第31話 推しヒロインは人間に戻る

 ノワールを倒したら力を受け取っている対象が消え去り、これによりベルナデッタは人間に戻れる――とは、ほんの少しの希望を込めて考えなくもなかったが。


 今その説が正しいことが証明された。同時に、まずい事態に陥ってしまった。


 まさかそれを逆手に取るとは思わなかったし、ノワールのこれまでの言動からして、絶対にベルナデッタを手放さないと考えていたんだがな……!




「……シュヴァルツ、私、私っ……」

「何も言うな。今はこの場を切り抜けることに専念するぞ」



 魔力を失った反動からか、ベルナデッタは上手く身体を動かせない。攻撃だって喰らったら一溜りもないはずだ。魔の力を得ていた今までとは違う。


 俺はベルナデッタを庇うように抱えて、大聖堂を走り回る。ノワールはかなり強気になってきており、建物を破壊し直接ダメージを与えるつもりでいる。



「どこに逃げようたって無駄だぞ!? 確実に僕が追い詰め、そして始末するからなぁ!!」


「煙が邪魔で――追跡できんだけだろう!! 見栄を張りおって!!」



 走っていると突然空気感が変わる。大聖堂の外に出たことにより、明朝の清々しい大気に包まれたのだ。


 しかしそれは自分達を覆い隠していた煙が消え去ることも意味しており――



「くたばりやがれっ!!」

「なっ!? おのれ……!!」



 頭上からノワールが落ちてきて、再度俺を地面に叩きつけようとする。ベルナデッタを抱えている俺は素早く反応できず、あわや避けられない――



「――がっ!! 生意気な犬畜生が……!!」



 接敵する直前、ヴィヴィがノワールを突き飛ばす。攻撃を避けられた上、ノワールの敵意はヴィヴィに向かっているようだった。




「ヴィヴィ……礼を言うぞ!」

「行ってください、魔王様! 私が時間を稼いでいる間に――ベルちゃんを!!」


「ヴィヴィさん!! そんなの嫌だよ……!!」

「私はいつでも貴女の幸せを願っているわ――さあ『黒竜王』、お二人を殺すのなら私を相手にしてからよ!!」



 雄叫びを上げたかと思うと、ヴィヴィはノワールに突撃していく。彼女から放たれる覇気は、他の人狼とは一線を画していた。



「保護者面しやがって……!! 言われなくても、その鼻へし折ってやる!!」

「ヴィヴィさん、ヴィヴィさん……っ!!」



 ベルナデッタは俺の腕の中で、彼女に向かって手を伸ばす。俺はそれを振り切り、走り出した。



「――暴れ回るな、ベルナデッタ! 上手く走れん! 奴が稼いでくれた時間を無駄にはできんのだぞ!」

「そんな、嫌だ、ヴィヴィさん……!!」

「見殺しにするわけでない、策を考えるべく距離を置くだけだ……!」



 とにかく、ベルナデッタが人間に戻ってしまった現状から立て直さないといけない。彼女も戦力としてカウントしていたからな。




 あまりにも予想していなかった事態だったので、流石に俺は慌てている。シュヴァルツとしての経験も、これの解決には少し時間が必要だと訴えかけてきている。


 大聖堂を離れ、城下の方に逃げていく――そこには人間との戦いをあらかた終えたであろう魔物達が、大勢待機していた。



「ぎゃーっ!! 魔王様!! ご無事でしたか!!」

「な、何か大聖堂の方から煙が上がっているのですが、一体何事で!?」

「あと人狼共が帰ってこないんですけどあいつら自由すぎやせんか~~!?」



 魔物達があれこれ言ってくるのを一旦押し退け、俺は適当な家に入り込む。不法侵入だがこの際そんなことは言っていられない。



「ノワールはまだ大聖堂にいる。一旦退却し作戦を練り、それから我が対峙する」

「きゃー魔王様かっこいいー!! マジで我々ではどうにもならないんでよろしくお願いしますね!?」


「貴様等にも仕事が残っている、引き続き人間の警戒をしていろ。町を奪還しようと増援が来るぞ」

「承知いたしやした!! この戦い、魔族の完全勝利で終わらせやしょう!!」



