ピック

 それはコインみたいだった。帰り道、駅の改札を抜けたところで立ち止まった。数歩戻って確認すると、コインだと思ったそれはギターのピックだった。鮮やかな赤で、真ん中にはロゴが入っていて、かっこよかった。数秒じっと見た後、

「どうしよう」

 と呟いた。幸い駅員のいる窓口は近く、拾ったらすぐに届けられそうだった。だが、重大な問題があった。知らない人に話しかけなければいけないのだ。僕は「ああ、なんというジレンマ! 人見知りな僕には荷が重すぎる!」と、心の中で叫んだ。そして、名残惜しいがその場から立ち去ろうとした時、

「すみません。これ、落ちてました」

 改札に向かう人混みから外れ、颯爽とピックを拾って届けたサラリーマンを見た。彼は駅員にお礼を言われた後、何事もなかったように改札を通って行った。

「すごい……」

 あんなに自然に、誰のともわからない落とし物を届られるのか。尊敬を抱くと同時に、うだうだ悩んで結局行動できなかった自分が恥ずかしかった。そして、次に落とし物を見つけたら迷わず届けようと決心したのだった。

 数日後、僕は部活の遠征で公園に来ていた。

「ん?」

 その公園のトイレで、ビールの空き缶が捨てられているのを見つけてしまった。

「こんなところに捨てるなよ……」

 みんなが使う公園でポイ捨てをする大人を想像し、ため息が出た。仕方ない。めんどくさいが捨てておこう。トイレの水道で中を洗い、缶を潰した。

 空き缶を捨てるためゴミ箱を探し歩いていると、

「堀内、何してるんだ?」

 ベンチに座っていた顧問の佐々木先生に呼び止められた。

「トイレにゴミが捨てられてたので、ゴミ箱探して捨てようとしてました」

 手に持った空き缶を見せると、先生は驚いたように目を見開いた。

「そうか。ゴミ箱ならセンターの中にあると思うぞ」

 先生はグラウンドの向かいにある二階建ての建物を指さした。そして、にっこり笑って、

「いい心がけだ」

 と言った。

「え? あ……ありがとうございます」

 まさか褒められるとは思わなかった。ペコっと頭を下げ、早歩きでその場を後にした。なんだか身体が温かかった。

 センターに向かいながら、なぜ褒められたのか考えた。僕はただ、自分が嫌だったから捨てようとしただけだ。そう、だからこれは自分のためで……。

「あ……」

 そういうことか。僕は数日前に見たサラリーマンのことを思い出した。あの人も自分と同じなのかもしれない。たまたま落ちていたピックを見つけて、気になって仕方がなかったんだろう。

「『自分のため』の行動が、知らず知らずのうちに『誰かのため』の行動になる、か……」

 そういうことが重なり合って、積み重なって、きっと誰かの笑顔になるんだ。

 空き缶をゴミ箱に捨てた後、外に出て空気を吸った。空は快晴で、太陽がまぶしかった。

 あのピック、持ち主のもとに届いてるといいな。

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学び 中川 樹 @elementrevised91157966

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