第46話 ◆お嬢サマの反撃
「そろそろ帰ろうか」
「もう帰って大丈夫なんですか?」
「うん」
やったぁーーーーー!!
やっっっっっと帰れる!!
舞台のためとは言え、私よく頑張った!
「めっちゃ嬉しそうだね」
「はい!」
「お疲れ」
主催者に挨拶をするため、私たちは会場内で歓談している烏丸社長のところへと向かった。
途中、飲み物が入ったグラスを持った女性とぶつかりそうになったため、さっと
私が避けたからだろうか。女性はグラスの飲み物を絨毯へとこぼしてしまった。
「大丈夫ですか?」
「……ええ」
女性に声をかけると、ものすごく睨まれた。
……え? 何で?
睨まれた理由が分からない。
ぶつかるのが正解だったのだろうか?
呆然としながら彼女の怒りを受け止めていると、スタッフを呼ぶ理人お兄ちゃんの声が聞こえた。おもむろに女性から視線を外し理人お兄ちゃんの顔を見上げると、気にするなと言わんばかりの双眸で「行こうか」と声をかけられた。
この女性をこのままにしてていいのだろうか?
なのに、理人お兄ちゃんは私の腰を抱きスタスタと歩いていく。表情などはいつもどおりだが、怒ってるような気がした。
「理人お兄ちゃん、怒ってます?」
私、何かしただろうか?
「怒ってないよ。……まだ何か仕掛けてこようとするのに腹が立ってるだけ」
「仕掛け……」
そのときハッとした。
あの女性はわざとだったんだ!
だから、私を睨んでたのか!!
お嬢サマのお友達だろうか。
睨まれた理由が分かったのでホッとした。
蹴兄ちゃん達との練習では、一人で全ての攻撃を避けていた。しかもピンヒールを履いたまま。
だけど実際は、周囲をよく見ている理人お兄ちゃんが、私が動きやすいように腰に回した手に力を入れ補助してくれる。今回もクルリと避けることができた。
理人お兄ちゃんの手によって、ほぼほぼ宙を浮いていたような気もするが……。
「やっと悪意が向けられていたことに気づいたみたいだね」
「はい。なので理人お兄ちゃんの塩対応の理由も分かりました」
「塩対応? あれが普通だけど?」
「え? そうなんですか?」
「うん。俺、女性に対して、相手にしない、優しくしない、構わないって決めてるから」
「…………なるほど」
「調子に乗られると面倒くさい」
「……たしかに」
クソ面倒くさいな。
中学・高校で恋愛が絡む女子の生態は嫌というほど見ている。
いいなと思ってる男子や格好いい男子に一度優しくされただけで、その人のことを好きになり追いかける女子が一定数いることは承知している。
しかも中には、その男の子は自分のことが好きなんだと勘違いする勘違い女子がいることも。
目を覚まして現実をよく見ろ!と言いたい。
……言わんけど。
その中でも一番厄介なのが、片想いしてる男の子が自分とは違う人を想っていると分かったときだ。
ほとんどの女の子は失恋したことを認め諦めるのだが、中にはその女の子に対して攻撃しやがるお腐れ女子もいる。
何度も言うが、そんなお腐れ女子を男の子は好きにならないと思う。私が男なら人を傷つけるような子は絶対に嫌だ!
