第8話 癒し手だって、満足したい

 「改めて……、「お願い」してもいいですか…?」


 彼女は目を伏せる。そして、すっと身体を寄せ、あのときと同じように、顔に頬をぎゅっと押し付けてきた。


「……いいよ、もちろん」


 そう言った彼女の眼は優しい光を湛え、すこし熱を帯びていた。


 …………………


 僕を先に中に通すと、彼女は表の戸に【施術中】の札を提げ、戸を閉めて中から鍵をかけた。お務めの最中だから入ってくるな、くらいの意味だろう。


 狭い脱衣場で服を脱いでいると、彼女も湯着を脱いで裸になる。そして、タオルを僕に手渡してから、


「施術衣とか無いけど、いいよね?」

 そう言って裸のまま答えを待たずさっさと湯場に入って行ってしまった。

 ……そういうのは女の人の方が気にするものだと思っていたので、僕としてはなんの問題もなかった。僕も後に続いて湯場に向かう。


 先に入った人妻が、


「ティちゃ~ん、さっきの飛ばし屋さん、捕まえたよ~!」

 と、奥に向かって声をかけている。


 他に誰もいないと思っていたが、……ティちゃん?


 板張りの床の浴室に入ると、

「いらっしゃ~い、来てくれてうれしいわ~♪」

 そう言って笑顔でこちらを見ている人の姿が見えた。


 なんと、……診療所に連れていってくれた、そして付き添いまでしてくれた、あの柔らかで上品な人妻だ。湯船の縁に座り脚だけ浸かっている、こちらも施術衣などは身に着けておらず、美しくふっくらとした裸姿が見えた。どうやらティさん、という名前らしい。


 癒しをしてくれる相手の事は、あまり深入りして知ろうとしないことが作法であり、名前もそれに含まれるのだが、これは不可抗力だろう。他に人が居ないので無防備に名前を呼んだのかもしれない。


 先の人妻とは秘密を共有し合えるような間柄で、関係性も良好なのだろう。

 お互いに自然な笑顔で笑いあっている。手を引いてくれた時や診療所での柔らかさと上品さよりも、今は快活さが前面に表れているような気がした。それでいて品の良さも失っていないところに、ますます好感が膨らんだ。


「すみません、またお世話になります。」

 と声をかけると、


「ふふっ、こちらこそ~。」

 とにこやかに返してくれた。


 不意に背中に柔らかな感触を感じ、そちらを向くと先の彼女がしなだれかかりながら、囁くように、少し責めるように言ってきた。


「ティちゃんには、「お頼み」しないの?」

 僕は少し驚いた。


 仲が良さそうに見える、この二人だ。恐らく二人とも診療所で誘ったことは知っているのだろう。だが、二人同時に「お頼み」というのは……、さすがに経験が無い。それどころかお頼みの作法にもそのようなことは触れられていない。基本的な考え方としては、この一連の行為はお互いの合意によってのみ成立する、というものだ。

 ……本人たちがいいのなら、それでいいのかもしれない。


 いいんですか?と双方の顔を見比べる。

 すると、ティさんは、


「私だけ放置って、酷いんじゃないですか~?」

 と少し挑むような目をする。


 それは……、そのとおりだ。

 先に二人共誘ったのに今度は片方なんて、これはあまりにも礼に失する。僕は、湯船の縁にそっと近づきティさんの手を取って、改めて、ちゃんと目を見つめ、


「「お願い」できますか?」

 そう聞く。


 ティさんはあっさりと、はい喜んで♪と口元をおさえて、ふふっと笑う。どうやら最初からそのつもりだったようだ。彼女の屈託のない笑顔に、僕も安心する。


 先の人妻は、柔らかい湯布団を引っ張り出して湯船の脇に広げている。

 ここは蒸し風呂温泉という事になっているが、診療所とは違い炎熱装置も蒸気孔も無い、ただ源泉を通しただけの温泉風呂である。ここはシャワーすらない簡素な作りだ。湯船に流れ込む原泉を分配して貯め置いてある洗い湯を、柄杓ですくってかけ流す単純な方式なのだ。だが、引いてある源泉の温度が高いのだろう、簡便な構造でも室内の温度は決して低くない。源泉引き込み口に近づけば、サウナとしても十分に通用するほどの温度が出ていた。


 僕は柄杓で手足、腰回りに念入りに掛け湯をする。すると、長身美形の人妻が、肩や背中に掛け湯を手伝ってくれた。


 手すりにタオルを掛け置いて、湯船にゆっくりと入る。湯船の底に座り、縁に寄りかかろうとすると隣に入ってきた美形の人妻が、同じように縁に寄りかかり、そして脚を開き両手を広げて、

