第4話

 再び静かになった部屋の中にまた軽い足音が聞こえ始める。


 今度こそようやく日和が戻って来ただろう。


「ごめん、お待たせ!」

「大丈夫。何の電話だったの?」

「いろいろあったけど、椿、今年は誕生日どうなる?」

「あー、誕生日か。どうだろ……」


 もうすぐ私の誕生日。本来なら自分の家族と一緒にケーキを囲むのが普通だろう。


 だけど、私の親は仕事で家にいないことが多く、ほぼ一人暮らし状態。だから誕生日を家族と一緒に祝えることも少なく、家族ぐるみで仲の良い日和の家で誕生日を祝ってもらっているのだ。


「分かんないから、今度お母さんに聞いてみる」

「おっけー」


 もう一つの家、と表現するには、さすがにおこがましすぎるけど、それくらい助けられたときもあった。


「あ、そうだ。椿、今日泊って行かない?」

「え、明日土曜日でしょ? 部活は?」

「それが珍しく休みなの。だからどうかな?」

「んー、分かった。いいよ」

「やった! お泊り久しぶりだなあ。今日は夜更かししちゃおうね!」


 楽しそうな日和を見ると私も嬉しい。


「でも着替えとか何も持ってないけど大丈夫?」

「大丈夫大丈夫。私の貸してあげるから!」


 良かった。下着類はあとでコンビニで買ってくるとしよう。


「そう言えば、最後に日和のとこに泊ったのっていつだっけ?」

「んー、中学卒業のときだったからなあ。半年くらい前じゃない?」

「意外とそんなに経ってないんだね」

「ね! もう九月だなんて早いよね。この前入学したばっかりなのに」


 もう九月。早いなあ。日和と一緒にいられるのはあとどれくらいなんだろうと、そんなことを考える毎日である。


 今まではラッキーなことに小中高と同じ学校に通うことができたけど、その後は違う。


 日和も大学に通うつもりではいるらしいけど、私と日和は学力も違うし、さすがに大学まで一緒に通うなんてそんなことできるはずもない。


 そもそも二年生にあがると、文理選択の違いで隣のクラスにさえなれない可能性もある。


 だから、卒業までの残り二年と数か月は長そうに見えて、きっと短い。


 私は少しだけ悲しい気持ちになりながら、部屋の壁にぶら下がっているコルクボードを見つめた。日和の思い出の写真たちが無造作にピンで留められている。


 あまりじっくりと見たことはないけど、日和の思い出の中に私も映っているだろうか。


「あ、写真見る?」


 私の目線を追いかけたであろう日和は立ち上がって、コルクボードごと手に持って、机の上に置いた。


 コルクボードが机の三分の二以上を占めるがゆえに、端に寄せられたコップが机から落ちてしまわないか心配になりながら、コップに手を添える。


「見て見て。これ、懐かしくない?」

「うわっ、ちょっと待って! なんでそんな写真持ってるの!?」


 日和がピンから外して見せてくれたのは小学生の頃の私だった。ただの小学生の頃の私ではなく、運動会でこけてしまって、わんわんと泣き喚いている私。


「へへー、椿のお母さんがくれたの」

「うちのお母さんはなんてものを……!」


 娘が泣いている写真を撮っている暇があるなら、慰めんかいとツッコミをいれたくなってしまう。


 にしても、なんでよりによってこの写真を日和に…… もうちょっとマシなやつあったでしょ……


「見て、これ中学にあがったときの写真だよ」

「あ、ほんとだ。あははっ、私たち初々しいね」


 今よりも幼い顔をした私と日和。ぶかっとしたセーラー服が絶妙にマッチしていない。私たち自身よりもセーラー服の方が主張が強く、服に着られているという言葉が一番ふさわしい。


「それでこれが中学の文化祭のときので、これが高校に入ったときのだよ。一番最近のだと、これがこの前の体育祭のときの写真かな」

「…………」


 俯瞰で今までの私たちを見ると、日和といる時間の長さを実感させられる。


 この写真たちがとても眩しく思えて、私は懐かしむように目を細めた。


「……本当に、ずっと日和と一緒にいるんだね」


 こんなにはっきりと過去の映像が、写真一つ一つの中に収まっているのを見ると余計に懐かしい。


 私、青春してるなあ、なんて。


 なんだか今なら詩人にでもなれそうな気分だなと、軽く心の中で自分を嘲笑する。


「ね。椿は文理どっちにするか決めた?」


 日和の口から急に飛び出した文理という言葉が心の中の穏やかだった海に波をたてる。


 私はすぐに心を落ち着かせて、口を開いた。


「ううん、まだ迷ってて。そろそろ決めないとだよね」


 二年生になると、必ず文系と理系のどちらかを選択しなくてはならないらしい。その文理選択の最終期限は十月。もう一か月もない。


「日和は理系なんだよね?」

「うん。私、国語苦手だからさ」

「そうだよね」


 日和は最初から迷うことなく理系だと決まっている。だけど、私はと言うと、そんな日和とは反対に、一か月前になってもまだ決めることができていなかった。


 成績というデータを見れば、私が完全なる文系脳だということは分かっている。数学と理科が苦手で、国語と社会が得意。だったらそんなの文系一択じゃんってみんなに言われるけど、なかなか踏み切れずにここまできている。


 実はその原因が日和だとか、本人には口が裂けても言えないけど。


 この十六歳の、人生全体において見ればちっぽけな選択が何か私の人生を大きく変えることはあるんだろうか。そんなことを考えることはできるけど、実際に選択をしてみないと先のことは分からないと思っている自分もいる。


 右に行こうとしては左に押し戻され、じゃあ今度は左に行こうとすれば右に押し返される。そして、ただただ真ん中で迷っている水嶋椿が誕生するのだ。


「まだ時間があるんだからゆっくり決めた方がいいよ。椿の人生なんだしさ」

「私の人生…… うん、そうだよね」


 つまり文理なんてものは置いておいて、私の人生と言うのは、残りの高校生活の時間、日和のいない道を選ぶか、日和がいる可能性のある道を選ぶかの二択。


 誰かに話すと呆れられそうなことを考えてるなと、自分でも思う。はたから見れば、そこに私の人生はないんだから。


 あと一か月後にはちゃんと答えが出せているのだろうか。


 きっと出ちゃってるんだろうなあ、と心の中だけで呟いた。

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