第4話 蹴兄ちゃんの名前①
—7月16日(土)—
毎週土曜日は午前中だけ学校があるのだが、今日は「自宅学習」という名のお休みだ。
ちなみに今日から3連休だったりする!!
なぜかって? 18日月曜日が「海の日」だから。
嬉しくて仕方がない。
三者懇談も昨日無事に終わった。
1年生のときの物理の点数が44点、45点、46点だった私が、2年生になって最初の期末テストでなんと84点も取れた。
自己最高点!!
50点の壁はかなり高く、50点満点でよくない?と諦めていた私が〝84点〟!!
担任の先生から成績表を見せられた母は、「礼桜、頑張ったね」という言葉よりも先に天を仰いで「湊君、ありがとう!!」と、なぜか九条さんに厚くお礼を伝えていた。
頑張ったの私なんですけど……。
腑に落ちないのでそう伝えると、
「あんたの脳みそでも分かるように物理を教えてくれたのは湊君でしょ!」
と一蹴された。
確かに。
九条さんが教えてくれる物理は、ちゃんと日本語として理解できる。
私は日本人なので日本語を話せると自負していたが、なぜか物理の先生が使う日本語は全く分からない。先生は日本語を話しているはずなのに、なぜか一つも理解できないのだ。
(この先生は本当に日本語を話しているのだろうか)と何十回思ったことか。
なので、私も天を仰いで、(湊君、ありがとうございます)と心の中でお礼を伝えることにした。
天を仰いでお礼を言う、そんな奇妙な行動に出た私たち親子を、担任の先生は面白そうな目で見ていた。
◇◇
カランコロンカラン
時刻は午後4時になろうとしている。お店の中には私以外誰もいない。
「いらっしゃいませ」
入ってきたお客様を確認すると、甘いマスクの
「礼桜ちゃん、こんにちは」
「こんにちは。蹴兄ちゃん、どうしたんですか」
「ちょっと近くまで来たから。ケーキ買ってきたよ。みんなで食べよ」
「やったー!! ありがとうございます! 九条さんと
「ありがと。じゃあ先に事務所に行ってるね」
「はい」
私がバイトを始めて蹴兄ちゃんがお店に来たのは、これが初めてだ。
びっくりしたけど、久しぶりに蹴兄ちゃんに会えて嬉しい気持ちのほうが強い。
蹴兄ちゃんは、九条さんのお兄さん——
私はみんなの前では「湊君」ではなく、いままでどおり「九条さん」と呼んでいる。
バイトとは言えオフィシャルなので、プライベートで呼ぶ「湊君」呼びに抵抗があるし、みんなの前で「湊君」と呼ぶのも照れくさいから。
それを九条さんに伝えると、二人のとき「湊君」と呼んでくれるなら構わないと言ってもらえたので、お言葉に甘えている。
「礼桜ちゃん、もうお店閉めてええよ」
九条さんは店内に入ってくるなり、そう伝えてきた。
「もう閉めていいんですか?」
「うん、配送も終わったし、今日はもう閉めよう」
いつも思うが、なんとも自由でいらっしゃる。
大学生の九条さんが経営する革小物専門店「
なので、表の扉にかけてある「OPEN」の札の下には「11時~」とだけ書かれてあり閉店時間は明記されていない。なんとも自由なお店なのだ。
私は4月からこの革小物専門店「Blueberry Flowers」で土日祝日のみバイトをしている。既にお分かりかと思うが、ここで出逢った店長の九条さんと私は両想いになり、お付き合いしている。
「礼桜ちゃん、俺も手伝うよ」
「ありがとうございます。じゃあ、晴冬さんは2階をお願いしてもいいですか」
「オッケー」
店内には入らずドアから顔だけ出した晴冬さんは、軽やかに2段飛ばしで2階へ駆け上がっていった。