「はい、どうぞ。」

 と誘う。


 肌を密着させなさい、ということだ。

 どうやらすぐに癒しを始めてくれるらしい。


 僕は頷いて、人妻の胸に背中から寄りかかるように座る。そうして乳房の間にちょうど頭が来る高さになるように腰を前にずらして身体を沈める。それに合わせて人妻は、右腕を僕の脇の下に通し、左腕は僕の胸に添えて抱えるような姿勢になる。さらに、脚はお尻のあたりを挟み込み絡み付かせるように包みこむ。


 あぁ…落ち着く、それにしっくり来る。


 ゆっくりと、意識が自分のものではないような感覚になり始める。これだけで、身体が溶けそうになってきた。……こんなに相性の良い人は初めてかもしれない。


「……名前は」


 僕の口から、無意識にそんな問いが漏れ出ていた。


 人妻は「ん…?」と答える。


 僕は、静かに名前を聞いてみた。作法からいけば逸脱しているかもしれないが、まだ始まったばかりだというのに、一度だけなんて嫌だ……また逢いたいと思ってしまったのだ。


「名前は……何て言うんですか?」


「ん~?」ととぼけたような顔で続ける。


「それ、聞いちゃうかなぁ?……ふふふっ。」

 やはり、簡単には教えてくれないのかな。そう思っていると、向かい側から、


「エレさんよ。」

 とティさんが答える。


 エレさんと呼ばれた彼女は、きゅっと腕に力を込めて、

「ダメよ、…勝手にばらしちゃ。」

 と、言葉だけは責めているが怒っている風ではない。


「私だけ覚えられてるのも、ずるくないです~?」

 ふふっ、っと短く笑って、


「それに、……覚えててもらわないと、また逢いたいと思っても呼んでもらえませんよ……?」

 そう言って、ティさんが湯船を漕いで正面からゆっくりと近づいてきて、ちょっと照れたように微笑んでから、


「じゃあこちらも……致しますね。」

 湯船の中で膝立ちの姿勢で近づいてから、僕の脚を跨ぐように座る。診療所の時と、彼女たちの前後の役割が逆だと気づいた。


 ティさんは、僕の左腕、右腕をそれぞれそっと掴み、肩の付け根から手首まで2、3度撫でるようにさする。それから僕の手を取って、自身の大きな両乳房に僕のそれぞれの手を添えさせる。

 診療所のそれとは違い、とても力強い、遠慮の無い「癒し」だ。


 ふぅ~…っと深く息を吐く。そして、ティさんも僕の胸に手を添える。


 ………とくん、とくん、とくん、と三人の鼓動がリズム良く並んでいくのを感じる。

 向かい合った、ティさんとエレさんの視線が交わる、ほんの微かに頷き合うような合図、



 瞬間───



 半ば失神するかのように意識が身体から引き剥がされ精神だけが打ち上げられたように上空に投げ出される──。誇張ではなく、眼下に湯船で絡み合う自分たち三人が見えたような感じがした。その後、ふわりふわりと意識がゆっくり降下するように感じる。しかし余りにも強い浮遊感に、僕は本能的に掴まるものを探してしまいそうになる。


 すると、優しく抱き止めるような感覚が背中を覆う。

 エレさんが少し腕に力を込め、感触で身体に精神を呼び戻しているようだった。


 僕は解脱状態から現世に戻るよすがを探るように、両掌に力を込める。指はしっとりと柔らかな膨らみに沈み込み、心地よい弾力を伝えてくる。薄く目を開くと悩ましげな表情でこちらを見つめるティさんがいた。


 頭の芯から邪気が抜けていくような、底知れぬ酩酊感のような、これまで得られなかった、魂が引っ張り出されるような幸福感と充実感が身体を包む。


 診療所でも十分気持ち良かったが……、これはもう格が違うと云わざるを得ない。


「はぁ~~…」っと、長い息を吐く。


 するとエレさんが背中側から身体を起こしながら、僕の頭をそっとティさんの乳房の間に押し込んでくる。僕は手を離し、今度はティさんの背中に手を回して抱き締めるような形で乳房に顔を埋める。ティさんも僕の頭を抱えるように腕を回し密着する。

