第38話 ◆第1ラウンドの鐘が鳴る
「九条君っ! 君!」
「社長、本日はお招きいただきありがとうございます。そして、ご息女様のお誕生日おめでとうございます」
「あ、ああ、ありがとう。それよりも九条君、これは一体どういうことだ?」
「どういうこととは?」
「理人さんの隣にいる人は誰なんですかっ!!」
年は20代半ばぐらいだろうか。光沢のある白のパーティードレスを着た女性が叫ぶように私たちの関係を聞いてきた。その女性はお化粧もバッチリで綺麗なのに、私を睨みつける形相は般若のようで、綺麗な顔が台無しになるほど怖い。
白のワンピースの裾は前後でアシンメトリーとなっており、前は膝が隠れるほどの丈で短く、後ろはふくらはぎの真ん中くらいまである。
私のワンピースが水色のふんわりふわふわなら、この人の白のワンピースは形状記憶装置でもついているのかと思うくらいかっちりしている。
なんだろう……、あえて言うなら
〝私を見て〟バーーーーン!!!
といった感じの人だ。きっと世界は自分を中心に回っているのだろう。なんというか、よく言えば勢いのあるお嬢サマだった。
「彼女ですか。彼女は私の大切な人です。近い将来、家族になれたらいいなと思っています」
理人お兄ちゃんは繋いでいた手を私の腰に回すと、キラッキラの笑顔で明るく言い放った。
もし九条さんと結婚したら、理人お兄ちゃんは義理の兄になるので、確かに家族になる。
理人お兄ちゃんはどんな言葉で私を紹介するのだろうと気になって仕方がなかったが……もの凄い絶妙な言い回しキターーーー!!
嘘をつかずに私が理人お兄ちゃんの婚約者だと思い込ませることに成功している。
理人お兄ちゃん、さすがです!!
私はスパルタ蹴兄ちゃん直伝の微笑みを崩さないように口角を上げて、幸せだと思われるようにアピールしなければ。
「家族? そんな人がいるとは聞いてないぞ!」
「ええ、プライベートですので」
(なぜ教える必要が?)という副音声が聞こえる。
「本日のパーティーは、パートナーがいる人はパートナー同伴でしたよね? なので彼女を。それに事実無根の噂を聞きまして」
スッと目を細め、にこやかに笑っている。いや、嗤っていらっしゃる!!
顔はにこやかなのに、目が、目がぁぁぁ。
恐ろしすぎて直視できない。
腹黒魔王様が降臨されていらっしゃる。
ここで私が表情を崩すと、帰った後で蹴兄ちゃんから絶対怒られる。魔王の片翼なだけあり、スパルタでえげつなく、蹴兄ちゃんはまた別の意味で恐ろしい。蹴兄ちゃんに怒られたくないので、私は魔王の腕の中で必死に口角を上げ続けた。
「な……、う、噂?」
「ええ。私とそちらにいらっしゃるお嬢様の婚約発表がこのパーティーで行われるという話を聞きまして。仕事でお会いしたことはあるものの個人的にお会いしたこともなければ、交際している覚えもない。もちろん好意なんて微塵もありません。私には隣にいる彼女だけですから。そんな事実無根で在りもしないことが真実のように語られるのは不本意ですので。なので、本日は私の唯一のパートナーである彼女を連れてきました。本当はまだ公の場に出すつもりなんてなかったのですが」
2人に鋭い視線を向ける理人お兄ちゃん。
怖っ!
10年後くらいのビジネスパートナー(予定は未定)ですみません。
目の前の2人に聞こえるくらいの声量なのに、会場の端から端まで理人お兄ちゃんの言葉が響き渡っているのが分かる。そして、魔王様が纏う絶対零度(−273℃)のオーラによって、会場内の体感温度が急激に下がっていくのを感じた。
柔らかな口調で話しているのに、(勝手なことしてんじゃねーぞ)という副音声が聞こえてくるのは私だけじゃないはずだ。
にこやかな表情を保っているが、魔王様はキレている。いや、ブチギレていらっしゃる。
この会場内でそれに気づいた人は何人ぐらいいるのだろうか。
見渡してみたいけど、今首を動かしてキョロキョロするのは絶対ダメな気がする。
大魔王になった理人お兄ちゃんのおかげで、目の前の般若のような女性が普通の人に見える。
〝魔王>>>>>>>>般若&周りの参加者〟のため、恐怖は綺麗さっぱり霧散した。
緊張と恐怖が取れたので、息がしやすい。
「し、しかし!」
まだ何か言おうとしてるよ、この社長さん。
……てか、この理人お兄ちゃんを見てよく食い下がれるな。もかして理人お兄ちゃんの副音声が聞こえていない?
人の上に立つ者は感情の機微が分からないとダメなのでは? それとも、社長になると感情の機微なんか読む必要はないのだろうか?
一般庶民の私には分からないので、傍観しておこう。
息がしやすくなったため脳まで酸素が行き渡り始めたのか、周りが見え始め、いろいろ考えられるようになった。
「理人さん! 私……」
「お祝いの言葉が遅くなり申し訳ありません。本日はお誕生日おめでとうございます。心ばかりですが受付に花束を渡していますので」
「あ、あり、がとう、ござい……ます」
理人お兄ちゃんがお祝いの言葉とともに軽く頭を下げたので、私もそれに倣いお辞儀をした。
あれっ?
