半人前のリア

まきまき

第1話 百人隊長と林檎たち

 大森林には、エルフが暮らしている。大陸中の常識である。では、エルフとは何か。――この問いに答えることのできる人間は少ない。なぜなら、エルフを直接見たことのある人間は限られるからである。

 得意げに、エルフのことを語る人間もいる。だが、彼らのほとんどが誤った知識や偏った知識しか持たない。曰く、エルフは清廉潔白で嘘を嫌うだとか。森の恵みをわずかに享受し、清く貧しい暮らしぶりの中にいるだとか。炎の魔術を得意とした、褐色の肌の持ち主だとか。

 これらの情報はもちろんながら実態を的確に表したものではない。エルフは、大森林の中で。人間同様に、共同体しゃかいを作って暮らしていた。


 さて、もう少しだけ、エルフという種族の話をしよう。


 彼らは、森の中で暮らしていたが、人間のように境界をはっきりはさせない。人間なら森で暮らそうと考えたならば「木を切り倒して」「ひらけた場所をつくり」「外敵対策をする」。自分たちが暮らす場所とその外側を意図的に区分することで人間は安定した生活を得る。そういう意味で人間は「境界を作る」。森を排除することで森で暮らすことが可能になる、と換言できる。

 エルフは、木を切り倒すことはほとんどしない。彼らは木の上で生活をするからだ。木の間に橋を架け、木をくりぬいて家にする。森林の上に無数のエルフが暮らし、森の果実や木の実を食べる。肉を食らう必要がないため、鳥や小動物とも共存が可能である。彼らは森を支配する。――もっとも、巨大で頑丈な木々が生い茂る大森林でしかそうした生活は不可能だ。


 長々とエルフの話ばかりで疲れただろうか。これで最後にして、本題に入っていこう。かつて犯した王国最大の過ちの話を。

 森林侵略。大森林に眠る莫大な資源を求め、王国の大進軍。地平を埋め尽くさんばかりの軍勢は、無惨にも敗北した。

 入り組んだ森林では、大軍に意味はなかった。魔法の精度が違った。弓の造りと素材に差がありすぎた。理由などいくらでもあげられるが……理由はたった一つ。


 たった一人でしかない。


 エルフには軍神の生まれ変わりがおり、人には居なかった。

 ただ一人が、戦いの趨勢の尽くをひっくり返したと言えば。それを誰しもが笑うだろう。


 しかし、事実である。森林の庇護者は、誰よりも苛烈で、恐ろしかった。

 あれから何十年も経ってしまったから、生存した兵士もずいぶんと減ってしまったが……。しかし、恐怖が衰える事はない。

 故に、私は調べることにした。誰よりも恐ろしい、エルフの総大将。リアティティという人物について。その人物について……誰も、詳しいことは知らない。将は軒並み打ち取られ、兵士は狂乱の中で喚き逃げ惑うことしかできなかったのだから。だからこそ、その人の正体について我々は知らなければならない。


 森に立ち入る以上、私は死ぬかもしれない。続きは、森の中で書こうと思う。……書くことができれば、の話だが。大樹が立ち並ぶ森の奥に、私は足を踏み入れた。








 エルフたちは、妖精と契約する。風の妖精。水の妖精。土の妖精。三種の妖精のどれかと契約することで、その属性の魔法を操ることができるようになる。……火の妖精との契約は、とうに途絶えた。彼らはもはや私たちの前には現れないだろう。

 それはさておき、百と二十の年月を重ね成人として認められれば、妖精と契約することができる。

 私は契約したばかりだが、別にこれといった感慨も無かった。私の相棒たる妖精……風の妖精ラフティは私と百年来の付き合いだし、私のことを常々小馬鹿にするからである。



「半人前のくせに、成人したとは生意気な。お前なんかはな、半人前のリアだ」


 風の噂では、人間たちは名前を略したりあだ名で呼ぶこともあるらしいが。エルフは名を略すことはない。あったとしても役職名で呼んだりするくらいか。先生とか。


「エルフには名前を略す文化はない。……最近同期にお前の真似をされるようになったからないとは言えんか」


 私に森が下した評価は、「早熟の凡人」だった。幼いころは、そう、五歳の頃には誰よりも弓が上手に引けた。今では、弓が壊れてうまくいかない。徒手格闘は――今でも負けないが。魔法を使った模擬戦ではラフティの力を借りることができないので、負けっぱなしだ。

 要するに、私は兵隊向きの人間ではない。努力はしてきたつもりだが――。私の努力が実を結ぶのは、まだまだ先のことである。そう思わないと、やりきれない。


「林檎だって桃だって、そう簡単に育つものじゃない」

「育っても林檎みたいに酸っぱいものじゃ、意味がないけどな? リア」


 ラフティの言葉に、すこしムッとする。


「林檎は林檎で嫌いじゃない。桃なんて、甘くて、みずみずしくて、誰にでも食べられるものじゃない」

「林檎なんて、酸っぱくて、小さくて、誰でも食べられるものじゃないか」

「だから嫌いじゃないんだよ」


 私の言葉に、ラフティはにやりと笑った。


「だから、半人前のリアなんだよ」


 半人前でも、人よりできなくても。それでも、自分にできることをすればいい。頑張ればいい。私は、私への評価に対して関心がない。今も昔も、すべきことをできる限りでやるだけだ。


「がんばらないと、だな」


 今日も気合を入れて、作業を始める。――火を使う作業は、エルフの森……樹上社会においてはそれなりに繊細な技術を要する。私は、人間との交易で手に入れた少し変わった糊を使っていた。


