パンツを渡される人とゴキブリ

 手をつなぎ、赤い顔を隠し、スキップしないよう気を付けて歩いていく。

 いつも行くコンビニ、いつも行く近所のファストフード店の店を通りすぎる。


 ただそれだけだというのに、何故か心が凄い高鳴る。


「……楽しみ?」


「は、え?」


「いや……何でもない」


 それくらいしか会話をしないまま、俺が雫さんに連れていかれると、やがて和風建築の大きな家についた。


「……ここ」


「すごっ……大きいね」


「そう? そんなに大きくないと思うけど……」


 そう言うが、ここ都心だからな?

 嫌、でも財閥の会長さんの家にしては小さいのか?


 ……わけがわからないよ。 


「……とりあえず、入ろう」


「え、うん……お邪魔します……」」


「ん、まだ玄関にもたどり着いてない。そそっかしいよ」


「そ、そっか」


 そう言って頷くと、ドキドキしながら家に入る。

 今更だけどさ、雫さんの家に入ってよかったんだろうか?


 だって雫さんって言わば名家って奴だろ?

 ってことは、結構制約とか厳しそうなものだけど……ほら、他の名家の婚約者とか、そう言うのが居たり……して。


「どうしたの? そんな暗い顔して」


「あ、いや……何も――」


 そう言った時、家の扉が開いて一人の男が出てきた。


「それでは、また後日という……おや!」


「げぇ……」


「ハニー帰ってきたのかい! 待っていたよー!」


 そう言ったのは茶髪のイケメンだった。

 待てよ、こいつ見覚えあるな。


 そうだ、思い出した。

 元アイドルで、現在社長の……誰だっけ? とにかくそ言う奴だ。

 前に一回テレビで見て遥が「胡散臭いイケメン」って酷評してたから顔は覚えてた。


「……おかしい、家にはゴキブリ出ないはずなのに」


 そう、なんか隣で雫さんが小さく呟いた気がするけどきっと気のせい……なのか?


 いや、それ以上に……ハニー? ハニーってあれだよな? なんか古い表現だけど、恋人とか、そう言う……奴だよな?

 ってことは、こいつは雫さんの……


 そんなことを考えていると、男は雫さんの手を握っている俺を睨みつけていた。


「って、君、おいおい、君~なーに俺の婚約者の手を握ってるのかな?」


 婚約者……やっぱりこの男って、雫さんの婚約者なのか。

 そう悟った瞬間、俺の心がズキズキと痛んだ。


 そうだよな、雫さんって可愛いし、モテるだうし……家も凄いし……ワンチャンあるかななんて思ってた俺がおかしかったんだろうな。


 そう思って俺は心の中で、涙の雫を垂らしそうになる。


「雫も困るよ、いくら俺が寛容でも浮気は許さないんから~? だから、ほら早く放せよっ!」


 そう言って男は俺と雫さんの手を強制的に放そうとする。

 ものすごい力で引っ張られる。

 ふと顔を上げて、雫さんが顔をしかめているのが見えた。


 痛がってるのだろう。それか、俺のことが嫌なのか……どっちかなんだろうな。

 そう思った俺は、雫さんから手を……離せなかった。


「あ、え? 雫さん?」


 何故なら、雫さんが俺の手を強く握りしめていたからだ。


「クソっ、早く放せよ! うざいんだよ、この陰キャのド底辺が!」


 男は俺が手をずっと握ってると思っているのか、俺のことを睨みつけて来た。

 そんな俺たちを見た雫さんは小さくため息をつくと……


「……ごめんね。いつもちゃんと掃除してるはずなんだけど……まさか、が沸いて出るとはちょっと待ってて……」


 そういってカバンに手を突っ込んだ。


「ははは! ゴキブリ、ゴキブリって腹いてー!」


 彼女の言葉が俺のことを言っているんだろうと思った茶髪の男は調子に乗って顔をゆがめ、俺のことを嗤った。


「ははは! まさかゴキブリって言われるなんてお前どんだけ雫から嫌われてんだよ! とりあえず、早く手を放せ……ぶへっ」


 そう言うと雫さんはカバンから取り出した殺虫剤を男に吹きかけた。


「シュー……」


「ゴホゴホっ、雫、何すんだよ、何………ごほっ」


 しばらく噴射し続け、数秒後。


 煙が晴れた先から出てきたのは顔が白くなり、イケメンフェイスが台無しになった男だった。


「……ぷっ」


 あ、雫さん笑った。


「て、てめぇ雫ッ! いくら婚約者だからと言ってもこんなの許されるわけねえぞ!」


「許されるって、私貴方に許される必要性なんてないけど? 後、まだ勘違いしてるから言うけど……貴方婚約者じゃないし。お父さんが冗談で言ったこと、まさかまだ真に受けてるとはね?」


「は、え?」


 いつも静かな雫さんは、淡々と言うと……


「……勘違い乙~」


 そう言って男を煽った。


「それじゃ、入って」


「え、うん」


 そう言って俺は、家の中に雫さんに押し込められるように入る。


「あ、言い忘れてた……それ、家のペットの【ハチ】が好きな匂いがする粉だから……だから、早く帰らないと大変なことになるよ?」


「は……っ、お前ッ待っ……」


男は何かを言おうとして近づいてきていたが、それより早くガチャリと扉が占められ、鍵が掛けられた。


「これで良し……」


「あの、良かったの? 婚約者なんじゃ」


「言ったでしょ? あいつは婚約者でも何でもないって」


「え、あ……うん」


 そう俺は頷き、俺達の間にきまづい沈黙が流れた。


「あ、あのさ……雫さんって、その……こここ、婚約者とか、いるの?」


 俺は、思わずそう尋ねてしまっていた。

 聞く必要はなかった。もしもいたりしたら、立ち直れないだろうに。

 俺は思わず訪ねてしまっていたのだ。


 ドキドキと、彼女の返答を待つ。

 

 雫さんはそんな俺の問いに少し呆気にとられ、目を点にした後に目線をそらせ、顔を赤くして……指をいじってモジモジと言葉に出した。


「……いない、けど」


「けど?」


「い、いや……その……婚約、したいなっていうか、そう言う人は………いたり、するかもしれなくて…………その、なんていうか」


 そう言い淀んだ彼女は顔を赤くして……


「パンツを渡してるのは貴方だけなんだから」


 そう言ったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る