09.サーディス城壁Ⅱ<チャーム・桃>
先を進むカイルさんの横顔に視線を向ける。
しなやかで大きな手だなと思いながら、隣を歩いていると彼があたしの方を見た。
「どうやら、今のところ人影はないようです」
「このまま何もないといいんですけど」
「そうですね。ただ、用心だけは怠らないようにしますので、アリスさんもそのつもりでいてください」
先を見渡すと、段々と道幅が広くなっているのがわかる。ここまで来ればもう落ちる心配はなさそうだ。
「カイルさん、もう手を離してもらっても大丈夫ですよ。ありがとうございました」
「ええ。確かにそうですね」
思い過ごしではないはず。その言葉には少し元気がないように感じる。
もしかしなくても、彼は置かれた状況に神経をすり減らしているに違いない。
あたしは気晴らしになるような会話のきっかけを探していた。
『アリス、今進んでいる方角に反応が近づきつつある』
(さすがにすぐには無理そうかも……)
『ともあれお手並み拝見だな』
(もう、他人事だと思って!)
さて、離れられないような状況で別行動の提案はありえない。
どうしたものかと考えを巡らせていると、前方から誰かが近づいてくるのが見えた。
それと同時にカイルさんからはあたしを制するように手が伸びてきた。それを受けて立ち止まる。
「ここで待っていてください。あの人物が敵対する意思を持っていた場合、後ろ手でこのように合図をします」
彼は左の手の平を出し親指だけを曲げた。
「あたしはどう動いたらいいですか?」
「いったん来た道を引き返してください」
「でもそれでは、逃げることになります。あたしそれは嫌って言いました」
「いえ、あえてですよ。アリスさんが先んじて動くことで、相手がどういう反応をするのかを見極めたいのです。通常であれば近い僕に来るでしょう。それだけなら問題はありませんが、もしかすると今来た道に誰かが潜んでいる可能性もあります。ですから、その時はすぐに戻ってきてください」
「もしあたしの方に来ようとしたら?」
「そのまま僕が確実に仕留めます。いずれにしても、アリスさんが危惧しているようなことにはさせません」
信じてください、と言い残し彼はあたしのもとを離れていった。
様子を見ているとなにやらさっきの人と話を続けているようで、今すぐ何か起こりそうな雰囲気は感じない。
直後、二人はお辞儀をして別れていく。あたしはすれ違った男性に会釈をしてカイルさんのもとへ駆けていった。
「今の方は?」
「行商人とのことでした。何か入り様ではないかと尋ねられたのですが、丁重にお断りしました」
「そうだったんですね。よかった!」
けれど、あたしの安堵とは反対に彼の表情は硬い。
「ただ、一つ気がかりなことがあります。こういったところに商人は立ち寄りません。おまけに彼は戦えるようには見えませんでしたし、それこそ一人でいれば確実に襲われるでしょう」
「でも、何もされなかったわけですし……?」
「ええ、そうなんですよね。考えすぎてしまうのが僕の悪い癖でして。それでは、気を取り直して行きましょうか」
あたし達は隣り合い再び歩き出した。
『このカイルという男、素性は知れぬがなかなかに頼り甲斐がありそうだ。何事も用心深いくらいが丁度いいとも言うからな』
(うん。あたし一人だったら途中で怖くなってたかも)
『して、お前の信頼には値しそうか?』
(まだはっきりとは言えないけど、もっと一緒にいて話をしてみたいかな)
『ふ、いい兆候だ』
ウィグナーはそれきり何も口にしなくなってしまった。
もちろん銃弾のことは気になってはいるけれど、彼の様子からするとすぐ近くにあるわけでもなさそうだ。
まだ昼過ぎでもあるし、これからなんとか回収できる展開になることを期待しよう。
そう考えていた時だった。
「前方から二人、後方から一人……武器を構えていることから野盗の類です。やはり、先ほどの商人が呼び込み役なのかもしれません」
「あの、このままだと挟み撃ちになってしまいませんか?」