「また下手糞な工作をするつもりか? リア」

「無駄だからやめろって言いたいのか」


 そう問えば、ラフティは決まって笑う。


「リアのすることを止める気はないな――契約の時から、私たちは二人で一つだ」


 いつも、そう言うから。正直、ラフティに半人前扱いされるのは。悪い気分ではないのである。私は、友人がいて。知り合いがいて。家族がいて。食うに困らない。

 私は――もし仮に私に途方もない力が宿っていたとしても――。そんな力、使う日がこなければいいと思う。エルフが森の上で暮らし、大規模な兵隊を抱え込んでいるのは。いざという時のため。この森に、危機が迫ったとき。


「力なんて、振るわなくていいならそれに越したことはないんだよ」

「でも、持ってるに越したこともない。どれだけ精神が立派でも、力がなければ味噌っかすでしょ」


 ――それは、そうなのかもしれない。正しい心を持ち、正しい行いを為し、正しい言葉を並べても。ただ一度の暴力で、全てはひっくり返る。

 だが、それでも。


「別に。力なんてなくても良いと思う。頑張るだけ。できるだけ、やり切ることができたら――満足だよ」


 私はどれだけ自分を誇らしいと思えるだろうか。防人として任じられてもうじき二年。人間たちの動きがきな臭くなっている。

 私に与えられた部下は百名。百人隊長と言えば聞こえはいいが――その全員が樹上ではなく、樹下の民である。

 エルフは、高度な文明を大森林の樹上に築き上げた。接ぎ木で実った大量の果実や種実。木材の加工も見事なもの。木と木の間に橋を架ける。転落する者は風の妖精に救われ、死の危険はない。だがしかし。それでも、森そのものの世話をしなければならない者はいる。

 それが、樹下の民。かつて犯罪をおかしたとされるものである。


 森林なのだから、木の上には鳥とかリスとかはいる。だが、樹下には熊や虎がいる。場合によってはもっと恐ろしいものだって。樹下の民は皆怯えながら毎日を送っている。時には死人もでる。私が、森林の守りの主軸は樹下だと主張したこともあった。

 その結果、私は樹下を守る百人隊長に任じられ、樹上に上がるのは十日に一度だ。防人はそれなりに地位が高いし給金もいい。樹下手当もつくので、私は同期では一番稼いでいる。

 集落が騒がしい。作業をやめて、火を足で消す。目を細めると、黒く大きな影が見えた。


 獣だ。







 自分の部下となるものはやせて、ひょろひょろで、弱弱しいものばかりだった。百人並んだ連中の七割が適合する妖精を見つけられない落ちぶれた氏族とされる灰色髪。皆、さして力の強い妖精と契約しているわけではないから、魔法を使わない私より弱い。

 ぱちぱちと、焚火をしながら(樹上なら許されないことである)私は部下と大地に座って、獣の肉を食らっていた。今日、樹下の集落を襲ってきた獣である。


「隊長は強いですね」


 やせぎすの灰色髪の男――カルロメナスが、私にそうこぼした。


「まぁ、魔法を使えば別に獣の一匹や二匹……そんなことより、こんなものと林檎しか食わせてやれなくて済まないな。酒だって、人間と交換した苦いやつだ」

「これはこれで、悪くありませんよ。隊長」


 私は、獣の肉を齧る。死体の香りだ。脂が焼けて、独特の香りを放つ。果実よりも繊維質で、筋があって、噛み応えがあって、ところどころ脂がある。奇妙な味わいである。


「私は……こんなものより、胡桃や干し柿が好きだ。私の稼ぎで、百人をもてなすとなると……林檎しか買えない」

「林檎をたった一人で、三百個ももって降りてきた。私どもにはそれだけで十分です。貴方がいてよかった」


 ――違う。私は、感謝されるような人間ではない。だって、樹上では太陽の光を存分に浴びて、妖精と戯れ、果実酒を浴びるほど飲み。土の汚さを忘れるのだ。

 一人だけ、良い眼を見ている。だからこの林檎は。


「罪滅ぼしってやつだな」

「半人前なりの饗応だな。受け取ってやれ、カルロメナス」


 ラフティは、カルロメナスのことは略さない。私は半人前隊長で、こいつが一人前兵士だというのか。……まあ、それなりに心根は優しい方だと思う。

 それどころか、皆……優しい。彼らをいずれ、樹上に招きたい。私がそう祈るのは、過ちだろうか。樹上と樹下のエルフ。何が違うというのだ。


 彼らは知っているのだろうか。樹上のエルフが見上げる太陽が、どれだけ暖かいかを。


 彼らは知っているのだろうか。樹下のエルフが見上げる空が、途方もなく狭いことを。


 両方を知っているのは。私のように、樹上と樹下をふらふらとさまよう――半端なエルフだけか。

 腹を満たして、土の冷たさを感じながら眠る。眠りにつく前に、誰かが歌っているのが聞こえる。

 妖精に捧げる詩だ。樹上よりも、樹下の方が伝統を重んじているのは。――かつて盟友としていた妖精を喪った悲しみからだろうか。



 灰色の髪の氏族は、かつて最も強い妖精であった火の妖精と盟友であり、樹上で王権を握っていた。しかし、手を組んだ他の三つの氏族――白色、金色、銀色の髪の氏族によって、革命を起こされ。火の妖精の多くは盟友を討たれた嘆き故に大森林の中心へと帰っていった。故に、灰色髪は適合する妖精をなかなか見つけられない。見つけられたとしても、その妖精は力が弱いゆえに他のエルフに見向きもされなかった者どもばかりである。

 だが、しかし。こうして樹下でひもじく、獣を食らい、土の上に枯れ草を張り。苦い酒を飲む彼らの暮らしぶりは。あまりに理不尽な気がする。


「私にできる精一杯は、林檎三つだけ」


 半人前だと言われるのも、仕方ないことだ。



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