恋愛が絡んだときの嫉妬は、人間性がよく出ることを私は知っている。
「でも、理人お兄ちゃんは最初に会ったときからずっと優しいですよ?」
「俺が優しくするのは礼桜ちゃんだけだよ」
「知らなかった?」と言って可笑しそうな眼差しを向けてくるから、反応に困った。
◇◇
「社長、私たちはこれで失礼させていただきます」
「あ、ああ、もう帰るのか」
「はい。本日は楽しい催しばかりで、とても有意義な時間でした。より一層彼女が愛おしくなりました。ありがとうございます。では……」
「失礼します」と続けようとしたときだった。
「理人さんっ、もうお帰りになるの?」
「名前で呼ばないでいただけますか」
震え上がるほど冷たい双眸で答える理人お兄ちゃん。
「も、申し訳ありません。九条さんはもうお帰りになるのですか?」
「ええ。彼女を辱めようとする馬鹿げた計略にこれ以上乗るのは我慢なりませんから」
うわぁ、はっきりと言い切ったよ。
お嬢サマは一瞬顔面蒼白になったが、持ち直したようだ。瞳にはまだ力強さが残っている。
「そんなつもりは……。レオさんがお祝いでピアノを弾きたいと仰ってると、わたくしだって嘘をつかれて嵌められたんです。どうか信じてください」
「そうですか」
理人お兄ちゃんは心底どうでもよさそうだ。
「ええ。レオさんと同じで私も……」
語尾を濁しているが、明らかに「私も被害者だから構って」と潤んだ上目遣いの瞳が言っている。
ある意味、凄いな、このお嬢サマ。
「お気になさらずに。あなたのおかげで私はより一層彼女のことが愛おしくなりました」
腰に回した手に力を入れ私を胸元へ引き寄せると、蕩けるような眼差しを向けてきた。
やぁ〜めぇ〜てぇぇぇぇぇぇ!!
私を巻き込むなぁぁぁ!!!
睨んでます!!
理人お兄ちゃん、めっちゃ睨まれてるんですが!!
確信犯だから分かってますよね!!
理人お兄ちゃんはお嬢サマと一度目を合わせると、見せつけるかのように私のこめかみに、おでこに、キスを落としていく。
ぎゃあああああぁぁぁぁぁ。
チラリと見たお嬢サマは悔しそうに下唇を噛んで私たちを睨んでいた。
「九条君、やりすぎじゃないか!」
お嬢サマの父親である烏丸社長が憤りながら入ってきた。
「やりすぎ、ですか?」
「ああ。娘の気持ちは知っているはずだ!」
「気持ち?」
「あ、ああ」
……絶対零度以下って何ていうんだっけ?
私の本能が現実逃避をしようと望んでいる。
それくらい怖い!恐ろしい!
やっぱりこの社長は何も分かっていない!!
「気持ちと言われましても。交際してもいない、想い合ってすらいない俺を手に入れるため、勝手にこの場での婚約発表を企て、大々的に発表することで外堀を埋め、俺が断れない状況をつくり出そうとした気持ちですか?」
「あ、いや……」
「確かに行き過ぎたと反省していますが、理人さんを想う気持ちは誰にも負けませんわ!!」
「名前」
「……九、条、さん」
「そ、そうだ! 確かに娘は行き過ぎたが、そこまで言う必要はないだろう!!」
この父娘、何言ってんだ?
逆ギレして自分たちを正当化してるのか?
「私も随分と舐められたものですね」
敵に塩を送るつもりはないが、
本当にご愁傷様です。
売られたケンカは買うのがモットーと言っていた。理人お兄ちゃんからすると、私のケンカの買い方は、幼稚園、いや小学校低学年レベルだっただろう。私には想像もつかない恐ろしい事態が待ち受けているというのに、なぜこの二人は分からないのだろう。
「九条君っ、君はウチの顧問弁護士だろう。そんな口を利くようなら即刻顧問契約を打ち切ってもいいんだぞ!」
「どうぞ」
「え? なっ、な、……いいのか!?」
「どうぞ。では来週中にでも契約解除の書類をお持ちしますね。秘書の方を通してご都合のいいお時間を伺わせていただきます」
社長は勢いよく振り上げた拳を下ろせず、やり場に困っている。
この人よく社長が務まるな。
社員が優秀なのかな?
「パパっ! 契約解除なんて、何言ってるの!? だめよ、そんなことしたら!!
