第22話 嫉妬

 理人お兄ちゃん達が帰った後、私たちも片づけをして店を後にした。


「ごめん、ちょっと家に寄ってもいい?」


 九条さんがエンジンをかけながら私のほうを向いたため、快く首肯すると、車は一路九条さんの自宅へと向かって走り出した。




◇◇




 九条さんの家に来るのはもう何度目だろう。


 九条さんの自宅は、高層マンションの15階、ひとり暮らしとは思えないほど広い間取りだ。



 15階、確かに見晴らしはいい。

 夜になると夜景も綺麗なのだろう。……暗くなる前に帰るから想像しかできないけど。

 しかし、15階の部屋を見て私が最初に感じたのは、不安だった。

「15階だと、南海トラフ(地震)が来たら長周期地震動が凄そうですね。3分以上揺れるんじゃないですか?」

 しかも、エレベーターが故障したら15階まで階段を毎回上らなければいけない。ある意味、それも地獄だ。

 それを九条さんに伝えると、爆笑された。こんなに声を出して爆笑している九条さんを見るのはいつぶりだろう。晴冬さんのひったくりを止めたとき以来かもしれない。あの時と同様、笑いすぎて目に溜まった涙を拭いている。

「めっちゃ笑ってますけど、大事なことですよ」

「そうやね。じゃあ、5階ぐらいの部屋を一緒に探そ」

「え? いや、それは……」

「礼桜ちゃんも住む家になるし。安心して住める家を探そ」

「湊くん、何言ってるんですか!?」





 九条さんが玄関の鍵を開けているのをぼんやりと見ながら、いつかのやり取りを思い出していた。

 九条さんは玄関扉を開けると、私を玄関の中へと促した。一歩中に入った玄関は、日中の気温によって暖められ、熱が籠っている。


「おじゃまします」


 靴をそろえて脱ぐためクルっと反対を向いたときだった。


 いきなり九条さんに持ち上げられ、抱っこされてしまった。


「九条さんっ!?」


 九条さんは何の反応もせず、私を抱え上げたままリビングへと歩き出そうとしている。


「九条さんっ! 私まだ靴脱いでない!」


 私の焦った声が届いたのか、九条さんは片手を足に沿って下ろし、私の靴をポイポイっと脱がせて玄関に放り投げた。


 玄関を見ると、横向きになっている靴が無秩序に転がっている。九条さんの靴も珍しく脱ぎ捨てられていた。


「ああ、靴が。揃えなきゃ」


 しかし、靴を揃えるという願いは聞き入れてもらえず、九条さんは私を抱き上げたまま、すたすたとリビングへと続く廊下を歩いていく。


 幼い頃は歩きたくないと言って抱っこされては楽な思いをしていたが、さすがに高校生になって同じことをされると、楽だと思うより先に自分の体重がかなり気になる。恥ずかしい気持ちももちろんあるが、それよりも高さが怖い。


 九条さんを窺い見るも、私を下ろす気配は全くない。


 どうしたら体重が1gでも軽く感じられるだろうかと考えるが、妙案が思い浮かばない。

 人は力を抜くと重く感じると何かで読んだことを思い出し、とりあえずお腹に力を入れておくことにした。

 

 あまり動くのも九条さんの邪魔になるので、落ちないように、九条さんの邪魔にならないように肩に手を置き、早くリビングに着いてほしいと願うばかりだった。






 私を抱っこしたまま、九条さんは無言でソファーに座った。


 いつもなら横向きで膝の上に座るのだが、今日は抱っこされたままだったので、向き合うような形で膝の上にいる。当然私の足は九条さんを両側から挟むような形となっている。


 なぜ今日に限って膝丈のスカートを履いてきたのだろう?

