第17話 ◆高丘礼桜という生徒(担任視点)③
「高丘、お前なんでバイト始めようと思ったん?」
「……大学の受験費用を貯めたくて……」
俺とウラさんは、高丘の目を見詰め、話の続きを促した。
「うちは所得制限に引っかかって私学の助成金をもらえないから、全額実費なんです。去年は全部合わせて200万ぐらいかかって、今年も100万ぐらいかかるから……。両親は気にしなくていいと言ってくれますが、まだ下に弟が二人いるので……。国公立を目指す子でも、大学受験の費用は100万ぐらいかかるって聞きました。だから、せめて大学の受験費用は自分で賄いたくて……」
ああ、そうやな。
4月の保護者会でも「来年の11月までに現金で100万用意してください」ってお願いしたわ。今の大学受験は、ぶっちゃけかなりお金がかかる。難関私立大学を目指すなら120万は現金で用意してもらわないと賄えない。
いくら所得が高くても、食べ盛りの子どもが3人いれば、私学の助成をもらわないと厳しいだろう。
ほんま所得制限ってなんやねん。
高所得者層の子どもは、所得制限に引っかかるので、行きたい私立高校を諦めて公立高校に行く子がとても多い。俺の周りでもそんな現実はざらにある。
所得が高い人たちは、その分めちゃめちゃ税金を納めてるんやで。親の所得が高いから行きたい私学を諦めなきゃいけないとか、どれだけ理不尽やねん! 教育で不平等なことをしたらアカン!と俺は思っている。
どこかの知事が所得制限について「子育てに対する罰ゲーム」と言及しとったけど、ほんまそれやで。子どもが中学生になったら児童手当ももらえない。医療費控除もない。私学助成金もない。奨学金は申請さえさせてもらえない。
高所得者層の「子育て罰」のリアル。
高丘の想いが痛いほど理解できた。
チラッとウラさんを見ると、ウラさんも渋い顔をしているが、高丘の想いをちゃんと受け止めていた。
「そうか。じゃあ、今お手伝いをしてもらったお金は貯めてるんやな?」
「はい。5,000円だけ自分のお小遣いにして、あとはすべて貯金しています」
「そうか」
「はい」
うちの学校は〝原則〟バイト禁止だ。
もうええんちゃうん、お手伝いで。咎めなアカンか? 俺はその必要はないと思う。
高丘の成績は2年生になって格段に上がった。物理のテストは40点台が常の高丘が84点取ったときは、思わず三度見してもうた。
きっと九条君が勉強を見ているのだろう。
いろいろなカップルを見てきたが、この二人は色欲に溺れることなく、地に足つけて二人で想いを育んでいるように感じる。純粋に応援できると思った。
ウラさんと目が合った。
腕を組んで渋い顔をしているウラさんは、俺を見るなり、はぁ~~っと息を吐いた。
よかったな、高丘。ウラさんも見逃してくれるみたいやで。
……それはそうと、もう一つ、気になることがある。
「そういえば、高丘、こうなることが予想できたから保護者証を九条君に渡したって言うてたな? あれどういう意味?」
この何気ない質問の答えは、バイトの話なんかどうでもいいくらい、それよりももっと不穏で危険で頭を抱えたくなるものだった。
これを機に、話は別の問題へと進んでいく。
高丘と九条君が目を合わせている。
数秒の見詰め合いの末、九条君は俺たちのほうを向くと、姿勢を正し真剣な表情になった。
これから彼が大事な話をするというのが、すぐに分かった。
俺とウラさんも姿勢を正して、九条君が口火を切るのを緊張しながら待つ。
「実は…………」
◇◇
九条君から聞く話はかなりぶっ飛んでて、俺は軽いめまいを感じた。目の前に座る高丘を見ながら話を聞いているので、余計……。アカン、動悸までしてきやがった。ほんまによく無事でいたと思う。
とりあえず一度叱っておくか。
「た~か~お~か~、お前アホかぁぁぁ!!!!
