第7話 湯場での再会

 僕は、地上から手を振り皆に別れを告げる。

 5人を乗せた、白い昆虫のような機体はそのまま緩やかに高度を上げ、夕焼けの空の彼方へ飛んでいった。


 団員たちを見送って、そして──空を見上げる。

 色々あったが、なんだかんだで……いい時間になってしまった。

 

 このまま家に戻るか、しばし考える。

 6式に乗った直後は清々しいほどの開放感と満足感に包まれていたのだが、新型に乗った後の感覚はあまりいいものではなかった。


 飛行舟の違いというより、飛ばし方の違いだろう。

 あの新型は、「飛ばし」の能力が使えない一般飛行士には操縦することができないものだ。だが、あの飛行舟は乗っている全員で担ぎ上げることができる。それが飛ばし屋独自の飛行術の一つである。

 ただし、その場合は複数の人間の意思の力が機体上で混じり合うため、リヒトにとっては体質による負担がかかるのである。飛ばしの技術に優れるリヒトが唯一苦手な飛行方法なのだ。


 やはり、大人数で乗るのは自分には向いていないのだな……。


 リヒトはそう考えながら歩き始めた。

 せっかくの開放感だったのが、新型に乗ったせいで変なモヤモヤが残った感じになってしまった。さりとて、また6式に乗りに行くわけにもいかず、リヒトは中途半端な思いを抱いて家路に向かい始めた。


 しばらく歩いていくと、村の外れの十字路のところに差し掛かった。

 そういえば……ここには、あまり他の人が使っていない穴場の湯場があるのを思い出した。この村に点在している「湯場ゆば」とは、公衆温泉の小屋と、簡単な交換所と呼ばれる物資売り場が併設されている施設のことだ。開拓時代から続いている、我が一族「ドルイド族」の伝統的な施設である。

 古くは、掘り当てた天然温泉があることを示す標識だけだったらしいが、その後しっかりした湯船が作られるようになり、それを囲う小屋ができていき、旅の者同士が物資を交換する簡易交換所に簡単な共同利用の調理場が組み合わされて、現在の湯場の形態が確立されたのだ。


 ───その湯場の近くまで来た。


 辺りに温泉成分の匂いが漂ってくる。

 こうなると、俄然入っていこうかという気になってくる。視線の先に、湯場の建物が見えてきた。

 しかし……、いつもは人が使っていることなど稀なこの湯場に、誰かがいるのが見て取れた。


 入口の軒下の長椅子に、先客らしき人が座っている。ざっくりとした湯着だけ身に纏って、のんびりと涼んでいる、女の人の姿が確認できる。

 先客がいるのなら今回は遠慮しようか……。

 そう思いながら、素知らぬふりで湯場の前を通り過ぎようとしたところで───、声をかけられた。


 「おつかれさま、これから帰りかしら?」


 ───聞き覚えのある声だった。

 馴染みの人ではない、しかし……ごく直近に出会った、とても印象的な人だったことを思い出す。

 顔を向け、その人の姿を改めて……確認する。


 柔和な笑みを浮かべ、凛とした佇まい……長身で美しい姿の人妻。

 そう、診療所で癒やしの施術をしてくれた、そして「お頼み」をしたが断られてしまった、あの女の人だった。


 なぜここにいるのだろうか……?

 確かに、あれから何時間か経っている。すでに診療所は店じまいの時間なのだろう。……湯着姿ということは、当然お風呂に入っていたのだろうが………、考えるまでもなく診療所は風呂と一体だ。そちらを使わずに、敢えてここに来ているというのは、少し不思議だった。


 リヒトが少し戸惑っていると、また微笑んで人妻は話しかけてきた。


 「さっき、飛んでるのが見えたのよ。あ、あの人だ……って。」


 見えた、とは言っているが肉眼で捉えるには少々距離が遠い。これは癒やしの力を持つ者の能力で、気配を感じているという意味だろう。


 診療所で会った時の雰囲気よりも、ずいぶん気さくな感じを受ける。仕事中は、あまり砕けた感じに接するというわけにはいかないのだろう。なんとなくだが、こちらのほうが本来の彼女の姿に近いような気がした。


