第39話 ケーキを食べるのも一苦労
開会の挨拶、乾杯あと歓談の時間となった。
理人お兄ちゃんのところに男性の方が途切れることなく挨拶に来ている。
理人お兄ちゃんは私の腰に手を回したまま対応をするので、明日絶対に顔が筋肉痛になると思いながらも、ひたすらにこやかに微笑んだ。
頑張れ、私!
舞台のためだ!!
ほとんどの方が私に対して「いつも九条君にはお世話になって」という趣旨の言葉をかけてくる。これは蹴兄ちゃんから渡された『よく言われるフレーズに対する受け答え集』の一番最初に載っているフレーズのため、問題なく対応できた。
対処方法は、笑みを深くし、にこやかに、かつ柔らかな口調で「そうなんですか」と言って理人お兄ちゃんの顔を見るだけ。そしたら、その後の対応は理人お兄ちゃんが引き継いでくれて、相手を褒めながら私が話さなくていいように話を盛り上げ、数分後気持ちよく離れていただく。私の仕事は微笑みを絶やさず柔らかな口調で一言発するだけだ。だが、この一言を発するだけでもものすごく労力を使う。理人お兄ちゃんはよくあんなに流暢に話せるものだと感心する。私も大人になったら理人お兄ちゃんみたいに話せるようになるのだろうか。一言発するだけでも精いっぱいな私は、とりあえず心の中でスパルタ蹴兄ちゃんにお礼を伝えながら、にこやかに捌いていった。
理人お兄ちゃんはそんな私の一言パスを受け取る際、毎回可笑しそうに私を見てくる。何か言いたそうな、楽しそうなその眼差しには気づいているが、私は一杯いっぱいなのでスルーさせていただく。
パーティー開始前は魔王だった理人お兄ちゃんは、今は私がよく知る優しいただのお兄ちゃんに戻っている。私にとってはいつもと何ら変わらないのに、挨拶に来た人は全員これでもかっていうくらい目を見開き、失礼な人はポカンと口まで開いている。なぜ皆さんはそんなに驚愕しているのだろう。そして最後に「こんなに優しい表情の九条君は見たことがない」と口々に言い残し皆一様に去っていった。
「理人お兄ちゃんはいつもどんな顔をして仕事してるんですか。みんなすごく驚いてますけど」
理人お兄ちゃんは「ん?」と言いながら首をかしげている。誤魔化す気すらなさそうだ。
きっと腹黒魔王弁護士と呼ばれるにふさわしい表情&振舞いをしているのだろう。
「礼桜ちゃんといると女性が寄ってこないから、めっちゃ楽。毎回ついてきてくれへん?」
「え、いやだ」
「即答」
クックックと笑っている。
当たり前だ。今でさえ精神がガリガリ削られているのに。
「あっちにケーキとかデザートが置いてあるから食べに行こ♪」
私たちがいる反対側のテーブルを指しているのでそちらのほうを見ると、遠くからでも分かるチョコレートファウンテンのタワーが目に飛び込んできた。
挨拶に来る人も落ち着いたから食べに行きたいけど……、でも……。
私は自分の左手を見た。ジュースが入ったグラスを握りしめている。落とさないように、粗相をしないように、いつも以上に力を入れて握りしめていた。乾杯のときに晴冬さんが持ってきてくれたものだ。
晴冬さんは理人お兄ちゃんにトニックウォーター、私にはサイダーを渡すために来てくれたのだが、髪の毛が伸びていたし、眼鏡をかけていたので、一瞬誰だか分からなかった。そんな晴冬さんは今会場の中を泳ぐようにサーブしていっている。動きも立ち居振る舞いもスマートで、優秀なスタッフのオーラが出ていた。
晴冬さん、疑ってごめんなさい。
「ケーキ……、行きたいけど、やめておきます」
「どうして?」
「左手でグラスとお皿を持つことがスマートにできなくて……。蹴兄ちゃん達からも飲み物だけにしとこうねって言われてるので……」
「俺がいるから大丈夫。行こう、礼桜ちゃん」
ためらう私の手を取り、しっかりと繋がれた。
デザートが置かれているテーブルまで行く間も、一歩一歩足を動かすたびにものすごい視線を感じる。見られている圧がものすごいけど、最初のような恐怖はない。
……恐怖はないが、慣れることもない。
◇◇
チョコレートファウンテンがテーブルの端に置いてある。ファウンテン(fountain)は英語で「噴水」という意味だ。
チョコレートの噴水。
私の背より高いタワーから、溶かしたチョコレートが流れている。チョコレートの流紋は美しく、ずっと見ていたいほど綺麗だ。
チョコレートファウンテンの周りには数人の女性がいて、楽しそうにマシュマロや果物を流れ出てくるチョコレートにくぐらせている。
「礼桜ちゃんもやってみる?」
私がずっとチョコレートファウンテンを見ていたから、やってみたいと思われたのかもしれない。
チョコレートの流れはずっと見ていたいが、やってみたいとは思わない。なので、首をふるふると横に振って、テーブルに置かれている様々な種類のケーキに目を移した。
なんということでしょう!