もしかしてお祝いの品は直接渡すのが一般的なのでは……。付け焼き刃のパーティーマナーしか分からないので断言できないが、お嬢サマの態度を見て、なぜかそう感じた。
でも理人お兄ちゃんは受付の人に花束を渡していた。
もしかして意図的だった?
直接渡したくないからあえて?
理人お兄ちゃんならあり得る!
理人お兄ちゃんのそっけない社交辞令に、お嬢サマはたどたどしくなりながらお礼を返すのでいっぱいのようだ。
「今回はとんだデマを流されてお互い大迷惑でしたね。これで払拭できるといいのですが」
キラッキラの眩しい笑顔でそう
近い! 近い! 顔が近い上、その微笑みは最早凶器です。ほら、会場内がざわめいているじゃないですか!!
私の焦りはどこ吹く風、理人お兄ちゃんの顔はどんどん近づき、覆い被さるように私の左頬にキスを一つ落とした。
ギャアァァァァァァァァ!
「理人お……さん、な、なにを!?」
何した! 何しやがった!?
私の記憶が正しければ、ほっぺにキスしやがりましたよね!?
………口にされる勢いで近づいてきたから、口を素通りし反対側の頬でよかったのか?
いや、そういう問題じゃない!!
ちょっと待って。もしかしてカメラを通して九条さんに見られたんじゃ……。浮気したとか思われたらどうしよう。これで九条さんと気まずくなったら理人お兄ちゃんを絶対恨んでやる!!!
キスされたところを左手で覆いながら、私の右側に立っている理人お兄ちゃんの顔を勢いよく見上げ睨みつけた。今、私は絶対涙目で顔も真っ赤に違いない。
「ははは。口にするかと思ったでしょう?」
イタズラが成功した子どものように屈託のない笑顔を私だけに向けてくる理人お兄ちゃん。
その瞬間、会場が一斉にざわめいた。
波打つように、いろいろな箇所でざわめきが起こっている。
オフィシャルの理人お兄ちゃんは、人当たりがよく優秀で腹黒魔王にもかかわらず多くの人の信頼を得ているが、人に対して常に一線を引いており素の笑顔は絶対に見せないと以前善さんから聞いたことがある。
それはこのざわめきを見れば一目瞭然だ。
デマも払拭できたようだし、理人お兄ちゃんも嬉しそうで何より…………。
って納得すると思うか!!!!
頬にキスされるなんて聞いてない!!
チベットスナギツネを降臨させてもよろしいか? ジトっとした目で睨むぞコラ。
私を見つめ、可笑しそうに、楽しそうに、嬉しそうに、声を出さず理人お兄ちゃんは笑っている。
そんな顔しても絆されませんよ?
まぁ、でも、理人お兄ちゃんとこのお嬢サマの婚約発表を阻止できてよかった、とは思いますけど。
気づけば、私も理人お兄ちゃんと一緒になって笑っていた。
◇
「お二人にご挨拶をされたい方はほかにもいらっしゃるでしょうから、私たちはこれで一旦失礼します」
やっとこの場から解放される。
ホッと息を吐き前を向くと、
……なんかめっちゃ睨まれてるんですけど。猛吹雪の夜中に般若が立っているような、そんなおどろおどろしさも加わっている。
……ですよねー。
理人お兄ちゃんはお嬢サマの逃げ道を作ることもせず、完膚なきまでに計画を叩き潰しましたから。
「彼女可愛いでしょう?」
私が怯んだのが分かったのか、理人お兄ちゃんが私を守るようにお嬢サマに話しかけた。
「え?」
「失礼。先程から彼女ばかり見ているので」
「あ、いや、その……」
「実際可愛いので仕方ありませんが、見せ物ではありませんので、あまり見ないでくださいね」
のうのうと宣いやがった。
そんなこと言ってたらドン引きされますよ?
「ほんと公の場に出すつもりなんてなかったのに。くだらない企みを計画されたばかりに」
(お前らのせいで)という副音声付きで2人を睨みつけている。
いつの間にか、またブチ切れ魔王様に戻ってる。
「ひぃっ」
さすがのお嬢サマも怯み、顔面蒼白で短い悲鳴を上げたあと体を硬直させた。
やっぱり般若では魔王には勝てなかったか。
嵌める相手が悪すぎる。
理人お兄ちゃんを嵌めようとするなんて、まともな人間なら考えない。だって絶対に返り討ちに遭うって分かるから。
……なるほど。この2人はまともじゃないんだな。
「では」と言って理人お兄ちゃんが私を伴い場を辞したことで、第1ラウンド終了のゴングが私の頭の中で鳴り響いた。
なんかドッと疲れた。
でも、まだパーティーは始まってないんだよなぁ。
もう無理。
帰りたい。
頑張れ私!
頑張れ!
舞台が私を待っている!!!
会場内は再びシーンと静まり返っている。そっと周りを見渡すと、私に向ける悪意や好奇の眼差しは健在だが、それに加えお嬢サマを侮辱するような、バカにしたような、嘲るような気持ちを眼差しに乗せてこちらを見ている女性たちの姿が目に入った。
口に出しては言わないが、あからさまに目が雄弁に語っている。
一人一人綺麗に着飾っているのに、皆さん歪んだ笑顔をしていて、誰一人として輝いている人がいない。
優しさの欠片もない嫌な世界に紛れ込んだ気がした。
妬み、嫉み、嘲笑、ほんと醜いな。
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