03.故郷の街ラナⅢ
「ごめん、よく聞こえなかった。もう一回言って?」
『母親を撃てと言っているのだ』
「この銃、やっぱり捨てよう」
『無駄だ』
窓から投げてもすぐに戻ってくる。
どういう仕組みなのかはさておき、朝からこのやり取りはもう三度目になる。
ウィグナーはあたしの反応を見て楽しんでいるわけではなく、どうやら本気で言っている気がしてきた。
「そもそも、どうしたら撃てなんてことになるのよ。あの時みたいに電撃が出ちゃうんじゃないの?」
『撃てばわかると言っているだろう』
「ちゃんと説明してくれないと怖くて試せないの」
『まったく、子供のような娘だな』
「むっかー。あたし、子供じゃありませんけど!」
「アリス、さっきから誰と喋っているの?」
ドアの向こう側からお母さんの声が聞こえてきた。
「え、それ多分あたしじゃないよ。誰もいないのに一人で喋るわけないじゃない!」
「それもそうよね」と返ってくると足音が遠くなっていく。
『うっかり言い忘れていたが、実際に声に出さなくとも会話自体は可能だ』
(ちょっと、もっと早く言ってくれてもいいじゃない!)
ウィグナーはそれはもう愉快そうに笑った。
やっぱり彼は、あたしの反応を見て楽しんでいるのかもしれない。
(で……その弾に切り替えて撃つわけね。どうやればいいの?)
『安心しろ、今回に限っては
(もしかして、その人って……)
『本懐を遂げられなかったとだけ言っておこう』
(そっか。だったらちゃんと使ってあげないとね)
『ああ、そうするがいい』
お母さんが起きているうちにやるとなると、ただ単に銃口を向けてしまう形になる。気持ち的にはそれだけは避けたい。
ひとまず寝ている深夜に決行することにして、いったんウィグナーを鞄の中にしまうと仕事に出かけた。
雨の日の今日もパンを売っている。
客足はいつもより少なく、落ち着いた店内中にいい匂いが漂うとお腹が鳴りそうになる。
それを我慢しての昼食は格段に美味しくて、あたしは今か今かと待ちわびてしまうのだ。
そんな中からんからんと音が鳴り、店の扉が開くと見覚えのある男の人が入ってきた。
「すみません、少し雨宿りをさせてもらっても――」
「あ、昨日の旅人さん? どうぞこちらに!」
彼は傘を持っていなかったようで、頭から肩までずぶ濡れになっている。
アリエスさんに促されあたしは彼にタオルを手渡した。
「なにからなにまでありがとうございます。まさか、こちらで働いているとは思いませんでした」
「いえ、あたしは別になにも……。そうだ。昨日のお菓子のお礼もしたいですし、お名前を聞いてもいいですか? あたしはアリスです」
「僕はカイルと言います。いえ、礼はそのお気持ちだけで結構ですよ」
「でも……」
「でしたらこうしましょう。アリスさんしか知らない、とっておきの場所を僕だけに教えてもらえませんか?」
カイルさんは顔をぐっと近づけてウインクする。
彼の睫毛の長さがよくわかり印象的に映った。
「本当にそんなことでいいんですか?」
「それがいいんです」と笑顔を向けられ、透き通るような青い瞳に吸い込まれそうになる。
「ここは子供の頃からの秘密の場所なんですけど――」
あたしが耳元で小さく囁くと、彼は人懐っこい表情をしてそれを聞いていた。
買ってくれたパンにいくつか内緒でおまけをつけて手渡す。
それではと、彼が店を出る頃には雨はすっかりあがっていた。
『なにやら浮かれているようだな?』
帰りの道を歩いていると、ウィグナーが無遠慮に声を掛けてきた。
(いつもと変わりませんけど?)
『まあそれはどちらでもいい。今宵は決して仕損じるなよ』
(それってお母さんのこと?)
『弾は残り一つだからな。お前が変に躊躇って、外してしまう可能性を考えればあり得ない話ではない』
(だったら、どういう効果か教えてくれてもいいじゃない)
『くく、それは撃ってのお楽しみだ』
(本っ当意地悪なんだから!)
そうして帰宅して食事も終わり、深夜になろうかという頃。
あたしは物音を立てないようにゆっくりと体を起こす。後ろ手にはウィグナーを手にしたまま、部屋を出るとお母さんの寝室へ忍び込んだ。
『落ち着け』
(わかってる)
そっと歩いても床の軋む音がする。
『目を瞑るなよ』
(わかってるって)
段々とベッドに近づいていく。
『出来るだけ至近距離だ』
(うん……)
ついに眠る姿が見えてしまった。
『おい――』
あたしの手は汗でまみれている。早鐘を打つ心臓に浅くなる呼吸。ガタガタと手と足の震えが止まらない。
もしこれで何かあったらどうするの?
それを考えるだけで体は重くなり身動きが取れなくなってしまう。
『聞こえているか、アリス。お前の決断がこれからのお前自身を変えていく。何を恐れることがあるのだ。今は
その声が聞こえると、なぜだか頭が冴えて肩の力が抜けていった。
当たりやすい身体の中心部分に狙いをつけ密着させる。
ゆっくりと息を吸っては吐く。
雑念を取り払い無心。
――あとは、指を掛けるだけでいい。
「お母さんっ……!」
この夜、あたしは世界で一番大事な人に銃口を向けて放った。
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