 「はい、せっかく癒やしてもらったので……、体調の確認と気晴らしを兼ねて、少しだけ飛んできました。」


 そう答える。


 言いながら───リヒトは自分でも不思議だった。

 普段なら面識のない人と相対するときは、多少なりとも身体に不調が見えるものだった。リヒトの持つ、謎めいた「体質」の影響で、である。リヒトは、他人が近くにいたり、意識を向けられ注目されるような場面になると、心身に耐え難い重圧と不調を発症するのである。

 しかし、この人とこの距離で向かい合っていても不思議と不調の片鱗も感じられなかった。本当に珍しいことだが、この女の人は「波長の合う人」であるらしかった。おかげで、普段のリヒトならすることのない、世間話が口をついて出ていた。


「でも……、だめでしたね。やっぱり僕は周りに人が多いと、どうしても……。せっかく飛行舟に乗ったのに、逆に気疲れみたいになってしまって。」


 人妻は優しい笑みを浮かべていた。


「ん……、診療記録みたよ。……そういう「体質」なんだってね……?」


 彼女の笑顔に、包まれるような気持ちになって、リヒトも笑顔で答えた。


「はい。ただ、……なんていうのかな。そんな体質だから、そもそも人と話すのも苦手で……。性格…というか、気分的なものあるのかな……って。」


 彼女は、うなずいて話を続けた。


 「あぁ、うん…わかるよ。体調は悪くならないけど、苦手な感じは……あたしにもあるかも。」


 それから、彼女は何か思い出したように話を続けた。

「……ていうか、ごめんね?あたしも今日はさ、診療所でやな人と一緒のお務めでね。なんか調子でなかったの……。あれ、終わったあとすっきりしなかったでしょう?」


 ──なるほど。「癒し」も「飛ばし」と一緒で精神状態や体調が成果に影響するらしい。終わった後の、あの不思議な対応もそのためだったのかもしれない。そして、空を飛ぶ前の変な燻りに似た不思議な感じ……。あのことを言っていたのかもしれない、そう思った。


 彼女は思い出したように、後ろの湯場の入り口を指して、

「せっかくだし、入っていったら?今なら……他に人もいないし。」


 先程、自分でも思っていたことだ。勧められて、湯に入っていくという行為に、ぐっと気持ちが傾いていた。 

「そうしようかな、……せっかくですからね。」


 ふふふっ、とお互いに笑う。


 それにしても……と、先程の疑問が頭をよぎる。

「珍しいですね、ここ普段は誰も使ってるとこ見たことなくて。……意外だったんです、ここ使いに来てるのが……。仕事終わりなら、そのまま診療所で入らないんですか?」 


 いつもなら聞かないような、そんなことまで聞いてしまう。

 普段ではありえない体調の良さに任せて、少し浮かれているのかもしれない。


 ふふふっ、とまた笑って彼女は、

「言ったでしょ?……やな奴が一緒だったから、入る気がしなかったの。」

 そう答えて愉快そうな表情を浮かべた。


「それに──」


 そう言って彼女は───、今度は……いたずらっぽい表情をした。


「──ここで待ってれば、通りかかるんじゃないかと思って。」


「え…?」


 わざわざ?

 僕が通りかかるかもしれないから?


「お務めの出来がすごく中途半端でね、もぅ……あの後ずっと、気になってたのよ。」


 色々ね──、

 そう言って前置きしてから、やれやれ、という感じの表情で話し始める。


「───最初の二人で導入する部分、あるでしょ?…あれ本当は、もっと時間かけてゆっくり馴染ませたかったんだけど……さっさと腕の方始めちゃったでしょ?……それとか、四人で囲むとこ。あれ一番大事なとこなのに……!途中であいつ割り込んできてティちゃん…、あ、背中の方してた子、ティちゃんって言うんだけど、ティちゃんを引き剥がして自分の分始めちゃったの……!」


 ───あいつ、というのがその嫌な奴のことなのだろう。途中から、まくしたてるような言い方になりながら、かなりムッとした表情になってもいた。

 自分もそうだが、彼女も技術屋的な気質なのかもしれない。話しているうちに早口になっていく感じが自分と似ていて、なんだかとても親近感と好感が持てた。


「もー、時間も配分もバラバラで、……これ、どうしようかなー、ってなっちゃって……。」


 はー、と彼女は……ため息をつく。

「まぁ、かける時間はたっぷりかけたし、人数も多かったからね、……ふつう11人とかではやらないんだけどね。」


 彼女はそこで軽く笑う。

 やはりあそこまで大がかりなのは珍しいようだ。


「……それでもね、なんとかなってるといいなー、及第点出てるかなぁ……。……って思いながらティちゃんに確認してもらったんだけど、……目で合図してきたの、駄目でしたーって!」