多種多様いろんなケーキがあるではないですか!!
チョコレートファウンテンに目を取られて時間を無駄にしてしまったかもしれない。
しかも、いろんな種類を食べられるようにケーキのサイズは小さめで、テーブルの上にお洒落に陳列されている。
桃やメロン、イチジク、さくらんぼ、マスカット、マンゴーなど旬の果物を使ったケーキは、明るく色鮮やかで、とても華やかだ。
定番のショートケーキはもちろん、ロールケーキ、シャルロットケーキ、タルト、ガトー、ミルフィーユ、もちろんチョコ系のケーキも5種類ほどある。目線を隣に移すと、チーズケーキが置いてあり、こちらも種類が豊富だ。全部で何種類あるのだろうと思うくらいたくさんの種類のケーキが置かれていた。小さめのサイズだから何個でもいけそうだ。
氷の上に並べられたスプーンの上に乗ってる一口サイズのデザートは何だろう。ゼリーか何かかな? 綺麗な赤い色のデザート。
うわぁ~、おいしそう。めっちゃ食べたい。
……なんでこんな幸せ空間に来てしまったんだろう。見てるだけの辛さ。
来なければよかった。
「礼桜ちゃんは何がいい?」
「………………」
「一緒に食べよ」
「でも……」
「大丈夫だよ。礼桜ちゃんはどれにする? 俺は何にしようかな~」
理人お兄ちゃんはケーキを選び始めた。
……食べてもいいのかな?
理人お兄ちゃんがいいって言ってるからいいのかな? 食べやすいケーキにしたら大丈夫かな?
「何か飲まれますか」
聞き慣れた声が聞こえた。
顔を上げると、晴冬さんが立っていた。晴冬さんは手のひらを上に向けて左手に持っているグラスを指している。
「………………」
「ケーキ食べたいんやろ? グラスもらうで」
私だけに聞こえる声で言うと、片側の口角を少しだけ上げてニヤッと笑った。
「……ありがとうございます」
「お持ちしますので、少々お待ちいただけますか」
「はい。ありがとうございます」
晴冬さんと私はスタッフとゲストの関係で面識がない設定なので、名前で呼ぶことはできないし、周りの目があるため気軽に話すこともできない。だけど、言葉がなくても晴冬さんが気にかけてくれていることだけは分かる。
「礼桜ちゃん、お待たせ~」
理人お兄ちゃんがお皿にケーキを3つ乗せて帰ってきた。
メロンのショートケーキに桃のタルト、そしてスプーンに乗せられた一口サイズの宝石のような赤いデザート。
なぜ私が食べたいケーキが分かったんだろう。
ケーキが乗っているお皿を見て理人お兄ちゃんを見上げると、「どう? 合ってた?」と茶目っ気たっぷりに言われた。
私が頷くと満面の笑みを浮かべる理人お兄ちゃんと、それを見てざわつく周囲。
だけど、周囲のざわつきなんか気にならないくらい、理人お兄ちゃんの優しさが嬉しかった。
グラスがなければ、右手にフォーク、左手にケーキが乗ったお皿を持ち一人で食べられる。
私が食べたいのを取ってくれた理人お兄ちゃんにはとても感謝している。しているけど!!!
「俺にも一口ちょうだい」
あーんと口を開けてきた。
……は?
