第3話 百人隊長と樹上の防人

 十日に一度、上に行く。私にとっては羽を伸ばす日であり、エリート様に嫌味を言われる日でもある。


「よう、リア……下の寝心地はさぞ良かろうな。暗いのだから、寝やすいに違いない」


 私は、やれやれとため息をつきながら美しい金色の巻毛を自慢にしている同期を一瞥する。


「リアティティだ。……カキアレティス」

「お前は半人前なんだろう? だから半分だけでリアなんだって」


 ラフティがたまらず言う。


「そこの木端エルフ。リアが半人前なら、お前は何人前だ? リアの爪の先ほどの価値もない、クソの塊だろう」


 ラフティが声を荒げて詰る。その言葉に、カキアレティスは顔を歪ませる。


「言葉に気をつけろよ、妖精」

「俺の名前はラフティだ。ラフティリラティ」


 ラフティはラフティが本名である。後半は曰く、リアが半人前な分1.5人前にならねばならんという話らしい。名前を増やせば良いというものではないだろうに。

 そうとは知らないカキアレティスが吐き捨てる。


「ちっ、妖精まで半人前か」

「……つまらん喧嘩はやめろ。カキアレティス、水制の遠眼鏡の様子は?」

「……人間どもが攻めてくるなんて戯言を真面目に信じているのはお前さんだけだよ、リアティティ」


 人間とエルフの動きはきな臭い。騎馬隊が森を襲い、私の部下に容易く討ち果たされたのはここ20年でも二、三度あったらしい。

 マルク曰く、あれは領主の先走りでしかないとのことだったが……何人かが重症になり退役している。軍人故樹上に上がる栄誉を得たが、本人らはは固辞した。樹上の暮らしを想像しただけで気分が悪いと。

 初め聞いた時はふしぎであったが、樹下の人にとってそれは事実だ。


「人間が本腰を入れるとしたら、騎兵じゃ済まないという」

「何だ? 何か恐ろしいものでもやってくるのか?」

「……分からない。だが、マルクはエルフの実力を見極めようとしている気がする」


 あいつは……こちら側ではない。どこまでいっても人間で、人間の理でうごく。彼自身が戦争を厭悪しているのは分かるが、それだけだ。商人とは理に聡く、道を重んじないものだと自ら言っていた。その言葉を信じるなら、マルクは人間側がエルフを凌いだ時、こちらにはつかない。


「……マルクがエルフの状況を告げ口しているなら、狙われるのは樹下じゃない。樹上しゃかいだ」

「ハッ、樹上は遥かに高い。人間風情に至れるものではない」


 カキアレティスは、大袈裟に手を振った。そして、私に干した林檎を投げわたす。


「樹下の貧乏連中にでもくれてやれ」


 ……嫌味のつもりだろうか。樹下の連中は喜ぶだけだぞ。

 私の物言いたげな視線を無視して、カキアレティスは去っていった。






 水制の遠眼鏡。水の光を捻じ曲げる性質を利用し、遠方を見張るために作られた魔法の宿りし宝具の一つ。人間側と世界樹側にそれぞれ二つずつ設置されている。大森林の最奥には、妖精の王が眠ると聞く。私たちは変事に備える必要性を感じ、遠眼鏡を設置したのである。

 人間側の方はまぁ、あまり意味はない。用心のためという理由で作られたものだ。だが、今は意味を持ち始めていると思う。


「何か見えるか、リア」

「人間が見えるが、別にそれだけだ。いつも通りだな――私はリアティティだ」

「いちいちそれ言い続けるの? マジで?」


 日々見続けているのは、何のためか。人間の動向を探るためである。経験上、人間は夏に攻めてくる。夏は、収穫が近い時期であり――人間のたくわえが最も少ない時期である。大森林の果樹園は年中収穫しているが、人間は痩せた田畑を必死に開墾し小麦やその他の作物を育てるという。

 ……それを鑑みると、哀れだと思う。エルフに飢えるものは少ない。地上も、なんだかんだ食糧には困らない。木の根や団栗なんかが食事になると知った時は慄いたが……。


 それはさておいて。遠眼鏡の先にあるのは、なんの変哲もない人間の営みである。今はもう収穫の時期か。随分と慌ただしそうに……。


「あれは、私兵じゃないな。王家の旗が見える」


 私は、小さく呟いた。泣いて縋る農民の女を蹴り飛ばす、鉄の鎧。……小麦を収奪している。王立の軍勢まで、あんなに行儀が悪いのか。


「国軍が、何故国境に……?」


 呟きながら、遠眼鏡を後にする。一応、父親辺りに報告しておく必要があるだろう。

 どうせ「樹上は攻められぬ」とか「防人に人間が敵うはずない」とか言われるんだろうが、自分がすべきことを果たすことは大事なことなのである。結果はどうあれ。



 私だって、無駄だって思わないわけじゃない。エルフにただの人間が勝てるはずがない。寿命で、魔力で、知恵で、力で、技術で、劣る。そうした考えは否定できない。鉄は確かに面白いが……彼らから見れば神業に等しい魔法を前に、ただ硬いだけのものが、我らを害することなどできない。はずだ。

 それなのに。何故胸はざわめくのだろう。私は、人間を存外脅威に思っているらしい。

 だが、そうした私の主張は狂言か杞憂でしかない。


「人間の王家が出ると? これまでの雑兵と何が違うのか」

「父上、人間は集団でこそ力を発揮します。それが大きくなれば、あるいは」

「笑わせるな、リアティティ。――人間風情に何ができる。我らの魔法の前に、吹けば飛ぶ命ではないか」

「……そうですね」

「だが、まぁ……樹下の連中の被害を考えているのだろう。そっちは、儂に妙案がある」


 父は、そう言って笑った。弾かれたように顔をあげた私に囁いた。


「樹下で大規模な被害が出たのちに、リアティティ。貴様の名で我が宗族の財産を動かせ。樹下の勢力は貴様が完全に制御しろ」


 その言葉に、奇妙な感情が浮かぶ。


「父上……?」

「樹下の連中とはいえ、人望は集めて損はない。樹下を掌握すれば、続きは樹上だ。樹上の信望も実戦経験豊富な百人隊長ならば次第に集まる。貴様が閑職を望んだ時には焦ったが、かえって実直であるという評価を得つつあることは僥倖であった」


 樹上の防人は、樹上における権力の掌握にしか関心がないのか。私は、とんでもない絶望を覚えた。人の命すら、被害すら、嘆きすら――計算通りだというのか?


「私は……樹下にて備えます。遠眼鏡の確認を怠らぬよう」

「お前は愚直だが、そこに美徳があるかもな」


 樹上のエルフは――同胞を何だと思っているのだろう。枝を、幹を隔てれば。同じものだとは思わなくなるのだろうか。私は、仲間を見捨てたくはない。


「リア、あんな連中に心を揺さぶられるなよ。お前はお前の為すべきことを為せ」


 ラフティが、珍しく励ましてくれる。こいつは照れ屋なだけで、意外と親身な奴だ。

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半人前のリア まきまき @seek_shikshik

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