何やねん、試験会場でよく会う? 2週間に1回駅で偶然出くわす? 1万歩譲ってそれはあるとしよう。けどなぁ、受験番号が前後になることなんか、学校が違うと1億歩譲ってもあり得へんぞ。のほほ~んとすな!! おかしいと思わんかい!!!」
「だって、いつも違う女の子たち連れていますし、偶然見かけても、一言、二言、話すぐらいですよ。みんな大袈裟だと思うんですけど」
少し不貞腐れて答える高丘に、また怒りが湧いてきた。
「た~か~お~か~」
「でも! でも、これからはちゃんと気を付けます。近付きませんし、話しかけられても無視します。
……本当はトラウマになるほどの嫌がらせをしてやりたいくらいなのに」
ボソッと怖いことをつぶやきよった。
すかさず九条君が「礼桜ちゃん」と目で制する。
「しません! 約束したので、嫌がらせも、やり返すことも、私からはしません。でも、向こうが何かしてきたら、やり返してもいいんですよね?」
高丘ってこんな生徒だったのか?
いまさらながら、大人しい優等生だと思い込んでいた自分を殴りたい。
「先生、トラウマになるほどの嫌がらせって何かありませんか? 法律に触れない範囲で」
それから出るわ出るわ。
次から次へと、思いつく限りの嫌がらせを吐き出しよった。
「頭に鳩の糞を大量に落としてやりたい」から始まり、「鼻の穴から何十本も鼻毛が出る呪いをかけたい」「くさやを顔に張り付けて臭いで苦しめてやりたい」「熱湯を水鉄砲に入れて狙い撃ちしたい」「歩くたびに後ろから踵を踏まれる呪いをかけたい」などなど。
高丘、お前がストレス溜まってるのはよぅ分かった。
嫌がらせをしたいと聞いて最初はギョッとしたが、言ってることは非情でも、どれも非現実的で可愛いものだ。
……いや、何個かはできるな……。
だけど、俺はそんなおもしろ発想を真面目に考える高丘にホッとした。
俺たちのやりとりを腕を組み眉間にしわを寄せて難しい顔で聞いていたウラさんだったが、何かを思い出したように俺のほうへ顔を向けた。
「山さん、そういえば、去年、どうしてもこの学校に入りたいっていう電話がかかってきたよね? あれ取ったの山さんだったよね?」
「電話?」
「ああ。公立に合格したけどどうしてもこの学校に行きたいって、入学金は明日絶対納めるので入れてくださいって電話をかけてきた子がおったやろ?」
「そういえば、そんなこともあったな。……え? もしかして、あれ……」
「分からんけど、可能性はゼロじゃないかと……」
併願受験をした生徒の私立高校入学金納付締切期日は、公立高校の合格発表の日だ。
公立高校に落ちた生徒の保護者は、すぐに滑り止めの私立に入学金を払い、その日の午後、どこの私立高校もそうだろうが、1時から併願の子を対象に入学説明会が行われる。そして、その日のうちに制服採寸も。
去年、公立高校に合格した一人の男子生徒が、どうしてもうちの学校に行きたいと、まだ間に合うかという問い合わせの電話をかけてきた。
あれは、公立の合格発表の日の夕方だった。様々な中学校の制服を着た併願の子たちが制服採寸で各教室を回っているのを職員室から眺めていたから。
既に銀行が閉まっているため入学金納付が間に合わず、明日必ず納めるから入学させてほしいと嘆願された。上層部と検討した結果、「入学金の締切期日を過ぎているので」という理由でお断りした。
たしか、その男子生徒は学力の高い高校に合格していたはずだ。それなのに、格下のうちの学校に来たいと言ったので、よく覚えている。
もしかして、あの電話の男が
もしそうなら……。
俺は顔から血の気が引いていくのが分かった。
俺は、俺たちは、どうすれば高丘を守れる?
こぶしで眉間を押さえ、高丘を見た。
高丘はきょとんとした顔をしていたが、隣に座る九条君の顔は強張っている。
九条君は分かったのだろう。その電話をかけてきた男がもしかしたら同一人物かもしれないと。
ブーブーブー。
携帯のバイブが鳴っている。
「失礼します」と言って九条君が携帯を確認した。
「出てどうぞ」と促すと「すみません」と言って携帯に出たが、「ああ、分かった」と一言だけ言うと電話を切った。そして、俺とウラさんを見てお伺いを立ててきた。
「僕の兄は弁護士なんですが、今、学校の近くの駐車場にいるみたいなんです。ここに呼んでもよろしいでしょうか」
高丘は小さく「げっ」と呟き、思いっきり顔をしかめている。
九条君のお兄さんということは、きっと高丘のことも知っているのだろう。
高丘を守るためにどうすればいいか話し合うつもりだったので、俺もウラさんもすぐに頷いた。
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