第3話

「それでねっ、先輩がねっ、頭ぽんぽんってしてくれたのっ! もうほんっとヤバかったんだから!」

「へえ、良かったじゃん」

「もう遊びに誘っても大丈夫だと思う!?」

「うん。大丈夫だと思うよ」


 私は何をアドバイスなんてしているんだろうか。


 日和の部屋に二人きり。約束通り日和の恋愛相談に乗っているわけだけど、私の心はまあとにかく盛り上がらない。


 氷と化した心を日和の太陽のような笑顔で溶かしてもらっていなければ、今頃精神が悲鳴をあげて、部屋に唸り声が響いていたことだろう。


「椿はどこに遊びに行くのがいいと思う?」


 日和には好きな人がいる。日和と同じテニス部で、一つ上の先輩。爽やかタイプのイケメン、新宮隼人あらみやはやととかいう名前の先輩だ。


 ちっ、名前だけでイケメンムーブかましやがってよ。こっちだって水嶋椿なんだからな。名前だけなら清楚なお嬢様ムーブ出てるんだからな、名前だけなら。


 こんなふうに心の中で悪態をついてみるけど、誰にも届くことはない。


「んー、水族館とかは?」

「えー、それだとあからさまにデートって感じにならない? まだ付き合ってもないのに、ちょっと早いかなって」


 いやデートがしたいんでしょという言葉はグッと飲み込む。


「じゃあ映画は? それならがっつりデートっぽくはならないかも」

「それだ! 映画! そうしよう! ちょっと待って、今上映してる映画調べる!」


 日和はあからさまにテンションを上げながらスマホを触り始める。


 そんな日和をぼんやりと見つめながら、日和から恋愛相談をされるのはもうこれで何回目だろうかと考えてみる。


 初めて日和に恋愛相談をされたのは中学一年生の夏。日和は今みたいに部活の先輩に恋をしていた。


 それがきっかけとなって、日和に恋をしていることを自覚した私は、性格の悪いことに、毎日神様に日和の恋が叶わないようにお願いしていた。


 パパッと結果だけ言うと、その先輩には彼女がいたことが発覚して、日和の恋は叶わなかった。


 本来なら「やったー!」ってなるはずが、落ち込んでいる日和を見た私に生まれた感情は罪悪感だった。


 私のせいではないと思ってはいても、心の中からモヤモヤした気持ちが消えることはなく、こんな気持ちになるなら、と一つ決めたことがある。


 日和の恋が実ることを願っても願わなくても、同じように苦しい気持ちになるなら、もしまた日和に好きな人ができたとき、心からではなくとも、応援をしよう、と。


 それからも日和は中学生らしく、別の人のことを好きになったりしたが、私は悩みながらも心に誓った通りに日和を応援していた。


 もう一度、パパッと結論を述べるなら、日和の恋が叶ったことは一度もなかった。


 彼氏ができないことに、ほっとするような、悲しくなるような、ムカつくような。


 そんなこともあった中で、何か一つ良かったことをあげるとすれば、日和は年上を好きになる傾向にあるというデータを得られたことくらいだ。


 私は暗い気持ちを晴らすように、机の上に置かれた麦茶のコップに口をつけ、グイッと飲み干す。


「あ、ごめん、椿。なんかお母さんから電話かかってきちゃった……」

「うん、大丈夫だよ」

「すぐ戻ってくるから!」


 そう申し訳なさそうに言うと、日和は小走りで部屋から出て行ってしまった。


 見計らったかのように、麦茶の入ったコップの中で、大きな氷がカランと音をたてる。


 やっぱツラいなあ。昔よりは強くなれてるとは思うけど。相談される度に先輩と仲良くなってるし、話を聞いてる感じだと、すごく順調だし。はあ、このまま付き合っちゃうのかなあ。


 私は腕を大きく広げて、床にゴロンと横になる。


 もういっそ先輩と付き合ってくれた方が諦められたりするのかな。


 そんなつもりはないのに、だんだんと視界が潤んでくる。


 ダメだ、良くない。


 手の甲に爪をたてて、痛みで気を紛らわす。ついでに、胸につっかえているモヤモヤも痛みで紛れてくれればいいのに。


 静かな部屋に軽い足音が聞こえ始めた。


 意外とすぐに、お母さんとの電話終わったのかなと思って、勢いよく起き上がる。


「ひよ──」

「よっ」


 日和が帰ってくるのを待ち構えていた私だったが、部屋の扉を開けて、姿を現したのは日和ではなかった。


 私は笑顔をすぐに崩す。


「……何しに来たんですか」

「いじわるでもしに来たと思った?」

「それ以外に何があるんですか」

「心外だなあ。そこで日和に頼まれたから話し相手になりに来たんだけど?」

「結構です」

「はは、めっちゃ辛辣」


 私の「結構です」という言葉なんて全く聞こえていないみたいに、世莉さんは堂々と私の対面に座ってくる。


 なんとも心が分厚い人だ。


 私はとびっきりの無表情を浮かべながら目を伏せて、斜め下の床を見つめる。


「日和と何話してたの?」

「普通の話です」

「普通の話でそんな涙目になることないでしょ」

「っ……」


 私は下唇を噛み締めて、目を細める。


 なんでこの人はいつもタイミングが悪いのだろうのか。


 世莉さんは天性の私を嫌な気持ちにさせる能力者なのかもしれない。


「別に世莉さんには関係ないことですから」

「……ふーん。まあそうだけど」


 世莉さんは本当に関係がなさそうな顔で、頬杖をついている。


 ほんと何しに来たんだ、この人。私と話すことなんて特にないのに、わざわざちゃんと日和の言うこと聞いてさ。何、シスコンなの?


「椿ちゃんってさあ、可哀想だよね」


 急に飛んできたナイフみたいに鋭い変化球が私の心を掠める。


 世莉さんが何を言おうとしているのか、なんとなく分かるような気がするけど、それでもその言葉は鼻につく。


「日和のこと好きだとツラいこといっぱいあるでしょ。あの子、鈍感だから人の気持ちに気が付かないところあるし。椿ちゃんの気持ちにも一生気が付かないよ?」

「はあ、そうですか」

「そうですかって……」


 確かにそう。ほんと世莉さんの言う通り。


 日和は純粋で鈍感なところがあるから、私の気持ちなんて、何もしなけば、きっと一生伝わらない。


「いいの? それで」

「言いわけない。……なんて言うと思いました?」

「違うの?」

「さあ? 世莉さんには関係ないことですから」


 私が日和のことを好きだということはバレてしまっているけど、それについての詳細を教える必要はない。勝手に私の気持ちを想像して、勝手に勘違いしていればいい。


「……まあ、確かに関係ないことだね」

「はい」

「じゃあもう行くね。そろそろ日和も戻ってくるだろうし」

「はい」

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