第56話

「……狭いね」

「狭いですね。でも世莉さんから言い出したんですから、我慢してください」


 そうだけど。確かに私から一緒に寝ようとは言い出したんだけどね、椿ちゃん? 別にベッドが狭いから文句があるとかではなくて、なんで椿ちゃんがいつもなら断るようなこんなお願いを何も言わずに受け入れたのかって方に世莉さんは驚いてるんだよ。だって、まさかこんなにすんなり、一切のよどみもないくらいにすんなりと叶うと思わないじゃん。いや嬉しいんだけど。絶対に嫌がると思うじゃん。心の準備ができてないんだけど? てか心の準備って何? 私は何を準備するつもりだったの?


「……世莉さん」

「は、はい! どした?」

「本当にありがとうございました」

「また感謝? 伝わってるから、そんなに何回も言わなくて大丈夫だよ」

「私が言いたいだけです」


 そう言うと、布の擦れる音と共に椿ちゃんがさらに私に接近してくる。すでにほぼゼロ距離であったのに、さらにだ。


 なぜか腕もガッチリと組まれていて、椿ちゃんが私の肩にスリスリと顔を擦りつける度に椿ちゃんの香りが私を刺激する。


「椿さん!?」

「何ですか?」

「なんかいつもよりも距離が近くないですか!?」

「それは同じベッドに入ってるんだからそうでしょう」

「そ、そうだけど……」


 本当にどうしたの? 椿ちゃんはツンツンツンツンツンの百パーセントツンだったはずだよね? 何この可愛い生き物? どこから出てきたの?


 私の知っている水嶋椿とは全く違う人が目の前に顕現し、脳が驚きの悲鳴をあげている。それと同時に、何とも言い難い気持ちも湧いてくる。これはなんという名前の感情なのだろうか。


「……ねえ、一回だけキスしてもいい?」

「ダメです」

「お願い。一回だけ」


 電気は消えたばかりで、常夜灯の明かりはあるものの、暗闇にまだ目が慣れていないからか、椿ちゃんの顔がはっきりと見えない。今、一体どんな顔をしているのだろうか。とてつもなく知りたいが、それと同じくらいに、とてつもなくキスをしたくなった。


「……………………本当に一回だけですよ。絶対の絶対に一回だけですからね?」

「はーい」


 私は上手く理性が働くような人間ではない。やりたいことは、やりたいようにしたいし、欲しいものは何でも欲しい。だから許可を貰わなくても、椿ちゃんに嫌がられたとしても、キスはするつもりだった。


 てへっ。まあ結局は許可が貰えたからいいよねっ。


 開き直るのと同時に、私は椿ちゃんの唇に自分の唇を押し付ける。すぐに舌も入れ、椿ちゃんの様々な場所に触れることが可能になった。


「ふっ…… んっ……」


 椿ちゃんの口から息が漏れる音が聞こえる。


 意識的なのかはわからないが、私から顔を背けようとしているので、そうはいかないぞ、という気持ちで椿ちゃんの顔に手を当てて逃げ場をなくす。途中で諦めたのか、必死に私にしがみつく小さな圧力が全身をゾクゾクさせる。


 椿ちゃんの顔はかなり熱い。唇からこちらに熱をどんどん流し入れられているみたいな感覚になり、徐々に私の体も熱くなってくるのがわかる。


 キスはいつでも気持ちが良いものだけど、今日はふわふわして特別気持ちが良い。


「ちょっ……」


 気持ちいい。足りない。


「世莉さんっ…… はげしっ……」


 ダメだ、足りない。


「世……莉さっ……」


 ああ、もっと。


「世莉さんってば……!」

「え?」


 私がキスを心ゆくまで堪能していると、椿ちゃんが私を無理やり引き剥がす。いや、引き剥がすというよりかは、突き放されるという方が正しいのかもしれない。


「はあはあ……」


 まだ途中だったのに……という不満気な顔をして見せるが、椿ちゃんは息を切らせ、こちらを気にする様子はない。


「世莉さん、さ、さすがにやりすぎ……」

「…………………………」


 今なら表情がはっきりと見える。紅潮しているような頬、うるうるとした目、下がった眉毛、甘い声。全てが私を惑わせる。


「……ねえ、も一回」

「だ、ダメ! 一回の約束ですから!」 

「でも無理やり剥がされたよ」

「一回は一回です!」


 もう一度言う。


 私は理性が上手く働くような人間ではない。


「そもそもちょっと一回の密度が高すぎっていうか、こんなの一回だけのうちには──」


 何かを言っている椿ちゃんの唇に吸い寄せられるように唇を重ねる。


「んんっ!?」


 今度は突き放されないように、頭と体をぎゅっと抱き寄せ、体を密着させる。私の肩を叩く抵抗の手もだんだんと力を弱めていく。


 キスの心地良さが、椿ちゃんの反応が、今のこの状況が私を満たしてくれる。ずっとこのままでいたいような。でも、まだもっともっと欲しいような。


 私の欲望の源泉はどこにあるのだろうか。私の欲望の果ては一体何に繋がっているのだろうか。


 その答えは、掴めそうで掴めない位置で私を見下ろしていた。


 ‪☆


「あ、お姉ちゃん、おかえりー」

「ただいま。お母さんは?」

「お買い物に行ってる」

「そっか」

「お姉ちゃん、椿のところに泊まってたんでしょ? 私も誘ってくれれば良かったのに!」

「また今度ね。それより日和に聞きたいことがあるんだけど。椿ちゃんがさ、すっごい距離が近いなーってときあったりする?」

「あー、たまにあるけど。それがどうかしたの?」

「昨日椿ちゃんがそんな感じだったから」

「あの椿が? ふーん。珍しいね。椿がねえ」

「あれは何……?」

「椿にも甘えたいときがあるんだよ。椿って外ではしっかりしてるし、いろいろ我慢してることもあるんだと思うよ」

「我慢……」

「何にしても、椿から甘えられるってことは、かなり好かれてるってことなんじゃないかな? 私以外にそんなことしてるの見たことないもん」

「ふ、ふーん……」

「何ニヤけてるの? あ、もしかして、私から椿を奪うつもり!? 椿は渡さないからね!?」

「…………本当にあんたってやつは」

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交換条件は一日一回のキス モンステラ @monstera1246

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