 こんなことになるなら膝丈のズボンにすればよかった。迷った挙句、スカートを選んだ私、アホすぎやろ。


 九条さんに跨る私の足を覆うものは何もない。接触している部分は全部生足だ。後悔しても遅いが、後悔せずにはいられない。その上、向き合うようなこの体勢は、いつもより距離が近いというか、体に沿ってくっついているため、かなり恥ずかしい。



 そんな私の気持ちなんかお構いなしの九条さんは、私を抱きしめたまま前のめりになり、テーブルの上に置いているエアコンのリモコンに手を伸ばした。必然的に私は抱きしめられたまま後ろに傾いていく。

 落ちないようにしがみつきながらも、スカートが上がらないか気が気じゃなかった。


 ピピッという音とともにエアコンの吹き出し口が開き、運転が開始された。


 夏の空気で覆われた部屋の中は少しずつ快適になっていく。


 九条さんが体勢を戻したのと同時に私の体勢も元に戻った。スカートがどうなっているか気になって視線を下げると、上に上がることなく私の太ももを覆っていたのでホッとする。



 九条さんはマンションについてからまだ一度も声を出していない。ずっと黙ったままだ。


 不安になって九条さんの顔を見つめた。

 九条さんも静かな双眸で私を見つめ返している。


「九条さん……」

「…………」


 返事が返ってこない。


 しまった。二人なのに〝九条さん〟って呼んじゃった。


「湊くん……」

「…………」


 返事は返ってこないが、私を見つめる双眸が続きを促してくる。


「……怒ってる?」

「…………どうしてそう思うの?」

「なんとなく……」

「………………」

「もしかして、舞台 一緒に観に行かないって言ったから?」

「違うよ」

「じゃあ、理人お兄ちゃんとパーティーに行くって言ったから?」

「………………」


 返事が返ってこない。だけど、私を静かに見つめる眼差しは、何か言いたそうだった。


「……礼桜、バンザイして」

「え?」

「はい、バンザーイ」


 バンザイする理由がいまいちよく分からないけど、促されるまま肘から上を軽く挙げて胸の横でバンザイした。

 すぐさま九条さんは無駄のない動きで、流れるように私のTシャツを脱がせた。


 え? え? は? 脱がせられた?


 プチパニックに陥ってしまったが、「暑い」とボソッと呟いた声で少し冷静になれた。


 そっか、暑かったのか。


 …………ん? 暑いなら自分のシャツを脱げばいいのでは? もしくは私を膝の上から下ろせば済む話では?


 頭にハテナマークが浮かぶも、あまりにもスマートな脱がせ方にいまだ理解が追い付かない。

 Tシャツの下にはブラトップを着てるから、キャーって言いながら胸を隠す必要はないけど、それでも2人きりの時にこの姿は恥ずかしい。



「湊くん、どうしてTシャツを脱がせたの?」

「ん~……」


 答える気はないらしい。


 九条さんは、私の鎖骨あたりに顔をうずめ、抱きしめる手に少しだけ力を入れた。肌に直接触れているからか、九条さんの温もりや息づかいがダイレクトに伝わってくる。


 自分の心臓が早鐘を打ち始めたのが嫌でも分かる。


「礼桜の心音、高鳴ってる……」

「恥ずかしいので言わないでください!」


 トキメキで高鳴ってるんじゃなく、驚きと緊張で動悸が激しいだけだと思います。


「ふふふ」

「湊くん、息が直接かかるから、そこで笑わないでください!」

「どうして?」

「なんか変な感じがするので……」

「変な感じ、ねぇ」


 九条さんはクスクス笑いながら少しだけ顔を離し、私を見上げた。

 きっと私の顔は真っ赤になってるはずだ。さっきから恥ずかしすぎて、口元がもにゅもにゅしてしまうし、目も潤んでいるだろう。



 そんな私を見て九条さんは嬉しそうに微笑むと、また鎖骨に顔をうずめ抱きしめてきた。


 心地よい時間を共有しながらしばらく抱きしめ合っていると、徐に九条さんは顔を横向け、低音だが柔らかな口調で言葉を紡ぎ始めた。



「…………ねぇ、礼桜ちゃん、理人とパーティー行くの?」

「はい」

「……めっちゃ嫌なんやけど」


 やっぱりそうだよね……。


「大人げないって分かってるんやけど、礼桜ちゃんが理人のパートナーとして参加するの、めっっちゃ嫌だ」

「…………ごめんなさい」

「俺が嫌だって言っても行くんやろ?」

「…………行きたい、です」

「もしかして俺、舞台のチケットに負けた?」

「そんなことは……」

「ホントのこと言わないとブラトップ脱がすよ。それかスカートの中に手を入れる」

「え?」


 見下ろすと、九条さんの右手はブラトップの紐を指にかけて肩から外そうスタンバイしており、左手はスカートの裾から出る足に置かれ、徐々に上がってこようとしている。



「あの! 理人お兄ちゃんを助けたいって思ったのも本当です。あと、どうしても舞台を観に行きたくて……。1時間がんばったらS席2枚手に入るって思ったら……。湊くんの気持ちを無視して本当にごめんなさい」


