壊れたガラス by kyonsy

 先日、僕は警察に捕まった。

 彼らが家に押し掛けて僕を拘束した時、その表情はいかにも事務的な様子だった。これは日常的によくあることなのだろうか、そして僕はそのありふれたケースの中の一つのサンプルでしかないのであろうか、そんなことも考えてはみたが、いかにもそれが非生産的に思えてきたので、僕は違うことを考えようとした。しかし、他に別のことを考えられるだけのリソースは僕の頭の中に残っていなかった。

 署まで連れていかれた。パトカーの中はいかにも暑苦しくて、窮屈だった。今まで想像していたよりも、周りからの視線はさほど気にならなかった。僕は目を閉じ、体を俯かせながらじっとしていた。何も考えることが出来なかった。かといって、眠ることもできなかった。

 訊問室へ入るとき、そこまで緊張はしなかった。目の前には少しくたびれた制服を着ている年配の警察官がいて、僕はその前のパイプ椅子に座った。その警察官は机の上で意味もなく腕を立てた。彼は鋭い目つきで僕の顔を見ていた。

「あなたは何をしたか分かりますか」

「分かりません」

「この女の方を見たことはありますか」

「あります」

 彼女のことはよく知っている。細川ケイ。僕の、はじめてできた女友達。

「細野さんは三日前、自身のアパートで心臓を刺され死んでしまいました。何か心辺りはありますか」

「あります」

「具体的に、それはどのようなことですか」

「その日は彼女の家へ行きました。そして借りてきた映画をスプライトとスナック菓子を食べながら観ました。また夕飯も一緒に食べました」

「彼女とはどのような関係があるのですか」

 僕と彼女の関係。あまり働いていない、どこかネロっとした脳味噌でそんなことを考えてみる。

「僕と彼女は互いによく知り合っている友人です」

「友人、というのはガールフレンドではない、ということですか?」

「はい、我々はただの友達です」

「そうですか。では、なぜ彼女が死んでしまったか。理由は分かりますか?」

「包丁が心臓に刺さったから」

「その包丁はあなたが刺したのではないですか。死体を分析してみたところ、彼女が夕飯を食べたという形跡は見つかりませんでしたが」

「いえ、包丁は彼女自身が刺しました」

「何故そうと言い切れるのです」

「僕の目の前でそうしたからですよ」

 尋問官の言葉が一瞬止まる。頭の中の引っ掛かりを探すかのように、その目は左右に揺れていた。

「何故、その場で通報しなかったのですか」

「彼女をそっとしておきたかったからです」

「それは理由としては少し不自然な気がします」

「そうですか」

 結局、僕は刑事裁判でも負けて、そのまま刑務所に入ることとなった。理由はいくつかある。まず一つ、目の前で自殺が起きてからその場一人で夕飯を食べたという証言があまりにも胡散臭いということ。二つ、包丁に僕の指紋が残っていたということ。三つ、僕があまりにも無気力だったこと。

 四つ、悪いのは誰かと聞かれて、自分と僕が答えたこと。

 

 牢屋の中で、僕は本当に自分がケイを殺したのか、と考えるようになった。もちろん、直接手を出したわけではないが、間接的に、自分が何か禁忌を侵してしまったのか、という風に延々と頭を抱えていた。

 刑務所での生活は本当に単調で、慣れるまでは何度も頭がおかしくなりそうになった。いや、頭がおかしくなった結果、こうやって平気でいられるようになったのかもしれない。ともかく、毎日が同じことの繰り返しだった。あと、ご飯は思っていたより普通の味だった。ただ、味が薄い。

 こんな生活があと十年は続くのかと思うと、気が滅入りそうだった。だから、なるべくそのことは考えないよう頭の中から追い出していった。

 

 どうやらケイの遺書が見つかったらしい。

 僕はそのとき刑務所の中で機械仕事をしていた。工学を専攻していたということもあって、刑務所の中では比較的いいポストに就くことが出来たのだ。

 もちろん、どちらにせよ報酬はちっぽけなものだけれど。

「遺書が見つかった、ですか?」

「あぁ、どうやらそうみたいだ」

 仕事をしている他の同僚の厳しい視線に晒されながら、僕は管理棟まで連れていかれた。


 遺書があるということ、それはつまり彼女が自殺をしたという証拠であり、晴れて僕の無実が晴らされるわけである。

 僕は彼女の遺書を手渡しされた。そんな簡単に遺書が人の手に渡って大丈夫なのかとも心配したが、中を開いてみると、僕へ渡すように、としっかり明記されていた。

「遺書はどこから発見されたのですか?」

「ある人物の家の、庭の中に埋まっていたようだ。彼の妻がその跡に気が付いて、中を掘ったら案の上出てきた、という訳らしい」

 しばらく意味が分からなかった。

「ともかく、読めばわかるさ」


 手紙をきれいに閉じる、その手は震えたままだ。テーブルにそっと紙を置く。

「そういう訳で、少なくともあと3日後にはお前もここから出るだろうな。手続きは大方既に終わってるんだ。誤審による賠償もあるだろうから、野垂れ死ぬことはないだろう」

 僕は自分の牢屋へ戻った。3年間もいた、僕のもう一つの家。どうやら、思ってたよりも早くお別れすることになりそうだ。

 不思議と怒りを感じることは無かった。むしろ、安心していたと言ってもいいだろう。人は死者に寛容になれるし、それに僕は一つも罪を負っていない。

 素晴らしいことだ、と僕は一人で呟いた。そしてため息をついた。

「俺は悪人じゃないし、あの人も被害者じゃない。ただこちらの頭が悪くて、あちらの頭がおかしかっただけだ」

 いかれたガラス。何もしてなくても勝手に壊れる、黒塗りのガラス。

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