第18話 【九条湊side】協議①

 理人を迎えに行くために退室する礼桜ちゃんの背中から〝しぶしぶ感〟が溢れ出ている。礼桜ちゃんの足取りも重く、盛大な溜息が聞こえてきそうだ。そんな礼桜ちゃんも可愛くて、俺はクスリと笑ってしまった。

 それを特進科科長の鯛浦先生と担任の山之内先生に見られていたようだ。二人は礼桜ちゃんが退室したのを機に、礼桜ちゃんがいると聞けない質問を俺に投げかけてきた。


「九条君はどうして高丘さんを? 失礼だけど、君なら別に高丘さんじゃなくてもいいんじゃない?」


 科長の鯛浦先生は、俺を試すような鋭い視線を向けている。

 取り繕うこともできたが、俺は正直に話すことにした。


「……一目惚れだったんです。ひったくりと対峙したときの彼女の凛とした佇まいや前を見据える瞳に目を奪われたのがきっかけです。普段はのほほ~んとしてて、どこにでもいる真面目な女子高生なのに、スイッチが入るととても格好よくて。そのギャップにやられて、気づいたときには彼女に落ちていました」


 自分の想いを他人に話したことがなかったため少し気恥ずかしかったが、全て俺の本心だ。



「ギャップですか?」


「はい。ああ見えて彼女は合気道初段なので」


「「は?」」


 二人とも鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。普段の礼桜ちゃんからは想像ができないだろう。俺も自分の目で見なければ、彼女の強さを知ることはなかったはずだ。

 〝能ある鷹は爪を隠す〟——礼桜ちゃんは上手にその爪を隠している。



 唖然としていた先生たちだが、ようやく立ち直ると、今度は担任の山之内先生が尋ねてきた。


「三者懇談で高丘のお母さんから学校と家で違いすぎるという話は毎学期聞いていたんですが、九条君から見てさっきの高丘は素ですか?」


「先生方の目にどう映っているかは分かりませんが、さっきの彼女は素ですね」


「やっぱり……」


「逆に、学校での彼女は?」


 山之内先生から聞く礼桜ちゃんは、あらかた俺の想像どおりだった。

 自然と笑みがこぼれる。



「それはそうと、高丘はものすごく嫌そうに行きましたね」


「そうですね。彼女は一昨日、兄にこの件でこっぴどく叱られているんです。だからだと思います」


 理人を迎えに行ってほしいとお願いしたとき、礼桜ちゃんはものすごく嫌そうな顔をした。

 それが可笑しくて可愛くて。


 そろそろ理人と落ち合う頃だろう。緊張で引きつっている礼桜ちゃんの姿が目に浮かぶ。



「高丘は九条君のお兄さんとも面識が?」


「はい。彼女のご両親も含め家族ぐるみのお付き合いをさせていただいています。実は、兄のほうが彼女のお父さんと仲がいいんです。二人でお酒を飲みながら毎回楽しそうに話してますから」


 俺はその輪には入らず、礼桜ちゃんと礼桜ちゃんの弟2人に勉強を教えていることのほうが多い。



「そうですか」

「高丘さんのお母さんは何と?」


 山之内先生の言葉に続いて科長の鯛浦先生が聞いてきた。


「すみません、どういった意味で……」


「九条君は今年21だよね? でも、高丘さんはまだ高校生なので、その点についてお母さんは何と?」


「高校卒業するまで手は出しませんと伝えたんですが……」


 鯛浦先生は真面目な顔をして答えを待っているが、隣に座っている山之内先生はニヤニヤしている。きっと礼桜ちゃんのお母さんの言葉がぶっ飛んでいると踏んでいるのだ。それを聞きたいのだろう。