 呆れたように笑っている。


「で、ほら。その後、あたしも確認してたでしょ?改めて、うん、こりゃダメだわ…って。」

 そう言ってから、困ったような笑みを浮かべた。

「でも……あの場で「駄目でした」って言うわけにも……いかないから。」


 共同作業ゆえ、たとえ出来がいまいちでも一人の判断で良否をはっきり言うわけにはいかないのだろう。そう考えると大変な作業だ。癒し手の仕事というのも、ある意味では過酷な現場なのだろう。


 それにしても、である。ずいぶん辛口な評価だ。


「でも、そんなにだめだったんですか?さっき飛んで来たけど……全然、なんともなかったですよ?」

 リヒトがそう尋ねると、


「あなた大きいから、気づかないのよ、きっと。」

 とそんなことを言う。

 そういえば、医者もそんなことを言っていた気がする。


「だから……ちゃんとやり直したかったの」


 はっきりと、そして目を見つめて彼女はそう言った。

 どうやら、彼女はお務めに関してかなりのこだわりを持っているらしい。「癒し」に魅入られているようなものなのだろうか?


「それに……」


 彼女は、髪を後ろに払いながら、……何故か視線を少し泳がせて言った。


「ちょっと悔しかったから、……せっかく誘ってくれたのに」


 それは、あの時の……お頼みの事だろうか。

「そのヤな奴っていうのがね、……診療所で誘い受けるなとか、客に色目使うなとか、色々言うの。……ひょっとしたら僻んでるのかも、しれないけど。」


「……あ」


 もしかして、カーテンを閉めようとしたときに、ちょうど別な人妻が入ってきたり、変にペースを乱すような癒やしの所作になってたのって、そういうことだったのかな……?


「カーテン閉めて入っていくとき、……あいつ、すごい目でこっち見てたの。ふふふっ、だから断らなきゃ、また面倒くさいことに、…って。それで……、わざと聞こえるように言ってやったの。」


 あの一連の、裏事情はそういうことだったらしい。

 なんの疑いもなく癒されるままになっていたのだが、実は水面下で激しい脚の蹴り合いがあったようだ。


 ……女というのは、なんとも。


「そんなわけだから──」


 先ほどまでとはうってかわって、しっとりとした声で、

「入っていって。また、してあげるから。」

 そう言って微笑む。


 夕闇が迫る中、残光に照らされた彼女の笑顔は綺麗だった。

 そういうことなら、断る理由は無い。


「ありがとうございます」

 そう言って、僕は彼女と一緒に入口に向かう。


 扉に手をかける直前に、……僕は彼女の手を握る。

 彼女は驚かない。

 そればかりか、ゆっくり振り返って、僕の顔を見つめる。




 いつも、……この瞬間は心が震える。

 大きな畏れと……僅かな期待……。




 ───こんな体質だから、仕方がない。そう、思ってはいるのだが……、一般的な習いで言えば、これはマナー違反なのである。


 通常、「癒やし」と「お頼み」は相手を別にするのが作法である。

 身体に触れさせたから、身体を許す、などと思われては女性の立場が無い。お務めとは別で、その一線は彼女たちも簡単には譲れないのである。

 だが僕の場合は、波長の合う、相性の良い相手でないと近くにいるだけで身体に異常が襲ってくるのである。そのため、癒やしを受けて相性を確かめ、いつもその相手にお願いしていた。それでも、事情を察して応じてくれる人も多かった。そんな女性たちに支えられて、……僕は今日まで生きてきた───。





 「───改めて……、「お願い」してもいいですか…?」





 彼女は目を伏せる。

 そして、すっと身体を寄せ、あのときと同じように、顔に頬をぎゅっと押し付けてきた。


「……いいよ、もちろん。」


 そう言った彼女の眼は優しい光を湛え、すこし熱を帯びていた。

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