 士気が高まる魔物達の声を聞いて、俺は少し落ち着いてきた。やれるという自信には至っていないが、今後については考えられそうだ。




「……とりあえずこれを纏っておけ。布一枚で悪いが」

「今は……そんなことどうでもいいだろ……」

「どうでもいいことを窮地でも大切にするのが、人間らしさというものだろう」



 俺はマントを外し、ベルナデッタに羽織わせる。その温かみによって、彼女の身体の震えが収まってきた。



「また大聖堂に……行くんだよな」

「それしかないだろう。様子をうかがっていたが、もう容赦はせん。遭遇した直後に『アポカリプス』を叩きつけてやる」



 あまりにも焦りすぎたせいで、存在を忘れていた究極魔法。だが思い出せた今、十分に準備をして臨めそうだ。



「その間貴様はここに隠れていろ。戦う力を失ってしまった以上、我の気が散ってしまうだけだ」

「……まだ戦える。貴様が命令してくれればいい」

「む……」



 ベルナデッタは左手の薬指を見せながら、冷静な表情で答える。そうか、俺は解除したわけではないからまだ残っているのか……


 これならベルナデッタを戦線復帰させることができるかもしれないと思った。だがすぐにそんな考えは脳裏から消し、俺は否定を続ける。



「それはできん。貴様はさっき、魔力を失って動けなかっただろう。そこに再び注いでみればどうなる。急な魔力の変化があれば、人間はどうなるのかわからないぞ」

「やってもいないのに何も言えないだろう? 何より貴様、ノワールの神聖魔法相手に痛手を受けていたじゃないか。あれがある以上、一人で行くのは確実とは言えない」


「それが貴様を連れていくという根拠にもならんぞ。最悪究極魔法の威力を強めて、相打ちになればいいからな」

「……! そんなことは言うもんじゃないぞ! それで遺される私の気持ちも考えろ、バカッ!」

「なっ……」



 ベルナデッタに罵倒されてから気づく。俺は今、かつてベルナデッタが辿る予定だった道を、自分の意思で選んで向かおうとしているのだと。



 だがこうなってしまった以上は――それしか残されていないだろう?




「……どうしてそこまでして、我と一緒に行こうとする。『妻』は『夫』の命令を聞いていればいいのだ。口答えはしなくていい……!」

「愛する夫が死地に赴こうとするのを、黙って見届ける妻がいるか!」



 ベルナデッタは、俺の身体をぎゅっと握りしめながら叫ぶ。



「シュヴァルツ、この際だから教えてやる。夫婦とは一心同体なんだ。いざとなったら容易に切り捨てられるものじゃない!」

「……最初は拒否していた癖に、達観したようなことを」


「あなたとの時間が気づかせてくれたんだ。本当に愛しているなら、心配でたまらなくなる。こんな感情を抱かせた貴様の責任でもあるんだぞ、最後まで務めを果たせ!」

「……愛しているのは我も同様だ。なればこそ、貴様を行かせるわけにはいかん」



 思わず本音が出てしまった。本当に愛しているなら、心配で……か。



「ふふっ、言ってくれたな。だったらこういうのはどうだ。私達の愛をノワールに見せつけるということにする。愛は勝つってことをどこまでも証明する、全く酔狂だと思わないか!」

「……ほう」



 それも悪くないなと思ってしまった自分がいる。あとこれまでの主張からして、ベルナデッタは意地でも引かなさそうだ。


 こういう場合はいっそ従えてやった方が、かえって危険が減るかもしれない。理屈じみたことで自分を納得させるが、本当は俺自身も彼女と一緒にいたかったのである。


 仮に死ぬことになったとしても――推しヒロインに見守られつつ逝けるのなら、本望だ。



「それもまた悪くない……享楽で始まった関係には、常に享楽が付き物だ。然らば心の準備をしろ、我の魔力を送り込む」

「ありがとう……! この身体からはノワールの影響が排除されて、本当にあなたのものになるんだ! とても嬉しい!」

「名実共にそういうことになるのか。ああ、悪くないな――」

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