08.サーディス城壁Ⅰ

「さて、今日のサーディスですが……先に言っておくべきことがあります」


 朝食を摂り終えてカイルさんが重々しく口を開く。


「何か注意するところが?」

「ええ。あそこは城壁――いわゆる長城と呼ばれていて、標高が高いうえ距離があります。つまり、到着までに時間が掛かってしまうのです」


 彼が言うには三つ問題があるそうだ。

 一つは気温の低さ。

 二つは最低でも一日野宿を挟むこと。


「三つ目はなんでしょう?」

「これが一番の問題で、観光客を狙う荒くれ者の根城が近場に存在しています」

「今までとは比べ物になりませんね……」

「大変危険な道程になると思います。ですからアリスさん、悪いことは言いませんからここはやめておきましょう」


 彼にいつものような笑顔はない。


『我に尋ねないのだな?』

(自分で決断していかないとだめだと思うから)

『そうだ、それでいい。だが、もし不安ならば助言しておく。無理をしてすべてを取らずともさして問題はないはずだ』


 ウィグナーはそう言うけれどできるかぎりの万全を期したい。

 それ以上に、あたしは困難に対して退いたという事実を残してしまいたくない。


「無理を言っているのは承知しています。でもあたし、どうしても行かなくてはならない理由があるんです。足手纏いにならないようにしますから連れていってください」


 目を逸らさないようにして言い切ると、少し間が空いてようやくカイルさんの表情が動いた。


「……そこまで言われては断れませんね。ですが、今回はしっかりと前準備をしておきましょう。そしてこれだけは守って欲しいのですが、いざという時は僕がひきつけますので、その間にアリスさんは逃走を図ってください」

「だめですよ。あたしそんなことできません! ねえカイルさん、絶対に一緒に帰りましょう?」

「なんだか不思議ですね。アリスさんにそう言われると、不安がなくなっていくような気がしてなりません」


 そうして、あたし達はお店で防寒着や食料などの準備を整えると町を発つ。

 ほどなくして緩やかな山道に入った。初めこそは暖かな気候だったけれど、あゆみを運ぶにつれて段々と肌寒く空気が薄くなっていくのを感じる。防寒着に身を包み、吐く息が白くなる頃には日が落ち始めていた。


「今日はこちらで野営をしましょう」


 そう言うとカイルさんは荷物を下ろし、周囲から集めた薪に火をつけようとしていた。あたしが慣れない食事の準備に苦戦していると、彼が途中から手伝ってくれてようやく完成した。


「あの、どうかしましたか?」


 食事の終わり際に視線を感じるとあたしは首を傾げた。


「アリスさんの言っていた、あえて行かなければならない理由が気になっていて。もし言いにくいことでしたら流してくださって結構です」

「途方もなく大きな目標があって、そのために必要なことと言いますか。すみません、今言えるのはこのくらいしか」

「なるほど、目標ですか。どことなくですがわかる気がします。――それでは、アリスさんから先に休んでくださいね」


 夜は交代で見張りをしながらお互いに仮眠を取る。

 そうして日が昇ってくると再び登り始め、ついに石畳の道が見えてきた。


「わあ、すごいですね……!」

「あれがサーディス城壁です。先に行けば行くほど絶景が拝めますよ」


 周囲の警戒を怠ることなく、それと同時に景色を楽しみながら進んでいく。山の時とは打って変わって足取りが軽くなるのを感じた。

 それはカイルさんも同じだったようで、段々とはやるように先を歩き出す。

 あたしもそのあとについていこうとするけれど、突然目の前の景色が歪み、ふらふらと足元が覚束なくなった。


「アリスさん?」


 気付けば彼が戻ってきていて、あたしの手を握っていた。


「あれ、急にめまいがして……」

「危うく落下するかと思いました。すみません、完全に僕の不注意ですね。ここで少し休んでいきましょう」

「いえ。このままでいてもらえるなら、なんとか歩けそうです」

「わかりました。それでは、僭越ながらエスコートいたします」


 あれ。なんだかこれいいかも?


「あの、突然ですけど変なこと言っていいですか?」

「なんなりとどうぞ」

「『お手をどうぞ』みたいなことを言ってもらえると嬉しいなって。あ、ご迷惑なら断ってください……」

「畏まりました。お手をどうぞ、アリスお嬢様」


 彼はかしずいて微笑み、あたしの手を取るとそのまま半歩ほど先を歩き始めた。

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