 俺はため息を噛み殺し、お母さんの言葉を伝えた。


「一線越えなきゃいいんじゃない? 2年も我慢できるの? 歪むよ、と……」


「「………………………………」」


 しばしの無言の後、鯛浦先生は教職者としての立場と男としての立場で悩み葛藤しているようだが、山之内先生はゲラゲラ笑い始めた。


 しばらく葛藤した後、鯛浦先生は一言「そうですか」と絞り出していた。

 それを見て山之内先生はまたゲラゲラ笑っていたが、

「ウラさん、そんなに悩まなくても大丈夫やって。二人見てたら分かるやろ? ね、九条君。しとくんやで」


 目で制された。

 揶揄うようなお茶目な双眸を向けられ、居心地が悪い。

 すべてお見通しか……。


 俺は爽やかな笑みをたたえて「はい」と答えるにとどめた。



「それはそうと、婚約者っていうくらいやから結婚も考えてるんやろ?」


「はい。僕はそのつもりです」


「いつ頃を予定してるん?」


「高校を卒業したら、とは思っています。……彼女はまだピンと来てないみたいですけど」


「もし高丘が私立の大学に行ったら授業料とかめっちゃかかるで。九条君、大丈夫なん?」


「はい、問題ありません」


「そりゃあすごいな」


 山之内先生はくつくつと笑っている。


「いやいや、ヤマさん、笑ってる場合違うやろ?」

「え?」

「いや、だって高校卒業してすぐ結婚とか、普通あり得へんやろ!」

「そうか? 俺も学生結婚やで」

「……………………そうやった」

「今でもラブラブやしな」


 ラブラブらしい。


「九条君、もう1回聞いてもええ?

なんであいつなん? 結婚したら九条君が大学の授業料を出さなアカンし、高丘が一人前の社会人になるまでは絶対に養っていかなアカンねんで。九条君にその甲斐性があるのは分かるけど、九条君ならもっといい人いっぱいおるやろ!? いや、高丘が悪いと言ってるわけやなくて……」


 山之内先はまだ腑に落ちないようだ。



「確かに女性から言い寄られることは多々あります。お付き合いした人もそれなりにいますが——礼桜ちゃんと出逢った今だから分かるのですが、彼女達を想う気持ちは本気じゃなかった……。礼桜ちゃんはにとって唯一の存在なんです。事件に巻き込まれるわ、変な男からは狙われるわ、振り回されてばかりですが、一緒にいるだけで幸せなんです。惚れた弱みですかね? 彼女のすべてが可愛いくて愛おしい……」


「惚れた弱みやね。男は惚れた相手に弱いから。俺は結婚して10年以上経つけど、あいも変わらず妻のお願いは叶えてやりたいし、ウラさんも愛妻家だから分かるんちゃう?」


「ああ」


「でも、九条君の気持ちが聞けてよかったわ!」





「あの、僕からも一つよろしいですか」


「ええよ」


「お手伝いの件は……」


「ああ、別にお手伝いならええん違う? うちの学校は確かにバイト禁止やけど、何事にも例外はあるし。高丘の事情も俺らはよく分かってるつもりやから。ね、ウラさん」


 腕を組んで眉間にしわを寄せているが、鯛浦先生は渋い顔で首肯した。

 首を縦に振った鯛浦先生を見て、山之内先生は話を続ける。


「私立大学の推薦は文理の子らに渡すから、特進の子たちは基本みんな受験やねん。高丘がいる国公立大学を目指すクラスは特に。もし国公立の推薦をもらっても、自分の頭で大学に行かなアカンことには変わりない。その分お金もかかる。

 大阪は所得制限を撤廃して公立・私立すべての高校の授業料無償化に向けて本格的に動き始めたから、それが早く実現すれば高丘のような境遇の生徒もいなくなるんやろうけど」


「……そうですね」


「高丘のお母さんも知ってるんやろ?」


「はい」


「お母さんは何て?」


「成績が落ちたら辞めさせると」


「じゃあ、俺らも高丘のお母さんに倣うわ。九条君がんばってね」


「はい。ありがとうございます」


 俺は座ったままではあるが、頭を下げて謝意を伝えた。

 鯛浦先生と山之内先生には感謝しかない。

 本来なら厳しい処罰があってしかるべきだったと思う。だけど、礼桜ちゃんの受験費用を貯めたいという気持ちを酌み、俺と礼桜ちゃんを見て判断してくれた。それが何より嬉しかった。


 これからも礼桜ちゃんの勉強は見ていくつもりだ。一緒に過ごす時間もその分増えるし、何より礼桜ちゃんといると俺の心が満たされていく。無意識に礼桜ちゃんに手を伸ばし、気づくと礼桜ちゃんの体の一部と常に接触しているけど……。その先に進もうとする俺の本能を理性で抑え込むのは大変だが、それさえも幸せだと感じる。




 とりあえず、バイトの件は一件落着かな。







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