 焦りながらも、気持ちを込めて謝ることしかできない。



「舞台のチケットを一生懸命取ろうとしてたのも知ってるし、理人のためを思って言ってくれたんだってことも頭では理解してる。

 でも、分かってる? パーティーに行くってことは、理人の婚約者だと誤解されるってことだよ?」


「はい。他の人だったらお断りしますけど、理人お兄ちゃんだから大丈夫かなって思ったんです。きっと絶妙な言い回しで私のこと紹介すると思いますし」


「兄の婚約者だって誤解されるのが嫌なんやけど。礼桜ちゃんの婚約者は俺なのに……」


 拗ねて、額をぐりぐり押し付けてくる。

 4歳年上の人に言う言葉じゃないかもしれないけど、可愛い。


 私はふわふわパーマがかかってる九条さんのダークブラウンの髪の毛を撫でた。


「でも、理人お兄ちゃんは湊くんのことをとても大切に想っているから、湊くんが嫌がることはしないと思いますよ」


「なんやねん、理人へのその絶大な信頼は。……礼桜ちゃんは理人のことを好きにならへんの? 悔しいけど俺から見てもいい男だよ」


「ん〜、理人お兄ちゃんに恋愛感情……ないな。そもそも私には湊くんがいますし。何でそんなこと聞くんですか? もしかして湊くんはもう私に飽きましたか?」


「はぁ? 飽きるわけないやろ! むしろ独占欲ばかり強くなって困ってるんやから」


「ふふふ」


「笑いごとちゃうで」


「でも、湊くんはいつも私を尊重してくれるじゃないですか」


「格好つけて余裕ぶってるだけだよ。だけど、もう一杯いっぱいなので、少し大人しくしててもらえませんか」


 鎖骨の下に顎をつけて上目遣いで見上げられても……。


「……その言い方だと、なんか私が問題児みたいじゃないですか」


「まさかの無自覚。……次から次に問題を持ち込んでると思うけど……」


「ちょっと何言ってるか分からない……」


 私は日々波風立てず大人し〜く過ごしている。

 九条さんが過保護過ぎるだけだと思います。


 キョトンとした私を見て、九条さんは深いため息を一つ吐いた。


 品行方正に過ごしてるつもりだけど、九条さんにため息を吐かせてしまうのは申し訳なくて、私は少し体をずらし九条さんの額に一つキスを落とした。


 おでこにチュッてしたら、九条さんは目を瞠って私を見上げた。


 いつも九条さんがしてくれるように他の場所にもキスしたかったが、体勢的に無理なので、また一つ額にキスを落とす。


 九条さんは体を起こし、いつものように頬や瞼などにキスを落としていく。キスしてもらえるのは嬉しいけど、やっぱり口にもしてほしい。



「湊くん、口にもしてください」


「……………………」


 ありったけの勇気を掻き集めた私のお願いは、なぜか苦渋に満ちた表情の九条さんを生み出しただけだった。そんな九条さんの顔を見ると不安になる。



「湊くんは口にしたくない?」


「したいに決まってるでしょ! 俺がどれだけ我慢してると思ぉとんねん。でも礼桜も大事にしたい」


「とてもとても大事にしてもらってますよ?」


「軽いキスだけで終わらせる自信がない」


「頑張ります! 晴冬さんからキスするときは鼻で息するんやでって教えてもらいましたし」


 強調するように鼻でフンフンと息をすると、また一つため息を吐かれ、抱きしめられた。



「……とりあえず晴冬をしばく」


 ボソリと低い声で呟いた一言は、私の耳にまで届いた。



 晴冬さん、ご愁傷様です。



 心の中で晴冬さんに手を合わせながら、口にキスしてくれるのを今か今かと待ち続けた。









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