第43話 ◆ホテルスタッフの嘆き

 またお嬢様の悪い癖が出たようだ。


 烏丸産業の社長は当ホテルを御贔屓にしてくださっており、会社のパーティーや会食等がある際はいつも御利用いただいている。私どもにとって社長の烏丸様は大切なお客様だ。

 その社長のご息女である璃麗衣りりいお嬢様も、このホテルをよく利用してくださる。利用してくださるのはありがたいのだが、何というか、毎回いろいろな御要望がおありで、そのたびにホテルスタッフは右往左往あわてふためかなければならない。

 毎回、無理難題を押し付けられ、わがままで、身勝手で、スタッフに対する思いやりの欠片すらない……、おっと、心の声が漏れてしまいました。


 そんな烏丸璃麗衣お嬢様は、正直申し上げると、要注意人物リストに載るくらい迷惑な顧客の一人となっている。







 本日のパーティーも表向きは璃麗衣お嬢様の誕生パーティーだが、裏では婚約発表が企画されており、事前の準備がとても大変だったのは記憶に新しい。

 しかも、相手があの若手Nо.1と言われる法曹界のエリート弁護士、九条理人先生と聞いたときは、正直かなり驚いた。天と地が引っくり返っても絶対にあり得ないとさえ思った。

 今年の4月中旬のパーティーで初めて九条弁護士をお見かけしたのだが、立ち居振る舞いも何もかもがとてもスマートで、どう見てもワガママな璃麗衣お嬢様とは釣り合わない。


 準備を進めるにつれ、私は苦悩した。

 両想いなら喜んで準備させていただくが、そうではない。

 九条弁護士に御執心の璃麗衣お嬢様は、招待客の前で大々的に婚約を発表することで、九条弁護士が承諾せざるを得ない状況をつくり出そうとしている。まずは対外的に周知し、その後、九条弁護士の事後承諾を得るつもりのようだ。

 なんという皮相浅薄な考えであろう。あの九条弁護士を強引に自分のものにするために画策するとは。


 何かと問題ばかり起こしてきた璃麗衣お嬢様だが、今回はやり過ぎだ。


 知ってしまった以上、私はどうするべきか、幾日も幾日も頭を抱え悩んだ。もちろん当ホテルで騙し討ちのようなイベントなど賛成できない。しかし、烏丸社長のご息女のため強く出られない。

 社長に注意してもらおうとそれとなくお伝えしたのだが、逆にお嬢様の悪巧みを黙認されていることが発覚した。

 言葉は濁されたが、明らかに社長も共謀ぐるだ。

 上司に相談するも、やはりお客様の行動までお止めすることはできないとの結論となり、パーティーの責任者である私ができることと言えば、この騙し討ちが失敗した際、ただの誕生パーティーにチェンジできるよう並行して準備をしておくぐらいだった。そして……。




 パーティー当日、璃麗衣お嬢様の企みは、九条弁護士によって木っ端微塵に砕かれた。

 九条弁護士は最愛の女性を伴って現れたのだ。二人の様子から彼が彼女のことをとても大切にしていることは明らかで、文句のつけようがないくらいお似合いの二人だった。

 彼女は、とても美しい人で(美少女といったほうがいいだろうか)、透明感溢れ、立ち居振る舞いが綺麗だと感じた。背筋がピンと伸びており、所作もとても美しく、澄んだ水色のワンピースがそれらを際立たせている。

 その水色のワンピースに合わせるように、九条弁護士のスーツも、よくよく見なければ分からないくらいさりげなくだが、彼女と同じ色のストライプが縦に入っていた。遠くから見たら黒に近い濃紺のスーツなのだが、近くでよくよく見ると水色と白のストライプが入っている仕様となっている。ものすごく細い細い糸でストライプが入っているため、よく見ないと見落としてしまう。

 とても上品に見えるそのスーツは、どこのブランドのものだろう。とても気になる。



 この悪巧み満載のパーティー責任者のため、パーティー開始前、九条弁護士に一言お詫びをと思い、御挨拶させていただいた。

 前回はお声がけすることもできなかったので初めてお話ししたのだが、たった一言でも彼が聡明でとても優秀な弁護士だと分かった。瞬時に我々が置かれている状況も把握されたようだ。