魔が差した晴冬さんが起こした事件(ひったくり)を止めたのが縁で、私たちはこのお店でバイトするようになった。そして、勉強だけの毎日だった私の世界は大きく広がっていった。
晴冬さんとは出逢いこそ最悪だったが、爽やかでとても優しい晴冬さんは今では私の兄みたいで信頼できる人となっている。
◇◇
「そういえば、蹴兄ちゃんの名前って何ていうんですか?」
フルーツタルトにフォークを入れながら、ずっと疑問に思っていたことを、私の前の席に座っている本人に尋ねてみた。
「俺の名前?」
「はい。ずっと聞いてみたかったんですけど、なかなか機会がなくて……」
「俺の名前はねー、
「新堂蹴吉……、格好いい名前ですね!」
「そう?」
「はい」
「でも、蹴吉って顔じゃないと思わない? 本名を教えるつもりもないから〝シュウ〟で通してるけど」
「そうですか? 合ってると思いますけど」
確かに蹴兄ちゃんの顔はかなり甘く、ハニートラップも難なくこなすから一見チャラチャラしてそうに見える。外見を見たら「蹴吉」ではないように感じるだろう。だけど、中身は真逆だ。硬派で頭の回転も速い。なので「新堂蹴吉」という名前はとても似合ってて素敵だなと感じた。
それを蹴兄ちゃんに伝えると、「そんなことを言うのは礼桜ちゃんだけやで」とそれはそれは甘い笑顔で可笑しそうに笑ってくれた。
「もしかして蹴兄ちゃんの昔のあだ名は〝しゅうきっちゃん〟とかですか?」
「それもあったね。理人や
「それは……、何といえばいいか……、すごいエピソードですけど、ご愁傷様です」
ふふふっと笑いながら言うと、「笑ったな~」と蹴兄ちゃんも可笑しそうに笑っている。
「で、その後どうなったんですか?」
「ん? どうもなってへんよ。いつもどおり〝シュウ〟に戻っただけやで」
「理人お兄ちゃん達も?」
「俺らだけのときは時々〝しゅうきっちゃん〟って呼んでたけど、長い!呼びにくい!!って言い出して、結局〝シュウ〟に戻った。ほんま勝手な奴らやで。なんやねんって感じやろ? 俺なんか親からしばかれたのに」
「確かに……」
不貞腐れた感を出すように唇を尖らせている。
なぜだろう。格好いい大人の男の人なのに、そんな可愛い仕草もよく似合う。
蹴兄ちゃんは、格好よくて、上品さもあって、洗練された色気を放っていて、男の人なんだけど中性的な顔立ちで……、一言でまとめると、蹴兄ちゃんの顔は甘い。
だからそんな仕草がよく似合うのかな?
可愛いく見える仕草の参考になるな……。
私と蹴兄ちゃんの違いは何だろう?
そう思い、蹴兄ちゃんの真似をして唇を尖らせたら、
「〝ひょっとこ〟のモノマネか?」
と斜め前に座っている晴冬さんからツッコまれた。
「いや、蹴兄ちゃんの仕草が可愛かったので真似してみたんですけど……」
「え? 蹴君の真似やったん? ひょっとこかと思った」
「ひょっとこはないと思いますけど……」
「そうか? 礼桜ちゃん、そこにある鏡で自分の顔よお見てみい」
「……そんなに変でした?」
「うん。ていうか、いきなり唇とがらせたからキモかった」
……キモいは、言ったらダメだと思う。
チベットスナギツネを双眸に降臨させて、思いっきり晴冬さんを睨んでやった。
「はははは、礼桜ちゃんはそんな仕草なんか覚えんでも、そのままで十分可愛いから自信持ち」
私が何気に凹んだのが分かったのか、蹴兄ちゃんは手を伸ばして慰めるように私の頭をなでてくれた。
九条さんも私を見て頷いている。
可愛いと思われたくて、可愛い仕草を覚えたいと思っているのだが、道のりは険しそうだ。
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