第20話 花谷琴音

―7月22日(金)—


 4限ある夏期講習が終わり、雲一つない晴れ渡る青空の下、校門を出た私は駐車場で待っている九条さんのもとへと駆け出した。気温は30度を超え、夏本番だとオラオラ感丸出しで主張する太陽が、私を容赦なく射る。少し駆けただけでも汗ばむ。


 真夏の太陽はギラギラして暑苦しい。



 駆けてくる私を見つけた九条さんも駐車場から学校のほうへ向かって歩いてきてくれた。今日ももっさり眼鏡姿だ。



「湊君、ただいま!」


 笑顔で九条さんに駆け寄ると、「おかえり」と微笑んで、リュックを私の肩から下ろして持ってくれた。



 今日はこれから晴冬さん&晴冬さんの彼女とお昼ご飯を食べる約束をしている。



 この前、キューズモールのゲームコーナーのところで見かけた彼女は、私と晴冬さんを見て誤解したようだった。あのときの彼女の悲しい顔が忘れられない。挨拶もしていないので、私の印象は最悪かもしれないと思うと不安になる。その不安を九条さんにやんわりふんわり伝えたら、大丈夫だから心配しなくていいと、私が欲しい言葉をかけてくれた。


 それでも不安は尽きない。


 会ったら、まずはちゃんと挨拶をしよう。もし誤解したままなら、晴冬さんとは何でもないときちんと伝えなきゃ。晴冬さんと同い年って言ってたから緊張するけど、ちゃんとお話できるといいな。すごく素敵な人だったから仲良くなれるといいな。



 期待と不安を胸に、九条さんが運転する車窓から、太陽に照り付けられている大阪の街並みを眺めていた。



 信号で止まるたびに九条さんが手を繋いでくれる。きっと私が緊張しているということもお見通しなのだろう。恋人つなぎで手を絡ませながら優しい眼差しで見つめられると、恥ずかしさと嬉しさで心の中がぽわぽわする。それなのに、心強いというか、とても安心する。


 夏は暑いから手を繋がなくなるのかなと思っていたけど、季節関係なく好きな人とは夏でも手を繋ぎたいということを知った。




◇◇




カラカラカラ



「いらっしゃい」


 善さんの威勢のいい声に出迎えられた。


「善さん、こんにちは」

「礼桜ちゃん、勉強お疲れさま。暑かったやろ。早よ入り」

「はい」


 私の夏期講習が終わるのが午後1時なので、それから梅田とかでランチをするとなると、どうしても1時半は過ぎてしまう。ランチは2時までのところが多いから、ゆっくり喋れないということで、今日は善さんのところで〝初めまして〟をすることにしたらしい。私は善さんの料理が大好きなので、むしろここでよかったと思っている。



「湊! 礼桜ちゃん!」


 4人掛けのテーブルに座っている晴冬さんが立ち上がって手を振ってくれた。隣に座っている彼女も立ち上がる。


 私は緊張する心を抑え、九条さんと一緒に晴冬さんがいるところまで歩いて行った。といっても数歩の距離だけど。



 晴冬さんの彼女は、肩下まであるミディアムヘアの髪を無造作にハーフアップにして後ろで纏め、耳の前に垂れているひと房の髪は緩く巻かれている。ラフなのに計算され尽くした無造作ヘアは、余裕のある大人の女性って感じがする。ぱっちりした目も、微笑んでる笑顔も綺麗で、少し見惚れてしまった。

 服装は全体的にカジュアルなんだけど、一つ一つが女性らしく、お洒落で可愛い。綺麗なんだけど可愛い、可愛いけど綺麗なお姉さんだった。

 


 晴冬さんにはもったいないのでは?



