第23話
シンデレラ。とても綺麗な名前に聞こえるけど、実際は灰を意味するひどい名前だ。別名としてよく灰かぶり姫なんて言われたりする。
そんな名前が日和に似合うだろうか。いや似合うわけないよな、と少し不機嫌になる。しかし、そんなことより、もっと私を不機嫌にさせることはたくさんある。
例えば、そう、これは例えばなんだけど、皆藤心とかいう男子。私のクラスの中で気に入らないクラスメイト第一位に君臨している。
「ねえ、心くん。ここのセリフあんまり上手く言えないんだけど、どうしたらいい?」
「ああ、そこらへんセリフ多いし、難しいよな。ちょっと貸してみ」
おい。おいおい。ちょっと近すぎじゃないか、男。もっと日和から離れないか、男。肩と肩触れ合っちゃってるじゃねえか、男。
この皆藤とかいう男は演劇部に所属しているということを琥珀ちゃんから聞いた。演技も上手いらしく、顧問の先生からも信頼が厚いらしい。しかも割とイケメンだし、そりゃ王子様だなんて大役をやるのにぴったりの人間だよなとは思うけど、問題は日和がシンデレラ役なことにあるわけで。
まあ所詮童話だし? シンデレラならキスシーンとかたぶんないだろうし?
なんて思っていたけど、私がせっせと小道具を作っている教室の中心でそんなふうに青春されてはどうも気に入らない。
「ほら、この印をつけたところにアクセントを置いて読むと読みやすいよ」
「え、すごい、そうなの!? やってみる!」
私はハサミを手に取って、ダンボールをザグザグザグと切っていく。あの二人の仲もこのハサミで分断できたりしないかな。なーんて。
「え、心くん、すごい! 全然読みやすくなった!」
「だろ?」
少しずつ、少しずつ自分の心が黒くなっていくのが気持ち悪い。
私が日和にこうあって欲しいと思ったことが叶ったことなんてほとんどなくて。そもそもこうあって欲しいなんて思うことも傲慢で。でも、そんな気持ちを捨てることもできなくて。
どうしようもなく理不尽な気持ちが私の心を暗くしていく。
そんなときだった。
「椿ちゃん」
私はふいに名前を呼ばれて顔をあげた。
「…………世莉さん」
私はこの人の顔を見て、初めて「安心」という感情を覚えた。不本意ではあるけど、ヒーローが私を救いに来てくれたみたいに、安堵感を強く感じた。
「来て」
「……はい」
私は作業を中断して、世莉さんの後をついて行った。
人が一人いなくなったところで作業に滞りは特にないはず。あったとしても、私は世莉さんに呼ばれたからという大義とは言えないかもしれない名分がある。
急に学校の有名美人である相楽世莉が一年生の教室に現れて、クラスメイトたちがザワザワしているのなんて、全然気にならなかった。
階段を登っていく。どうやら屋上に向かっているみたいだ。一つ階段を登るごとに心が軽くなっていく。なんてそんなの錯覚か、と自分にツッコめるくらいに、私はいつもの冷静な私を取り戻しつつあった。
屋上に着くと、すぐに風が髪の毛を襲う。
「ちょっと風強すぎません?」
「たまにはそういう日があってもいいでしょ」
「髪が暴走してるんですけど」
「私も暴走してるからお互い様ね」
何それ。確かに世莉さんの方が髪の毛が長いから、暴走範囲が広いけども。
「この前はごめんね」
「……え?」
唐突だった。
「椿ちゃんの部屋に行った日のこと。まだちゃんと謝れてなかったから」
「ああ……」
あの日から二日経っているが、世莉さんは当たり前のようにいつもと変わらぬ様子で私に接してきていたので、全く気にしていないと思っていた。
「なんかね、椿ちゃんが可愛かったの」
「は?」
「だからごめん」
「可愛かった」と「だから」の因果関係が全く見えないけど、世莉さんに反省の意思があることだけはなんとなく分かった。
「別にいいですよ。そんなに怒ってないですし」
「そっか。良かった」
……なんか、そういうふうに即答されるのも違う気もするけど。まあいいか。世莉さんだし。
「じゃあ次は椿ちゃんの番ね」
「え?」
「椿ちゃんの今思ってることを話して」
「今思ってること……?」
主に浮かぶ疑問は「なんで?」と「今思ってることって何?」の二つだけど。まあ後者の方は考えればなんとなく予想がつく。
「私がちゃんと話したでしょ。椿ちゃんも話さないと不公平だよ」
ちゃんと話したとは何のことだろうか。私への謝罪か、それともあのよく分からない因果関係の読み取れない話のことか。
「はあ…… 今思ってること……ね。えーっと、じゃあ早く教室に戻りたいです」
風強いし。ちゃんと今思ってること。
「…………教室に戻ったら日和がいるよ?」
「それが何か? むしろいてくれた方が嬉しいですけど」
「男子とイチャイチャしてるとこ見て嬉しいの?」
「べ、別に…… 日和だってイチャイチャしてるわけじゃ……」
「してたよ。ちょっと遠くからだけど、私も見てたもん」
……世莉さんは私をいじめて何か楽しいんだろうか。別に楽しいなら楽しいでいいんだけど、せめて楽しそうな表情くらいして欲しいものだ。
世莉さんの表情は一つも明るさを持っていなくて、私から目をそらさない。
「可哀想」
今まで聞いた世莉さんの声の中で一番静かな、でもギリギリ聞き取れるような声が強風に溶けて、消えていった。
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