 九条弁護士の隣にいるお嬢様にも御挨拶をしたのだが、真面目で優しい女性だと感じた。彼女、礼桜様と目を合わせると、そのキラめく瞳に吸い込まれそうになる。

 これでも私は人を見る目があると自負している。きっと礼桜様は芯が強くてステキな人なのだろう。




 本来ならスタッフに指示を出さなければいけない立場の私だが、お二人から目が離せない。会場内にいる招待客の多くが彼らの一挙手一投足を見ていた。

 人に対して常に一線を引いている九条弁護士も、礼桜様の前ではただの一人の男だった。かいがいしく世話を焼きながら、終始隣に立つ礼桜様に微笑んでいる。蕩けるような、それでいてとても優しい眼差しで礼桜様だけを見ていた。


 本当にお似合いのお二人だ。


 璃麗衣お嬢様の悪巧みがぶち壊されて本当によかったと心から安堵した。



 だが、こんなことで諦めるお嬢様ではないことくらい、我々ホテルスタッフは嫌というほど理解している。


 絶対に何か事を起こすに違いない。


 スタッフ一同、お二人をお守りできるよう、璃麗衣お嬢様の動向を確認しながら各自業務を行っていた。



 璃麗衣お嬢様とそのお友達4人がお二人に話かけに行ったときは冷や冷やしたが、結果、反撃をくらって終わった。





◇◇




「レオさん、壇上にどうぞ。ピアノを演奏してくださるなんて、とても楽しみです」



 やりやがった。

 強引に司会からマイクを奪って壇上に上がったので何かしでかすのだろうとは思っていたが、まさか今度は礼桜様を嵌めようとするとは。


 直後、九条弁護士と礼桜様に向かって強いスポットライトが当たった。

 私はそのような指示は出していない!

 誰かが勝手にスポットライトを使用しているのは明白だ。

 私はすぐに数人の男性スタッフに指示を出し、関係者以外立入禁止の部屋へと急がせた。

 スタッフからの報告によると、どうやら璃麗衣お嬢様の遊び仲間の男性たちが、部屋を占拠し、勝手に使用しているとのことだった。注意した男性スタッフが押し倒され軽い怪我をしたとの報告も入った。奴らはお嬢様主催のパーティーにはいつも参加しており、もちろん要注意人物リストにも挙がっている。本日もスーツを着て紛れ込んでいたので注視していたのだが、まさかこんなことを仕出かすとは。

 



 九条弁護士がチラリと後方の扉を見た気がした。

 パートナーである礼桜様が嵌められたため、もしかしたら退席されるのかもしれない。

 九条弁護士の後方、扉の前にはヘルプで呼んだ椿君がいる。

「椿君、もし九条弁護士が退席されるようなら、スムーズに会場を出られるようサポートをお願いします」

『了解しました』

 椿君ならやり遂げてくれるだろう。

 彼は仕事ができるうえ周りからの信頼もあり、私の下で正社員で働いてほしいのだが、いくら誘っても首肯してくれない。



「オールスタッフ。常に周囲の状況を確認し、ここからは適宜自分たちの判断で動いてください。報告は絶対。お二人の身を守ることが最優先事項です」

『A班了解しました』

『B班了解しました』

『C班了解しました』


 ここから先は何が起こるか分からない。

 臨機応変に対応していくしかない。

 最悪の場合を想定し、スタッフとも共有した。


 どうか何事もなく終わりますように……。



 スポットライトが当たる中、九条弁護士と礼桜様は二人で何やらひそひそ話している。


 何という胆力だろう。


 強いスポットライトを浴びた状態で衆人環視の中、どんどん頭を寄せ合うように近づいて話している。何の話をしているのか、ものすごく気になるのは私だけではないはずだ。


 クスクスと楽しそうに笑い合ったところで璃麗衣お嬢様がブチギレた。叫ぶように壇上へ来るよう促している。


 ともにスポットライトを浴びている九条弁護士・礼桜様と璃麗衣お嬢様。真逆の位置にいる一組と一人。

 会場の中ほどの壁際にいる私には、はっきりと対比をなしているように感じた。




 前を真っすぐ見据える礼桜様の瞳がキラキラとキラめいている。

 そんな礼桜様をエスコートしながら歩き出す九条弁護士。


 二人の歩くスピードに合わせスポットライトも一緒に動いているため、まるで映画のワンシーンを見ているかのようだ。

 とても絵になる二人だった。



 壇上の前で二人をお迎えできるよう、私もひっそりと移動を開始した。






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