「礼桜ちゃん、紹介するね。俺の彼女!」

「はじめまして、花谷はなたに琴音ことねです」

「はじめまして、高丘礼桜です」


 緊張したけど、何とか自己紹介はできた。


「晴冬から聞きました。馬鹿なことをした晴冬を止めてくれて本当にありがとう」


 深々と頭を下げられた。お辞儀もきれいだと思ったが、その相手が私だと思うと申し訳なさすぎて恐縮してしまう。


「あの! 頭を上げてください。私何もしてませんから。というか私のほうこそ、その……」


「水筒ぶん回して急所蹴られた」


 ……もしかして、いまだに根に持っているのではあるまいか?



 私を見下すように晴冬さんは上から見下ろして、ニヤリと笑っていやがる。いつもなら言い返すが、今日は彼女がいるので、ガマンガマン。

 とりあえずチベットスナギツネを降臨させて睨んでおこう。



「私も、礼桜ちゃん、って呼んでもいいかな?」

「もちろんです!」


 綺麗なお姉さんに名前を呼ばれると何だか嬉しくなる。


「礼桜ちゃんのおかげで、こうしてまた晴冬とよりを戻すことができました。礼桜ちゃん、本当にありがとう」


 本当に晴冬さんにはもったいないくらい素敵な人だな。


 いや、今はそんなことどうでもいい!


「あ、頭を上げてください。私は何もしてませんから。私じゃなく九条さんや理人お兄ちゃん達のおかげだと思います。あとは晴冬さんが頑張ったからです。お礼を言われることなんて私は何も!!」


 胸の前で手を振りながら、必死に何もしてませんアピールをする。実際、私は何もしていない。

 すべて晴冬さんが頑張った結果だ。



「立ち話もなんだし、座ろうか」


 九条さんの言葉で立ったままでいることに気づいた。彼女と目が合い、お互いはにかみながら笑ってしまった。





「改めまして、九条湊です。隣に座っている礼桜はです」


 珍しくみんなの前で礼桜と呼ばれ、彼女を強調したように感じたが気のせいだろうか。そして、なぜか私の腰に手を回していらっしゃる。


 え? なぜ腰に手を回した?


 腰に回された手を見て、九条さんを見た。いつもの優しい甘々の眼差しで私を見ながら微笑んでいる。

 無言でパチパチと二度瞬きし、晴冬さんを見ると苦笑していた。


 私の気のせいではなく、どうやら九条さんは俺の彼女だと強調したようだ。


 ……もしかして晴冬さんと私の間に何かあると誤解されてたのかな。もしそうなら私も誤解を解かなければ。



「高丘礼桜です。よろしくお願いします」


 彼女のほうに向かってペコリと頭を下げ、改めて挨拶をした。


「花谷琴音です。礼桜ちゃん、こちらこそよろしくね。私のことは琴音でも琴でも好きに呼んで」

「じゃあ、琴音さん……」

「さん付けはイヤだな」


 琴音さんはニコニコ笑っている。


「じゃあ、琴音ちゃん? 琴、ちゃん?」

「うん! 琴ちゃんがいい! 敬語もいらないから普通に話してね」

「でも……」

「礼桜ちゃんは小さい頃から合気道してるんやろ?」

「はい」

「合気道では4つ上の女の子には敬語で話してたん?」


 どうだろうと思い返してみる。

 確かに道場には4つ上のお姉ちゃん達もいるが、小学生の頃から一緒に稽古してるので最初から〝ちゃん〟付けで呼んでたし、丁寧語すら使わずタメ口だ。



「話してない、です」

「でしょ」

 