「……食べたいなら、理人…さんの分も持ってきましょうか」
「甘いもの苦手だから、一口でいい」
あーんと口を開けて待っている。
「………………………」
二口で終わる小さなメロンのショートケーキを無言で一口分だけフォークで切ると、そのまま理人お兄ちゃんの口の中に入れた。
「うん、美味い」
なぜ理人お兄ちゃんとこんなことをしているのだろう。
何だこのバカップルのようなやり取りは。
私はまだ高校生なので仕事関係のルールはよく分からないが、公の場でしていいことではないと思う。それなのに、理人お兄ちゃんはすごく楽しそうだ。
あの~、美味しそうに食べているところ申し訳ないのですが、女性たちからガチの悲鳴が聞こえるんですけど。ものすごく会場がざわめいているの分かって…………ますよね〜。
ああ、そうですか、そうですか、確信犯でしたか。
周りをいちいち気にしていたら、帰る頃には絶対胃に穴が開く。
よし! 無になろう!!
九条さん以上の強メンタルの隣に立ち、あと1時間ほど人の目に晒されなきゃいけない。
私に害がない限り外野は放っておこう。心を無にして、これから先私に降りかかる目の前の出来事だけに対処しよう。
覚悟を決めた私は、残り半分のメロンのショートケーキにフォークを突き刺し口に入れた。
メロンの果汁と甘さが絶妙に生クリームと絡まり口の中に広がる。なんて美味!!!!
そこまで甘くない生クリームもふわふわのスポンジもメロンを際立たせている。
大丈夫!
美味しいと感じられる。
私の心はまだ弱っていない。大丈夫だ!
頑張ろう!!
そんな私をじっと見ていた理人お兄ちゃんは、私と目が合うと蕩けるような優しさを眼差しに乗せ、楽しそうに、嬉しそうに笑った。
◇
桃のタルトを上品に食べるにはどうすればいいか頭の中で必死に考えていると、理人お兄ちゃんが私の手からフォークを取り、タルトを半分に切って私の口に入れてくれた。そして、残りを自分の口に入れた。
サクサクのタルト生地の上に乗る桃の瑞々しさ、甘さ、これもまた美味!!!
周囲のざわめきは分かったが、このときの私は気づいていなかった。
最初は私から、次は理人お兄ちゃんから、傍から見たら食べさせ合いっこしているように見えたことを。
最後のスプーンに乗っているデザートは、なんとスイカだった。
だけど、スイカのゼリーでもない、ムースでもない、でも果物のスイカを切っただけでもない不思議な、シャーベットのようで違う……何という名前なのかもよく分からないけど、初めて食べたそれは冷たくて、ものすごく美味しかった!!
これは半分こできなかったため私だけが食べたのだが、さっぱりしててすごく美味しかったので、理人お兄ちゃんにも食べてもらいたくて取りに行った。
自分で食べてもらおうとスプーンの柄を理人お兄ちゃんの利き手のほうに向けていたら、理人お兄ちゃんの手が私の手の上に被さり、そのままスプーンを持ち上げて口に運んでしまった。
なぜに?
私がスプーンを離すまで待っててくれてもいいのでは?
そんなに食べたかったのか?
私の瞳にチベットスナギツネが降臨したが、どこ吹く風の理人お兄ちゃん。
理人お兄ちゃんはとても満足そうに周囲を見渡すと、キラッキラの笑顔で不敵に笑った。いや違う、嗤ってる。
私もつられて周囲を見渡すと、女性の皆さんの射殺すと言わんばかりの視線が恐ろしい。もしかして刺されるのでは?と不安になる。
新しいジュースを持ってきてくれた晴冬さんと視線が交じる。
めっちゃ同情されてるし!!
そんな目で見ないでください!
同情する晴冬さんと満面の笑みを浮かべている理人お兄ちゃん、頭を抱えたい衝動に駆られる私。
理人お兄ちゃんのメンタルは超合金か何かで作られているに違いない。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【おまけ】
晴冬が俺の目の前で眼鏡を落とした。
大方の予想はつく。
面倒くさいが、おもむろに眼鏡を拾うと
『理人やりすぎだ!! 調子にのんな!! 礼桜ちゃんは俺の恋人だってこと忘れんな!!!』
眼鏡から漏れ出る、俺にしか聞こえない湊からの怒声。
「落としましたよ」
「あ、ありがとうございます」
「礼桜ちゃん、行こうか」
覚悟を持ったキラめく瞳と気合いの入った返事に自然と笑みが溢れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます