第32話

 ここにもいない。


 屋上のドアを開け、端から端までしっかりと見回したが、琥珀ちゃんの姿はない。


 早まる心臓の鼓動を落ち着けるようにゆっくり深呼吸する。


 今日は学校のあちらこちらが文化祭で盛り上がっているので、もし琥珀ちゃんが隠れているのだとしたら見つけにくい。人も多いし、もし見つけたとしても、すぐに紛れてしまいそうだ。


 現にいつもは人の少ない屋上も今日に限っては多くの人がたむろっている。


 もう教室に戻っているなんてことはないだろうか。……いや、やっぱりそれはないな。


 皆藤心には教室に残ってもらって、琥珀ちゃんがもし帰ってきたら私に連絡してくれと伝えている。連絡がないということはまだ帰ってきていないということだ。


 琥珀ちゃん…… どこに……


 私は人の気持ちになって考えるのが得意ではない。


 他人は他人だし、その人の心はその人のものでしかない。私が他人の気持ちを予想してみたって、結局全ては分からない。


 そもそも、幼なじみの皆藤心にだって分からないものを、まだ仲良くなって日の浅い私なんかが考えたところで分かるわけがない。


 皆藤心の話が本当なら、琥珀ちゃんは舞台に立つことから逃げていることになる。そんな琥珀ちゃんしか持ちえない気持ち、私には完全に分かりっこない。


 とにかく私にできるのは一生懸命探すことだ。琥珀ちゃんの気持ちが分からないなら、もし自分ならどうするかを考えてみればいい。


 私がもし何かに悩んでいたなら、人が来ない場所に隠れる。でも今日は文化祭だ。どこもかしこも展示やら何やらで、人がいないところなんて、そうそうない。


 衣装担当の子たちが思い当たりそうなところは探したって言ってたし…… それでも見つからないって…… ヤバい、割と結構詰みかもしれない。


 隠れる場所、隠れる場所…… 人が来なくて、割と静かな──


「……あっ」


 頭の中で電球がパッと明るく光るように、私は一つの可能性を思いついた。


 とりあえず違ってもいいから、思いついたからには走ることにする。いや、できれば当たってて欲しいけど。いや、これ以上何も思いつかなそうだから絶対に当たっていて欲しい。


 私は階段を高速で駆け下りて、一階へ急いだ。


 一つだけ、まだ確認していない場所がある。衣装担当の子たちが「誰も来てないって──」と言っていたあの場所だ。


 その目的地に近づくにつれて人は減っていく。やっぱりここが正解であって欲しい。


 よしっ、見えた……


 私は息を切らしつつ、叩きつけるように扉を勢いよく横に引っ張った。


「はあはあ、先生……」

「おや、水嶋じゃないか」


 養護教諭の雪ちゃん先生が手に持っていた新聞を閉じ、驚いたような表情を見せながら、淵の薄い眼鏡を取り外した。


「どうしたんだ。ケガか?」


 私は息を整えながら、扉を閉じる。


 保健室。すごく静かだ。この空間だけ、文化祭というお祭りから切り取られ、まるで日常の延長線上にいるみたいに。


 私は一つだけ奥のベッドのカーテンが閉められているのを確認する。


「鈴城琥珀って人、ここに来ましたか?」

「………………さあ、知らないね」


 人は簡単に嘘をつける。


 今、雪ちゃんが「知らない」と答えるまでの間が長かったのは、きっとその間で嘘をつく準備をしていたからだ。


 私は超能力者ではないので、もちろんあの中に琥珀ちゃんがいるなんて、百パーセントの確信があるわけではないけど、私の願望も込みで、八十パーセントはその可能性がある。


「そうですか。ところで、誰か体調不良の生徒がいるんですか?」

「ん、ああ、熱があってな」

「中にいる人、確認してもいいですか?」

「それはやめたほうがいい。風邪がうつってしまう」

「私、全然風邪とかひかないんで」

「そんな保証はないよ。ほら、何もないなら早く文化祭に戻りなさい。教師として生徒に風邪をひかせるわけにはいかないからね」


 雪ちゃんは私をバリアするかのように、ベッドの方へは行かせてくれない。


 全く、面倒な人が多いものだ。


「私ならその子の風邪を治せますよ」

「……ほう? それは随分自分に自信を持ちすぎな発言だと思うのだが」

「安心してください。私、よく生きる精神安定剤って言われるんで」


 人は簡単に嘘をつける。


 ちなみに今のは大嘘だ。私なんかがそんなふうに呼ばれたことなんてあるはずがない。


 そもそも琥珀ちゃんを見つけたとて、どうすればいいかすらもまだ考えていない。


「なにっ、それはすごいな……」

「でしょでしょ」


 チョロい。


「……君はあの中にいる子を連れ戻しに来たのかい?」

「いえ、それはあの子の自由意志ですから。私はただ友達に会いにきただけです」


 正直、琥珀ちゃんが戻って劇に出ると言ってくれた方が全然楽だ。誰にも迷惑をかけないし、もともとの予定通りにことが進む。その劇には主役として日和も出ているわけで、私としても問題なく劇が終わってくれるのが一番だ。


 けどまあ、それは友達に寄り添うという気持ちを捨てた場合の話である。


「……分かった。君にまかせるよ、生きる精神安定剤」

「………………はい」


 私は面倒な人に嘘をついてしまったかもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る