「致し方ありません。交渉の余地は恐らくないでしょうから、すぐに迎え撃ちましょう。アリスさんは僕の背中について、離れないようにしてくださいね」
あたしは彼と背中合わせになり、ウィグナーをこっそり取り出す。
(ねえ、あたしに力を貸して)
『心得た。して、いかようにするつもりだ?』
(カイルさんがこっちを向いてないタイミングで合図をして欲しいの)
『考えたな。ではその時は名を呼ぼう』
前方の二人が無言のまま駆け出してきた。カイルさんは剣を引き抜き、合間にあたしの方を気にしながら構えている。
「カイルさん、こっちはまだ大丈夫そうです」
「危ない時はすぐに呼んでください」
背中越しの短い会話を交わす。
二人組のうちの一人が忍び寄ってくるところまで見届けて、あたしは後方の男に視線を向けた。
すると背後から打ち合うような金属音が耳をつんざく。
あたしが<ショック>を充填し終える頃には、男は近くまで寄ってきていた。
「アリスさん、姿勢はそのままです!」
声に反応して止まったままでいると、何かが風を切る音を立てて肩口から飛んでいく。
男の腕にはナイフのような刃物が二本刺さり、その途端武器を落とし乾いた音が響いた。
「カイルさん、来てますよ!」
すぐに正面に向き直った彼は、そのまま一人を倒したのだろう。男の悲鳴が聞こえてくる。
『アリス、撃て』
黄色のオーラを
雷を纏った弾が飛んでいき、武器を拾い上げたばかりの男は倒れこんだ。
「カイルさん!」
「なっ!? いや、これは――!」
彼は前方の敵の攻撃を弾くと距離を取り、あたしの手を掴んだ。そのまま後方の男をまたぐようにして駆けていく。
「アリスさんはここにいてくださいね」
手を離しすぐに踵を返すと、起き上がろうとしていた男に止めを刺し、続けて追ってきた片割れを流れるような動きで仕留めた。
「ふう、なんとかなりましたね……」
さすがに彼も肩で息をしていて苦しそうだ。
「カイルさん、本当にすごいです!」
「それほどでもありませんよ。しかし、なぜあの男は突然倒れたのでしょう? アリスさんは何か知っていますか?」
彼は不思議そうにううむと考え出した。
「あたしにもわかりません……。でも、チャンスかなって思ったらあなたを呼んでいました」
「その判断のお陰で勝てたようなものです」
戦闘後とは思えないくらいの爽やかな笑顔だ。
『ようやく落ち着いたようだな。反応はこの付近にある』
すっかり忘れていたけれど、こうなったら最終手段を使うしかない。
「あの、カイルさん……! ちょっと折り入ってお話があります!」
「と、突然どうしました?」
顔を近づけた途端、彼には珍しく動揺している。
あたしの気迫が強すぎてしまったせいだろう。
「えっと、トイレに行きたくて! でもこの辺りにはないじゃないですかっ……!」
「なんと……。では周囲を見張っておきましょう。どうかご安心を」
「いいって言うまで絶対に来ないでくださいね」
顔中が熱い。
あたしの女としての恥を引き換えにして、探索ができるようになると、いまだかつてない迅速な動きで弾のありかを探り当てた。
『む、この岩をどうにかせねばならんな』
(ここまできてダメでしたとかやめてよね!)
『<アウェイク>があるのを忘れたのか?』
すぐに装填すると、ウィグナーは赤いオーラに包まれ始めた。
続けてこめかみに撃ち込む。
なんだか力が涌いてくるような気がしてきて、試しに岩を押してみた。すると大きな音を立てて動いていく。
(ねえ、なんだかこれすごいことになってない?)
『だが、効果自体はほんの数秒。長時間に渡る戦闘などには向かぬゆえ、
(そううまくはできてないかー)
『しかしアリスよ。微笑みながら自らに撃つとはなかなかに悪趣味ではないか?』
(え、悪い冗談やめてよ。またからかって言ってるんだよね?)
『くくく、無自覚とは恐れ入った』
新たな弾丸<チャーム>は、早くも忘れ去りたい記憶でいっぱいになりそうだ。
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