第2話 百人隊長と人間
地上にいれば、人間の一人や二人は寄ってくる。防人というものが沢山いるから勘違いされるかもしれないが、防人が守るのは樹上のみ。樹下で何が起きようとも彼らのほとんどは感知しない。故に、樹下のものどもは人間との交易もそれなりに行なっていたのだ。
「……
「ま、土の魔法に秀でる長耳どもがいる以上鉄より優れた石を使ってるんだろうが……石と鉄じゃ明確に違うもんがある」
人間の商人……マルクと言うらしい……は、私にそう語り聞かせながらあらかじめ魔力を石に込めたものを利用し、石と鉄をしばらく青い炎に当てていた。
すると、奇怪なことに石も鉄も赤く光りながら溶けてしまった。溶けたものはかなり熱いらしく、水をかけると凄まじい勢いで湯気が立った。
「炎の水……?」
「へへ、随分詩的な表現をするな。長耳」
炎の水は古詩に出てくる神話上の遺物だ。砂漠を抜ける前に、大英雄の故郷を溶かし燃やしたのは水のように流れる炎であったという。
私は、つい最近ラフティに教えられ聞いた話をそのまましたにすぎない。古代語を知るエルフは少ない。古代語をできるのは詩歌に通じたエルフか、防人として偉業を重ねさらに人品と教養に通じていると認められた古老の教師くらいである。……もちろん、私はできない。
ラフティが文句を言うのと同じに、私も口を開いた。ラフティの言葉は人間がいる時は無視することにしている。
「人の言葉を盗む半人前め」
「……で、石と鉄の違いってのは?」
「溶け落ちるのに時間がかかったろ。……鉄は熱に強いし、硬いだけでなく叩けば延びる。これを研げば黒曜石よりも鋭い」
「へぇ。それは素晴らしいな」
「水や塩で劣化するからその辺りは要注意だな」
「ふぅん……」
硬いのに柔らか。不思議なものだ。鉄の
「……やめときな、リアティティの姉御。矢筈と鏃を強くしても、矢そのものが強くなきゃ、折れてしまいだ」
「……全部鉄で作ってしまうってのはどうだ」
一本が重すぎて飛ばないだろう。自分で言って呆れる。鉄は重い。そんな塊が、空中を駆け抜けられるはずもない。
「……長耳の魔法なら、できるのか?」
「エルフにもできることは限られる」
妖精すら見ることができない人間に魔法などろくに使えるはずもない。そして、想像力が及ばないから相手ができることについておおよその目方もつけられない。
人間に見ることができるのは、具現化した魔法現象やあるいは
不浄の悪霊という定義は、ただ単に人に見えるか否かであるので我々エルフはその定義を指して問題視することはない。人間にとってはそれなりに一大事らしいが……人間社会のことは私にはわからない。
「できることなんて、お前に何があるんだ。リア」
「エルフの百人隊長だろ、アンタ。何ができないっていうんだ」
二人まとめて会話することも簡単なことではない。荷が勝ちすぎるというやつか。
「そうだな。私にできることなんて、林檎を一人三つくれてやるくらいしかできないよ」
できることなど、たかが知れている。私は結局、自身の体重分の鉄を購入し、その性質などを教えてもらうのだった。
マルクは、山菜取りに来て迷い、獣に追い立てられた末に樹下までたどり着いたらしい。そして、その獣を追い払い私が助けたことでマルクとの交友は始まった。彼は没落貴族出身の商人(貴族というのは、広大な人間社会を統治するうえで作られた特権身分らしい)で、森の山菜を高値で貴族に売りつけて商売をしているらしい。
私には助けてもらった恩返しなどと言って色々な情報をまわしてくる。今のところそれを役立たせる方法は見つかっていないが、面白い話が多い。
人間は寿命が短いからか、多くの出来事を文字として残す。その中には嘘も平気で混ざるらしいから、何を何のために残しているのかさっぱりである。
「色々あるんだよ、こっちも」
「エルフの社会にはつまらない事情など何もない」
「……お前から聞かされる樹上と樹下の話とか、まるまる『色々』だけどな」
「お前たちにすればそうかもしれないな。私は私の分相応の生き方をするだけだ」
閑職に回され、僻地に飛ばされるのは人間たちで言うところの「左遷」と呼ぶらしい。右も左もどこを向くかで決まるのだから、そんな呼び方はおかしいというと、飛ばされる先は何処でもいいのだと。人間は随分適当に言葉を扱う。
「――言葉には、力が宿る。一度口から出た言葉は、どうすることもできない。商人の貴様でも、言葉は売り買いできないだろう」
