第18話

 文系のメリット。大学に入ってから理系よりも時間に余裕があるらしいとか。簡単に単位がとれるらしいとか。その他いろいろ。


 どれもしっくりはこない。


 世莉さんだって実際に大学生なわけではない。そんな「らしい」の話や大学に入ってからの話をされたって、結局二人とも今は高校生なわけだし、あまり現実味が湧かない。


「うーん、じゃあ究極的な話なんだけどさ。椿ちゃんは日和と自分の人生どっちが大事?」

「ど、どっちって……」


 それは絶対的な二者択一なんだろうか。どっちも大事だと言いたいところだけど、それはダメなんだろうか。


 じゃあ永遠に答えなんて出ないなー、と、心の中で勝手に自己完結してしまった。


「……椿ちゃん。私の思ってること正直に言うけどさ。私は文系にすべきだと思うよ。もちろんそれは文系に向いてるっていうのもあるけど、今のうちから日和から離れるのに慣れておいた方がいいと思う。じゃないと、高校を卒業するときにもっとつらいよ」


 両手をぎゅっと握りしめ、目を伏せる。


 私と日和の関係を矢印で表すならば、おそらく矢印は向き合っていることだろう。うぬぼれでなければ、日和も私のことを好きでいてくれていると思うから。


 ただ、確実に私の矢印の方が大きいし、断然太い。日和の矢印が霞むくらいには。


 抜け出さないといけないけど、抜けられない。ほんと厄介な沼に嵌まってしまったものだ。


「……ありがとうございます」

「どう? ちょっとは役に立った?」

「はい。ギリギリまでは考えるつもりですけどね」


 誰にも話せなかったけど、人の意見を聞くって大事なのかもしれない。


 少しだけ、ほんの少しだけ、心が軽くなっていると思う。


「ところで話は変わるんだけど、椿ちゃん、お母さんは?」

「……変わりすぎじゃないですか?」

「まあまあ。お母さんは仕事?」

「そうですけど……」

「兄弟とかいるの? 一人っ子?」

「…………知らないんですか?」

「知らない」


 世莉さんはきっぱりとそう言い切る。


 なんでそんなことが気になるのかという疑問よりも、本当に世莉さんは私のことを何も知らないんだなあ、という感想の方が強かった。


 もちろん私が自分から言おうとしなかったのもあるけど、さすがに日和が話したり、家族の中の会話で出てきているものかと思っていた。いや、もしかして出てきたのかもしれないけど、世莉さんが興味がなくて聞いていなかっただけなのかもしれない。


 はは、もしそうだとしたら、どんだけ私に興味なかったんだ、この人は。


「一人っ子です」

「ってことはお母さんとお父さんの三人暮らし?」

「……面白いくらいに何も知らないですね」

「だって聞いたことないんだもん」


 世莉さんは口を尖らせて、子供みたいに頬を膨らませている。


 その様子がちょっとだけ日和っぽいなあと思ったのは脳の錯覚かもしれない。


「私の家族構成なんて世莉さんのお父さんでも知ってますよ?」

「ええ!? お父さんも!? え、もしかして知らないの私だけ!?」

「はい」


 なんだか面白い。愉快だと言った方がぴったりかもしれない。


 世莉さんが慌てたり驚いているところを見ると、少しテンションが上がる。


 いい気味だなと思うのは私のせいではなくて、世莉さんの日頃の行いのせいなので申し訳ないとは思わないことにする。


「むー、じゃあもっと椿ちゃんのこと教えてよ」

「世莉さんには関係ないって言ったら怒ります?」

「怒る。激怒する」

「ははっ、しないでくださいよ」


 普通に世莉さんと会話をしていて笑えるのが成長なのか、それとも私の危機感の低下なのか。どっちにしてもマズいなあ、と心の中で軽く反省する。


「………やっぱり椿ちゃん、笑うと可愛いよね」

「笑ってないと可愛くないと?」

「………………」

「あー、冗談です、冗だ──」

「ううん、ずっと可愛いよ」


 世莉さんの顔が近づいてくる。


 雰囲気を察した私は、世莉さんの肩を持って押し返す。


「ちょっ、やめてください……」

「今日キスしてないよね」


 ……バレた。


 実は、今日は一日一回キスをするという任務をまだ遂行していない。


 世莉さんが忘れてるものだとばかり思ってたから、私から言わなければ、バレないと思ってたのに…… 今日はラッキーデイだと思ってたのに……


「んっ……」


 世莉さんの唇が私の唇に触れると、体から力が抜けて、背中が床に触れる。そして、だんだんと背中と床がぴったりと重なっていく。


 カーペットが背中を守ってくれているからか、そこまで冷たさは感じない。


 目をゆっくりと開ける。


 世莉さんの目っておっきいよなあ。黒目もはっきりしてるし、睫毛も長いし。羨ましい。やっぱり顔は日和と似てる。


 性格は違えど、日和と同じ血が通っていることにも羨ましさを感じる。もしも私が日和のお姉ちゃんだったら、もっときっぱりと日和のことを諦められていただろうか。


 ふと、いつまでこんなことが続くんだろう、という疑問が頭の中に浮かんだ。


 世莉さんが高校を卒業するまで? それとも私が日和に告白するまでずっと?


 自分に問いかけてみたところで、答えはでない。


 毎日キスをしていると、何か大事なものがすり減って行くような気がしている。それにもだんだん慣れてきて、キスすら日常になっていくんだろうか。


 キスなんてしなければ、世莉さんとも良い関係になれたかもしれないのに。


 そんなことを考えていると、世莉さんの唇がようやく離れていく。


「あ、え、ちょっ、世莉さん? やめっ……」


 これで今日もようやく終わり……と思っていたが、キスの時間はまだ終わっていなかった。


 気が付けば、世莉さんの唇が私の首筋に触れている。生温かくて、しっとりとした感触が私の首筋を這う。

 

 なんだかゾクゾクして気持ち悪い。


 何とか抵抗したくて、世莉さんを押し返そうとするけど、びくともしない。

 

 ヤバ…… 世莉さん、力強すぎ……

 

「世莉さっ…… 止まって……」


 そうなんとか発した声は完全に無視されて、世莉さんは止まる様子を一切見せない。


 スカートからシャツを引っ張り出され、お腹でひんやりとした空気と温かい世莉さんの手の感触が混ざる。


 冗談がすぎる。さすがにこれは、と思ったが、声に力が入らなかったので、私は近くにあった世莉さんの手を強く噛んだ。


「痛っ……!」


 そう鋭い声を発した世莉さんの動きはピタッと止まって、何とも言えないような顔をしながら私から離れていく。


「あ。えっと…… ごめん」

「…………はあ」


 なんで被害者よりも加害者の方が申し訳ない顔してるんだろう。


 私が世莉さんに対して仏のような心をしているからと言って、これをいつものキスのように仕方がないことだと許してしまえば、私と世莉さんの均衡が崩れていくような気がした。


「帰ってください」

「え……」

「もう帰ってください。キスも済ましたし、いいでしょ」

「あ、うん…… じゃあ、帰るね」


 世莉さんは少し猫背になりながら、申し訳なさそうに部屋から出て行った。


 多少の罪悪感はあったが、たまには反省してもらうことも大事だ。

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