第11話 ◆【九条湊side】動揺

—同日、午後7時過ぎ—


カラカラカラ


 臙脂色の暖簾をくぐって引き戸を引くと、

「っらっしゃい」

 強面で熊みたいな大将の威勢のいい挨拶に迎えられた。頭には白いタオルを巻いている。


 ここは天王寺駅前商店街の暗い路地を入ったところに佇んでいる、お好み焼き屋〝ぜん〟。


 大将の善さんは、俺の6歳上の兄、理人りひとの1歳上の友達で、俺とは7つ離れている。理人の幼馴染で悪友の一人のため、物心つく頃から知っている。


 そんな善さんのニカッとした笑顔に出迎えられたが、挨拶を返すことすらできなかった。


「おう湊、どないした?」

「…………」


 俺は返事も碌に返さず、カウンター席に座った。




 なんやねん、今日のあの男は。




◇◇




 礼桜ちゃんを連れて事務所に戻った俺は、何があったのか話を聞くことにした。

 ソファーに座り、礼桜ちゃんを横抱きにし、膝の上で抱っこしたまま話を聞いた俺は、その衝撃的な内容に凍りついてしまった。礼桜ちゃんを膝の上に乗せていなかったら、冷静でいられたかさえ分からない。礼桜ちゃんの心地よい重みと温もりでどうにか自分を保つことができたが、それでも動揺は隠せなかった。



 は? 中3の頃から試験会場でよく会う?

 そんな偶然、何回も何回もあるわけないやろ!

 田舎ちゃうで。大阪市内に試験会場となってる場所がどれだけあると思う?

 礼桜ちゃんが希望する会場に目星をつけていたとしか言いようがない。

 しかも、高校入試で前後の席とか絶対にあり得へん!

 受験番号は願書の受付順になってることが多い。ということは、礼桜ちゃんが願書を持ってくる日時に合わせたってことやろ?

 怖っ!! 願書の受付期間中ずっと礼桜ちゃんが来るまで待ってたのか?

 なんやねん、その執着。

 きっとあいつは礼桜ちゃんと同じ高校に行きたかったのだろう。そして、あわよくば……。

 だけど、結果、礼桜ちゃんは落ちて私立に行った。

 俺は礼桜ちゃんが第一志望の高校に縁がなくて本当によかったと、聞いたとき心の底から安堵した。


 ていうか、礼桜ちゃんも礼桜ちゃんやで。2年間もまとわりつかれてんのに何で気づかへんの?

 そんな偶然、何度も何度もあるわけないやろ!



◇◇



 ……はぁ。


 考えるだけで、ため息が止まらない。


 内容がぶっ飛びすぎてて、自分一人では冷静な判断ができそうもない。




 来ていた客がタイミングよく帰っていった。

 誰もいなくなった店内に静寂が流れる。


 俺の様子がおかしいと感じた善さんは、カウンター越しではあるが俺の前に立ち、何があったか話せと無言の圧力をかけている。



 俺は自分の考えを整理するために、今日あった出来事をポツリポツリと話し始めた。







「怖っ! なんやねん、その男。礼桜ちゃんは大丈夫なんか!?」


 善さんはこれでもかと目を見開き、ただでさえ大きい声をさらに大きくして驚いている。


 礼桜ちゃんファン第1号と豪語するだけあり、礼桜ちゃんのことになると暑苦しい。



「やっぱり異常だよな」


「ああ。どう考えても礼桜ちゃんのこと狙うとるやろ」


「俺もそう思う」


「……礼桜ちゃんは気ぃ付いてへんの?」


「まったく気づいてない」


「は? まったく? ……え? 月に2回くらい偶然会うてて、なんで何も気づかへんの? そんなん向こうが偶然を装っとるとしか考えられへんやろ!」


「ああ」


「礼桜ちゃんは確かに鈍いところがあるけど、それでも……」


「鈍感というより、無関心に近い気がする」


「無関心?」


「ああ。まったく興味がないから、〝げっ!また会った〟くらいにしか思ってなかった。何度か名前で呼んでほしいと言われたみたいやけど、名前を呼んだこともなければ、名前さえ覚えてなかった」


「好きの反対は無関心っていうけど……。でも、礼桜ちゃんは意外と警戒心が強い子やで」


「ああ。向こうはそれを分かってるんだと思う。礼桜ちゃんに頻繁に声をかけると不審がられるって分かってるから、警戒されない絶妙なタイミングで話しかけに行ってたんやと思う」


「それが月2回……、ということは2週間に1回ちゅうことか。それやったら、ほんま際どい、絶妙な間隔やな」


「ああ。同い年だから警戒心が薄れていた可能性もあるけどな。よく試験会場で会う同い年の男、しかも、話しかけられるだけで特にアクションを起こしてくるわけでもない」


「……ほんまに礼桜ちゃんはそいつの想いに気づいてないんか?」


「中学生のとき、偶然がたくさん重なるし、毎回話しかけてくるから、もしかしたら私のことが好きなのかなって思った時期もあったって言ってた。だけど、いつも違う女の子たちと一緒にいるから、そんな図々しい思い違いをしてしまって恥ずかしかったって……」


「あー、そいつアホやな。こんだけ礼桜ちゃんに執着しとって自分でチャンス潰すとか」


「女の子たちと一緒にいるところを見せつけて、礼桜ちゃんに〝俺モテるんやで〟アピールをして、男として意識してほしかったんじゃねーの? 知らんけど」


「モテるんやでアピールねぇ。執着しとる割には全く礼桜ちゃんのこと分かってへんな。そんな不誠実な男、礼桜ちゃんが好きになるわけないやろ! 最初から論外やで、そんな男」


「ああ、だから無関心やねん」


「なるほどなぁ。湊は〝最低のうんこ野郎〟やったけど、礼桜ちゃんには最初から誠実やったもんな~」


「………………」


「でも、今でも礼桜ちゃんのことを想っとるんなら、相当厄介やで」


「……ああ」



 俺の彼女は、ある意味、強者つわものだと知った。


 俺も言い寄ってくる女性はフル無視だが、礼桜ちゃんは知り合いでも無関心の男に対してはかなりの塩対応だ。〝近づくな、話しかけるな〟オーラがすごい。隙がない上、鉄壁のガードを纏っている。


 晴冬に対しても時々塩対応だが、あんなん塩対応でも何でもなかったわ。晴冬が受け止めてくれるから、言葉遊びをしていただけだ。ひったくりをした晴冬とそれを止めた礼桜ちゃんの間には、最初から切っても切れない結びつきというか、俺達にはない縁みたいなものがある。だから、お互い遠慮なく毒を吐いたり受け止めたりできるのだろう。



 あれだけ可愛い礼桜ちゃんに今まで彼氏がいなかったのも、鉄壁のガードと塩対応で、好意を寄せる男たちの心を無意識にへし折ってきたからじゃないだろうか。



 もしかして、礼桜ちゃんと両想いになったのは、ものすごい奇跡だったのでは……。


 適当に遊んでいた俺も一歩間違えていれば、礼桜ちゃんから興味さえ持ってもらえず、侮蔑の目で見られていた可能性すらある。




「とりあえず理人にも伝えておいたほうがええんちゃうか? もうすぐ来るはずやで」


「……ああ、そうだな」









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