「俺にはできないが、人間社会では言葉だって立派な商品さ」
曰く、司法取引という制度があるらしい。罪と言葉を売買するとか。何もかもが適当な社会である。
「エルフよりも何十倍も群れ為して動く人間どもが、そんなに適当でいいのか」
「何十倍も多いから、適当でもいいんだよ」
やはり、人というのは分からない。エルフの社会と同じにはおもえない。幾百も氏族が存在し、その氏族同士が今も対立を続けているという。それは、隣人を信じられない社会だ。
そんなものがどうやって成り立っているのだろうか。隣にいるエルフが、突如として魔法を使い牙を剥いてきたら。私は、そんなことありえないと思っている。そのありえなさは、信頼によって成り立っている。こいつは敵ではないという事実が、私を安心させている。
言葉を売り買いし、人を貶める世界で。一息つく暇など、あるのだろうか。
「人間は寿命が短いのに、その時間すら大事に使おうとは思わないのか」
マルクは、その言葉に苦虫をかみつぶしたような顔をした。そう言えばこいつも、大森林に立ち入るような命知らずであったか。
「ま、エルフと違って人間はわんさかいるからな」
数が多ければいいってわけでもないらしい。
「それじゃやっぱり多すぎるってのもよろしくなさそうだな」
私はいまのまま。風のままに、きままに。百人隊長をよろしく務めさせてもらうとするか。
「百人でも荷が重いけどな」
私の言葉に、マルクがあきれた。
「アンタはそれなりによくやってるよ」
「そりゃどーも」
精一杯頑張ってそれなり。慰めにはなるまい。
今年は梨が豊作で、樹下の連中にも一つずつ買ってやるくらいはできた。甘みの強い果実は樹上でもそれなりに値段が張る。私も梨や桃はめったに食べない。
樹下で採れる野菜類は、甘みも少なく果実めいた味わいはあれど、遠く及ばない。
甘さも、みずみずしさも。そもそも、野菜には妙な苦味や渋みがある。煮炊きすれば多少はマシになるが、そうまでしないとまともな食事もできないのが樹下の暮らしである。
というわけで、くれてやった梨だったが。どうも、樹上の果実は樹下の人にとっては首を傾げるものだったらしい。
「新鮮で、みずみずしい。……が、なにやら食べた気がしない」
「普段食べる干した林檎や、根菜の方がよく噛んで食べるから腹が膨れて良い」
なんて意見が大勢を占めてしまうのである。……食事というものは腹を満たすためだけのものではない。樹上で梨や桃はある種の嗜好品として広く受け入れられている。
が、獣を食べ木の根を齧る人々にそうした価値観は中々受け入れ難いらしい。
樹上と樹下。エルフとエルフで、これほどに価値観が異なるのならば。
「数万里にも渡る人間の国は、同じ国といえどもまるで別の世界を生きているんじゃないのか」
私の言葉に、マルクはこくりと頷いた。
「そりゃそうだ。……場所が違えば、暮らし方も変わる。場所が同じでも、生き方が違えば考え方は変わる。生き方と暮らし方が違えば、考え方が変わる。そうした考えの違いが、どこまでもぶつかり合って鎬を削る。そうして戦争は起こるのさ」
食うに困って人を襲ったことなどないエルフには分からんかもな、と付け加えられた。失礼な。何一つ食えるものがなくなった時に、富めるものから奪えばいいという考えに至るのは当たり前だ。
樹下の連中に、奪わせたくないから。無惨な死を与えたくないから。私はせめて、自分の部下にはひもじい思いをして欲しくないのである。だが。考え方が違うから、人と争うというのは……。いや、わかるはずだ。かつて、灰色の氏族を追いやった争いは。支配を受け入れるか否かの内紛。多くのエルフが人里へと逃げ、奴隷の身分に落ちたという。
マルクから鍛治作業の様子を教えてほしいと言われた。研ぎ石というもので研いだ鏃を見せると、ほほぅと笑った。
「器用なもんだな……鉄文明を知らんくせに、よくここまでのものを」
私は、作ったはいいものの解明されていなかった疑問をマルクにぶつけた。
「確かに頑丈に作れたが、魔力を纏わせれば硬い木や岩でも同じものにできる。何故このように固いものを苦労してまで使うのだ」
マルクは、呆れつつ笑った。
「そんな奇術は、エルフどもにしかできねぇよ」
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