように立ち上がった隼人と視線が合った。


 隼人のいる場所もモニター、メーター、スイッチ、レバーに埋め尽くされていた。ただ巧がいる場所と決定的に異なるのは、彼らに向かって斜めに傾いた二十センチメートル四方くらいのガラス板が正面にあり、さらにその向こうにある風防の前面部を通して、真っ直ぐに前方を見渡せる、ということだった。


「巧……俺たち、どうなっちまったんだ? 確かトラックに吹っ飛ばされたはずだろ? なんでこんなところに……」


 隼人に言われて、巧もようやく思い出す。


 "そうか……僕は突然突っ込んだトラックにはねられたんだ。それで血が……あれ? でもどこも痛くないぞ? 体も問題なく動く……"


「あ、そうだ、俺、どっか怪我してるか?」


 隼人も同じことを考えていたのだろう。顔に困惑の表情を浮かべて、しきりに体をひねったり振り向いたりしている。


「いや、どこも怪我してないよ。僕はどう?」


 巧も隼人と同じようにしてみせる。


「……別にどこも怪我してるようには見えないな。どこか痛むのか?」


「いや……どこも痛くない」


「俺もそうだ。うーむ……それじゃ、この血は何なんだ?……そもそも俺たちが乗ってるこれは何だ? ここは一体どこなんだ?」


「……」


 その隼人の質問に巧が答えられるはずもなかった。それでも彼はその答えを探すべく、ぐるりと周りを見渡す。


 彼らの左側一〇メートルほどには二階建てくらいのビルがあり、その隣にも幾つか同じような高さの建物が並んでいる。


 右側は緑に囲まれた、とにかくだだっ広い平地で、それを縦断するように長さ二~三キロメートルはあるであろう、真っ直ぐで広いアスファルトの道路のようなものが伸びていた。しかしその両端はどこにもつながっていない。


 巧は唐突に理解する。あれは空へと続く道なのだ。


「……滑走路? ここはどこかの空港なのか?」


 確かに、手前の二階建のビルの上にはガラスの窓が全周に張り巡らされた展望台のような部分があり、それが管制塔コントロールタワーであろうことは巧にも容易に察しがついた。そして、滑走路の向こうにもう一つ同じような管制塔がある。


 体をねじり、巧は真後ろを振り返った。


「やっぱり……戦闘機じゃないか……」


 彼の眼下に広がる黒い構造物は、まさしくジェット戦闘機の上面に間違いなかった。隼人と巧は、その縦列複座タンデムキャビンのそれぞれ前席、後席にいるのだった。


 左右に伸びているそれぞれの主翼のほぼ中心に小さな赤い丸がそれぞれ一つずつ描かれている。上から見ると菱形のその主翼は、胴体と継ぎ目なくつながっていた。いわゆるブレンデッドウィングボディだ。胴体の後部上面には二枚の尾翼がそれぞれ左右に傾いて立っており、機首から見るとV字を成していた。


 巧は足元に目を移す。前席、後席ともキャビンの右側がかなり損傷しており、シートの右のパネルが固まりかけた血で赤く染まっていた。彼らの指先を汚したのはそれであった。


「……と、とにかく、こんなところにいても始まらねえ。降りてみようぜ」


 隼人はそう言って、前席の左側に設置されている黄色の搭乗はしごボーディングラダーに移り、降りていく。


 同じようなラダーが後席にもかけられていた。それに乗って降りていった巧は、ふとキャビンの側面に機体番号と思しき数字が白く書かれているのに気づく。


 086


 コンクリートの地面に降り立ち、二人は並んで自分たちが乗っていた戦闘機の姿を眺めた。


 機首の先端ノーズコーンは少しだけ上を向いている。胴体の下側に二つ、三次元形状の空気取り入れ口エアインテークが二メートルほどの間を開けて並んでいた。


「どういうことだ……なんで俺たちは戦闘機なんかに乗ってんだよ……」


 隼人は、見たくもない、とでも言いたげに顔を背ける。


「そりゃ、僕も聞きたいよ……」当惑しきった声で、巧。


「なあ、巧、これってF-15か?」


「違う。イーグルじゃないよ。これは……間違いなくYF-23だ……」


 ノースロップ/マクドネル・ダグラスYF-23 ブラック・ウィドウ。かつて、ロッキード・マーティンF-22ラプターと米軍の主力戦闘機の座を争い、敗れた機体だ。YF-23は現在博物館に展示されている二機の試作機以外は全く生産されていないはずだった。


「YF-23? どこの機体だよ?」


「アメリカだよ」


「だけど日の丸付いてるぜ。自衛隊でも使ってたりするのか?」


「いや、自衛隊では使ってないと思う。そもそもこれ、試作で終わった機体なんだよ」


「なんだと……?」


 隼人が言いかけた、その時。


 背後で鉄の扉が軋むような物音がして、二人は同時に振り向く。


 彼らの後ろに並んでいる建物の、一番手前のそれの出入り口が開き、一つの人影が現れた。

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