 明るく笑う琴ちゃんが輝いて見える。



「分かった。普通に話す、ね……」

「礼桜ちゃん、ありがとう」


 琴ちゃんと二人で笑い合う。


 魅力的で、とても素敵な人だ。



「晴冬さんにはもったいないくらい素敵な人だな……」


「あ゛ぁ!?」


 ヤバッ! 本音が声に出てた。



「すみません、琴ちゃんがあまりにも素敵な人だから、つい本音が……」


「せやねん! 琴音は全部がめっっちゃ可愛いねん!! よりを戻す前より愛しいし、洪水かってくらい好きが溢れ出てくんねんけど。礼桜ちゃん、どうしたらいいと思う?」


「いや知らんし。琴ちゃんに洪水級の愛を垂れ流せばいいんじゃないですか」


「やんな! もう手放すことはできひんから、溺れさせるのもアリやな」


 琴ちゃんは、顔を赤らめて口をパクパクさせながら晴冬さんを見てる。そんな姿も可愛い。


 それよりも……。


「晴冬さん、重いし引きます」


「え? 俺、重い?」


「はい。なので、溺れさせるのではなく、琴ちゃんを大切にしてください。大切にしないとバチが当たりますよ」


「大丈夫! 俺の全てで琴音のこと宇宙一大切にして幸せにするつもりやから」


 琴ちゃんのほうを向いて力強く宣言するアホのせいで、琴ちゃんのHP——ヒットポイントは限りなくゼロに近づいている。

 羞恥で目を潤ませ顔を真っ赤にして、とうとう両手で顔を隠し俯いてしまった。


 目を潤ませ顔を真っ赤にする琴ちゃんもめちゃめちゃ可愛い。


 私も琴ちゃんみたいに素敵な人になりたい。



「琴ちゃんと晴冬さんは〝美女と平凡〟なので頑張ってくださいね!」


「その言葉、そっくりそのまま返したるわ! 湊と礼桜ちゃんもやで」


「確かに……。

晴冬さん、お互い頑張りましょうね!!」


「せやな! がんばろな!!」


 目指せ! いい男と釣り合う私!

 目指せ! いい女と釣り合う俺!



 どこかずれてる(らしい)私たちの会話は、一人の女性のHPをゼロにし、店の中にいる二人の男性から生温かい視線を向けられることとなった。






◇◇




【九条湊side】


「礼桜ちゃん、晴冬、取りに来てくれへん?」


 善さんから配膳してほしいとお願いされた礼桜ちゃんと晴冬は喜んで席を立ち、カウンターの中へと入っていった。

 二人とも今日の善さんのご飯が楽しみで仕方ないようだ。



「……九条君、もしかして礼桜ちゃん天然?」

「ああ」

「そっか……」

「誤解は解けた?」

「うん。キューズモールで見たとき仲良く見えたから不安だったけど、お互い恋愛感情は一切ないって分かった」

「俺の彼女なのに、そんな感情あるわけないでしょ」


 それでなくても変な男が近づいてるのに。


「九条君は礼桜ちゃんのことすごく好きなんやね」

「ああ。礼桜ちゃんが高校卒業したら結婚するつもりやし」

「………………うわぁ、ないわ〜」

「礼桜ちゃんに余計なこと吹き込まないでね、花谷さん」

「……晴冬が言ってた。礼桜ちゃんは大事な仲間で、妹のような存在でもあるって。だから変態から守らなアカンって。私も今日礼桜ちゃんと会って、礼桜ちゃんのことが大好きになった。友達として、姉ポジとして、から守ることに決めたから。九条君、これからよろしくね」


 ……いい性格してるな、この女。



 挑戦的な目で見つめてくる晴冬の彼女と火花を散らした後、「こちらこそよろしく」と爽やかに笑って答えた。



「お待ちどー」

「持ってきましたー」


 晴冬と礼桜ちゃんがお盆に料理を乗せて帰ってきた。


 二人ともうきうきしながらテーブルの上に置き始めたので、俺らも手伝う。


 礼桜ちゃんと花谷さんは波長が合うらしく、既に仲良く笑い合っている。



 ここには野朗しかいないから、礼桜ちゃんに女性の知り合いができたことは喜ばしい。


 喜ばしいが……。


 早速、来週二人で梅田うめだで遊ぶ約束をしている。


 え? はやない? 俺だって礼桜ちゃんとキタで遊んだことないのに?


 俺の動揺が顔に出ていたのだろうか?


 礼桜ちゃんの正面、俺の斜め前に座る花谷さんが勝ち誇ったような顔で俺を見てきやがった。



 俺は余裕ある男のフリをして、爽やかに笑うにとどめた。





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