日帰り帰省
CHOPI
日帰り帰省
「ただいまー」
「おかえりー、疲れたでしょ?」
その会話の語尾が、ほんの少しだけのんびりしたものに変わっている気がしたのは、気のせい、だろうか。『ほら、上がって。手洗って、うがい、してね』と言いながら、先に居間の方へと消えていく母のその背中が、記憶の中のそれよりも小さく見えた気がした。お盆時期に休みにならない仕事を言い訳にして、ずるずると帰ってくるのを引き延ばしていたことを、少しだけ後悔した。
「はい。大したものじゃないんだけど」
「そんな、気使わなくていいのに」
先に居間へと入った背中を追いかけるようにして紙袋を渡した。こちらに戻ってくる前、駅で適当に見繕ったお土産。『気を使わなくていい』。そう言いつつ、中身を確認した母は少しだけ声のトーンが上がる。
「あら! これ、有名なケーキ屋さんじゃない!」
「お母さん、好きそうだなって思ってさ」
「一度食べてみたかったのよね。でもなかなか、自分用に買うには微妙なところというか、丁度いい機会無かったのよねぇ」
「それは良かった。手洗ってくるー」
「はいはい。そしたらコーヒーでも淹れましょうか」
洗面所から戻ってもう一度居間をゆっくりと見回す。と、よく見れば、すでに
「はい。コーヒー。淹れたてだから気を付けて」
「ありがとー」
『ケーキ。おもたせで悪いんだけど』。そんなセリフを母から自分へと言われる日が来るなんて。なんだか変な感慨深さを感じて、うまく言葉にできない感情を持て余す。
「あら! たくさんあって迷うわねぇ」
「好きなの食べなよ。一応お父さんの分と、余分に2個買ってあるから」
「あら、そうなの。あんたもそういうこと考えるようになったのね」
「そりゃもう世間から見たら、そこそこいい
「え、何歳だっけ」
「さいてー。娘の年齢忘れたの」
「嘘よ、嘘。そうよね、世間じゃただの大人よね」
くふくふ。母の笑い方。歳を取ってもその笑い方は相変わらずで、なんだか妙にホッとした。
「ほんと、このケーキ美味しい! 覚えておかなきゃ」
「ね。思いの外当たりだったな。値段もそんなになんだよ、ここ」
二人で少し遅めのおやつを楽しむ。お互いの近状報告をしながら久しぶりの母との会話を楽しんでいると玄関の方から『ただいま』と低い声が聞こえた。
「あら。お父さん。今日は早かったのね!」
「おかえりー」
「今日は珍しく早く上がれたんだ。おぉ、おかえり。来てたのか」
『さてと』。母はそう言って立ち上がると、空になった二人分のケーキの乗っていたお皿とコーヒーのマグカップをお盆に乗せて、キッチンへと向かう。母が空けた
「お土産。ケーキ持ってきたよ」
「おぉ、どれどれ。あとで頂こうかな」
「たぶんお父さんも好きだと思う」
「そうか。楽しみだな」
目の前の父が、以前よりも少しだけ空気感が柔らかくなったように思う。威厳の塊、って感じで、隙が結構少なかったように思っていたけれど。記憶の中の父より柔らかくなっている今の父を見て、そこにも少しだけ、寂しさを感じたりして。
「二人とも。そろそろご飯よ」
「はーい」
父と二人、居間からキッチンの食卓へと移動する。食卓の上には既に母の料理がずらり。
「作りすぎちゃったの、頑張って食べてね」
唐揚げもあって、魚の切り身もあって。お漬物があって、サラダがあって。あぁ、母のご飯だな。懐かしい味で、だけどずっと食べてきた毎日の味だ。
社会に出て、毎日当たり前のように用意されていたご飯を、それを用意していた母の凄さを実感した。仕事でくたびれて帰ってきて、そんな中で小さい私のわがままを、厳しくも優しく相手していた父の凄さを実感した。年々、親に対して頭が上がらなくなっていく。そしてそれは悪い意味じゃなくて、社会に出て“大人”を知ったからこそで。
夕食後。終電で自宅に戻る旨を伝えたら、両親は驚いた顔をして、その後少しだけ寂しそうにして。それでも『気を付けて帰るのよ』『家に着いたら何時でも良いから連絡しなさい』って、それぞれの言葉で背中を押してくれて。……次の休みはきっとまた少し先。恐らく年末年始になっちゃうけれど。今度は言い訳せずに、ちゃんと帰ってこよう、そう思った。
「はい。お土産。タッパーは返さなくて良いからね」
「ありがとう」
「気を付けろよ」
「うん。二人も気を付けてね。また近いうちに帰ってくるから」
そう言って、実家を出て最寄りの駅で電車を待つ。行くときにはケーキの入っていた紙袋、その中には今、小さめのタッパーが2つ。重なっている上のタッパーの蓋に付箋メモが張ってあって、そこに書いてあったのは。
『ひじきの煮物と切り干し大根です』
……あぁ。まだ自宅の最寄りにすら着いていないのに。実家に帰りたいな、なんて思ってしまった。
日帰り帰省 CHOPI @CHOPI
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