九条さん、父が申し訳ありません。娘を想う父の暴走として許していただけないでしょうか」
「すべてあなた方お二人が勝手にしていることです」
にべもない。
「本当に申し訳ございません。ですが、九条さんを想う気持ちだけは本物なのです。私にもチャンスをくださいませんか」
「お断りさせていただきます。私には彼女だけですので」
「そう、ですか。……そうですよね。……分かりました」
ついに泣き始めたお嬢サマだが、悲劇のヒロインぶっていると分かるポロポロと落ちる涙や計算された仕草を見せつけられると、お嬢サマに対する罪悪感すら失せる。残念な人だなとしか思えない。
「会場のお客様を味方につけたいのでしょうが、本物の涙を知っている人はあなたの涙には騙されませんよ」
理人お兄ちゃんは静かに言葉を紡いでいるが、なかなか酷いことを言っている。
「そんなつもりは……」
見せ付けるように大きめの仕草で人差し指を目の下に這わせ涙を拭うと、健気なふりを見せながら私たちに向き直った。
……涙止まるの早くない?
「分かりました。諦めます。ですが、最後に一つだけお願いを叶えていただけないでしょうか」
どうせ碌なことじゃない。
「来週の日曜日にテニス大会がございます。それに参加していただけないでしょうか。
もちろんお時間がある皆様もぜひご参加くださいませ」
会場を見回すと声を張り上げながら、テニス大会の参加を促している。
嫌だ。出たくない。面倒くさい。
絶対に面倒なことが起こる気ぃしかせえへん!!
司会にマイクを持ってこさせると、お嬢サマは会場にいる人たちに向かって話し始めた。
「来週の日曜日にテニス大会がございます。
このテニス大会は親交を深めることを目的に毎年開催され、年々参加者の数も増え続けております。7回目を迎える今回、複数の会社から協賛をいただきました。パートナーがいない若い方は出逢いの場として、ご年配の方は日頃の運動不足を解消する場として、もちろんテニスが不得手の方も大勢参加していらっしゃいます。かくいうわたくしも恥ずかしながら不得手でして。ですが、参加される皆様はそれぞれで楽しんでいらっしゃいますので、得手不得手は関係ございませんので、ぜひご参加くださいませ。
ちなみに、この大会は一応レベルに合わせたトーナメント方式とさせていただいております。上級者、3年以上の経験者、3年以下の経験者、未経験者に分け、出場方法もシングル、ダブルス、混合ダブルスがございますので、それぞれ自分に合ったところでご参加ください。未経験者の方につきましては、試合ではなく、プロのコーチによるテニス教室が開催されますので、併せてご承知おきくださいませ。
また、トーナメントに参加された皆様には順位によって賞品をご用意しております。一番最下位の方で、タンブラーだったかしら? もう忘れてしまいましたが、それぞれのレベルの上位5位までには10万円を超える豪華賞品をご用意しております。また、未経験者の方にも参加賞品がございますので、皆様奮ってご参加くださいませ」
分かりやすく伝えることで、会場にいる人たちの間に参加しようかなという空気が流れ始めた。
嫉妬&悪意全開のお嬢サマしか知らない私は、(この人、こんなにちゃんと話せるんだ…)と何気に酷いことを思ってしまった。
「九条さん、レオさん、この度は私の想いが暴走してしまい大変申し訳ございませんでした。仲睦まじいお二人の邪魔はもう致しませんわ。わたくしもバカではありませんの。
ですが、お願いです。お二人でこの大会に参加していただけないでしょうか。わたくしからの最後のお願いをどうかお聞き入れください」
やられた!!
マイクを通してそんなことを言われたら、断ることが難しくなる。
最後の最後、自分のレベルを下げずに私たちを思い通りに動かそうとしてきた。
理人お兄ちゃんを見ると、……え?にこやかに笑ってる!!?
「分かりました。彼女と二人で参加させていただきますね」
あ〜あ、参加するって言っちゃった……。
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