 後ろのエレさんも、それに合わせて胸や腹に手を回し絡み付く、深く深く……どこまでも深く……。


 ──────


 それから、どれくらい経っただろうか──。


 ふと気がつくと、僕は湯船の脇の湯布団に寝かされていた。

 目を開けると上から覗き込んでいるティさん。……彼女は膝枕をしていてくれたようだ。エレさんは僕の身体に、寄り添うように寝そべって胸を撫でていた。


 視線の先……、小屋の天井付近にある明かり取りの窓からは、既に濃紺の空と星が見えていた。

 あれから、結構な時間が経ってしまったようだ。


 慌てて起きようとすると、


「まだ、大丈夫ですよ。」

 とティさんが優しく言う。


 エレさんが、僕の前髪と額を撫でながら、

「ずいぶん深く、沈み込んでたね……」

 と、少し感心したような可笑しそうな微笑みを見せた。


 疲労が澱のように溜まっていたのだろうか。

 自分でもいつ意識が落ちたのか、全く気付かなかった。


 僕は、身体の具合を確認してみる。

 わずかに残っていたような不安要素まで完全に取れて、嘘のように身体が軽い。

 真の「癒し」の奥深さを感じる。


 ここまでできる自信があったからこそ、もう一度来いと言い、待ち伏せのようなことまでしたのだろう。


 「ありがとうございます」

 と、改めて礼を言い身体を起こす。

 目覚めの怠さのようなものは全く無い、今すぐにでも動き出せそうだ。


 「どういたしまして♪」

 とティさん。

 「お安いご用よ」

 と、ひらひらと手を振るエレさん。


 この二人には、ますます興味が湧いてくる。

 そして、癒やしの技法についても──。

 二人だけでここまでできる事や、技術の妙など、聞いてみたいことがたくさんあった。けれど、それは今ではないような気もする。


 僕は、ゆっくり立ち上がってタオルを手に取り、汗を拭く。

 そろそろ帰る雰囲気かな……。

 そう思っていると、後ろからエレさんが、


「なぁに?このまま帰るつもり~?」

 とからかうような声。

「ね~?ふふふっ、酷くないですか~♪」

 とティさん。


 なにか間違えてしまっただろうか?

 僕は、立ち止まって考える。


 ………!!


 そうだ、この二人に「お頼み」していた事を思い出す。

 頼んでおいてなにもせずに帰るなど、失礼極まりないことだ。

 慌てて二人の前に膝を付いて非礼を詫びる。


 エレさんは

「それだけすっきりしちゃった、ってことでしょ?」

 そう言って、可笑しそうに笑う。

 まあ……はい、と、肯定の意を示しつつ……、

 内心とても恥ずかしい。あれだけ、……気持ちを込めて誘ったのに。


 すると、ティさんがちょっと困ったような笑顔をしながら、

「本当は、ちょっと心配してたんです……歳の事もあるし。やっぱり若い子の方がいいのかな~、とか」

 ティさんはそう言って、頬に手を当てて小首をかしげる。


 それに続けてエレさんも、

「相性が良いのは、……診療所でもわかってたんだけどね。それとこれとは別だし……。だから、誘ってくれたときは嬉しかったの。……久し振りだったから、軽く焦っちゃったけど。」

 そう言って頬を掻く。


 久し振り……なのか。

 意外な気もする。


「でもさすがにあの場では──、「はい」って受けるわけにもいかなかったし………、そしたら…」

『ね~?』

 二人の声が重なる。


「ティちゃんも誘われたって聞いて……。」

「仕事終わって、お話ししてたらエレさんが、『なんで私、断っちゃったんだろう……』ってすごく落ち込んでてね、ふふふっ」

「あの人きっと、……た、た、溜まってる人だよ!って……///」


 なぜそこで照れる?こっちも恥ずかしいじゃないか……


「これはもう、もう一度捕獲するしかない、って」


 捕獲……、捕獲されたのか僕は。


 その後、二人はすぐ行動に移ったらしい。

 先生に、癒しの不具合が気になります。家に訪ねていって定期的な診療の案内などを。とか、とにかく適当なことを言って住所を教えて貰って、訪問診療の許可まで取り付けたそうだ。

 ……噂に聞く、好色だったころの男のような行動力だ。性の解放世代らしいとも言えるだろう。

 訪問診療と言うことは、ここで捕まらなかったら家まで押し掛けてくるつもりだったということなのかな……?


「───空を飛んでるとこは見えてたし。ほら、私達そういうの、わかっちゃうから」


 わかる、というのは……、僕が車で墜落してくるところを目視外から気配で感じ取っていたという、あの感覚のことだろう。


「車は牧草地に置いたままだし、帰るときは徒歩だろうから、ここでお風呂に入って待ってれば絶対通りかかるよ、って。」

「大当たりだったわね、ふふふ~。」


 ……執着気質もあるのだろうか?ほんの少し心配になってきた。


 まぁ、ともかく、……だ。

 ここまで期待してくれたのなら男冥利につきる。心行くまで楽しませてもらおう。

 いや、……ここまでしてもらったのだから、楽しませてもらうだけというのも芸がない、……ふむ。


 一計を案じる。

「じゃあ、今度は僕がお二人にご奉仕しましょう」

 僕は、二人にそう提案した。


 二人は、きょとんとしている。

 まさか、癒し手がご奉仕される側になるとは思っていなかったのだろう。


 湯場の中に、熱がこもる──。

 この日の感謝を、僕はこの二人に精一杯ご奉仕することで、お礼をしようと考えた。




──────────────────────────────



※ミッドナイトノベルズにて、R18パートが公開されております。

 カクヨムのみでもストーリーは把握できますので、次回もそのままよろしくお願いいたします。

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